●樋口陽一著『いま、憲法は「時代遅れ」か 〈主権〉と〈人権〉のための弁明』/平凡社/2011年5月12日発行
国民の意思によって権力を縛る。立憲主義の根本にある考え方である。ところが、一九五〇年代から六〇年代にかけての改憲論の中では福祉国家論が一つの目玉になり、国家が積極的に福祉を推進するのだから、そういう国家権力の制限を眼目とする憲法は時代遅れだ、という主張が出てきた。福祉のためには国家ができるだけ仕事をしやすいような統治システムをつくる必要がある、というわけだ。 政権が福祉の縮減を行なっている昨今では、さすがにその種の改憲論はカゲをひそめ、提起されたとしても説得力をもちえないだろうけれど、立憲主義に対する疑義は形をかえながら今もしばしば発せられる。そして驚くべきことに、立憲主義の基本理念そのものを知らない人がインテリの中にも少なからずいるらしいのである。 立憲主義の基本の基本が世の中にあまりに知られていないままだった──。本書はそのような現状を認識した著者があらためて立憲主義の基本的な考え方を説きつつ、現行の日本国憲法は本当に「時代遅れ」なのかを考察するものである。 結論的にいえば、一連の考察をとおして日本国憲法ならびに立憲主義なるものは決して「時代遅れ」でないばかりか、すぐれてアクチュアルなものであることが理解できるだろう。以下、とくに印象に残った論点をいくつか紹介しておきたい。 改憲論のなかには、日本という国のアイデンティティ、DNA、伝統などと、西洋ゆかりの近代憲法の原則とはそもそも合わないのだ、という主張が見受けられる。 そうした議論は、「帝国憲法が一方で『建国の体』、他方で『海外各国ノ成法』という、いわば二本足の上に乗っていた」ことの延長線上に位置づけることが可能だ。つまり日本のアイデンティティや伝統を持ち出す意見は前者を重視したもので、「海外各国ノ成法」に異議を申し立てる、という図式である。 これに対し「日本国憲法が端的に『人類普遍の原理』を基本に置いていたことの意味」を考えなくてはいけない、というのが著者の立場だ。すなわち、その二本足の対立に決着をつけたのが、日本国憲法の前文「人類普遍の原理」という言葉なのである。「国のアイデンティティ、DNA、伝統等を反映させるための憲法に変えなくてはいけないという主張が見当外れ」であることは明らかだろう。 また昨今、人権の前提となっている個人という存在の「フィクション性」を衝く議論も多く提起されるようになった。個人にかえて、人間のカテゴリーを基本単位とする考え方である。そこでは「人権という考え方そのものの抑圧性が糾弾され、障害者ゆえの権利、老人ゆえの権利、ホモセクシャルゆえの権利というふうに分解されて」ゆくことになる。 また、主権のほうも「一定の領域を設けた統治の決定単位を設けること自身がラディカルに否定」されるような事態も生まれている。だが、流動する人びとから成る空間を想定することは、公共社会の運営にとって鍵となる責任を問うという前提そのものを否定することになるだろう。 近代なるもののフィクション性を衝くことは、だれだって容易にできることです。そのフィクションとしての個人を前提にしたのがまさに「人権」であり、その諸個人の意思によってつくられた公共社会を前提にして「主権」が語られてきたのです。(p204) 憲法の諸原則、さらには法そのものがその一面として持たざるを得ない虚偽性、抑圧性に充分自覚的であることが本書の信頼性をいっそう高めているように思われる。そのうえで、憲法がさだめる「主権」や「人権」の今日的意義を易しく説いた本書は憲法の入門書として優れた一冊といえる。
by syunpo
| 2014-10-23 21:00
| 憲法・司法
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