●ロジャー・パルバース、四方田犬彦著『こんにちは、ユダヤ人です』/河出書房新社/2014年10月発行
小説・劇作・演出など多方面で活躍中のユダヤ人、ロジャー・パルバースとイスラエルに滞在経験をもつ四方田犬彦の対談集。ユダヤ人とシオニズムをテーマに「抽象的で頭デッカチの哲学談義」ではなく、「どこまでも自分が体験し、邂逅した人々の話から出発する」ことを原則に交わされた二人の対話はなるほど具体的でおもしろい。オーストラリア国籍でイスラエルに行ったことのないパルバースが四方田にイスラエルの国内事情を尋ねるなど、時に出現する捩れた場面がいっそう本書に興趣を添えている。 二人に共通しているのは政治的シオニズム、ひいてはイスラエルという国家の建設そのものに対してともに批判的であること。そのうえでパルバースは繰り返しユダヤ性に関する自身のポジティブな考えを力説している。 ユダヤ人とは何かというと、ユダヤ人という一つの媒体を通して、他の民族、他の人たち、自分と違う人たちの悩みを癒そうとすることです。それがユダヤ人ではないでしょうか。(p43) アウトサイダーの目をもって、人間の悲しみ、犠牲になっている人たちの悲しみがどう乗り越えられるかについて悩む人を、本当のユダヤ人だと思いたいですね。(p136) 自分がいかに他人、そしてかなり悪意のある他人に自分のことを説明できるか。いかに好意的に対応してもらえるか。ユーモアとかドラマとか日常のことを表現した芸術や美術を通してやっていこうと思ったのがユダヤ人ですね。(p155) 言葉をかえて反復されるパルバースのこうした発言を読めば、イスラエル批判がただちに反ユダヤを意味するものでないことは当然ながら理解しうる。パルバースは以上のようなユダヤ性を米国で体現した人物として、モリー・ピコン、ファニー・ブライス、ゲルトルード・バーグの三人の女性を挙げている。 それを受けた四方田はハリウッドに顕著なユダヤ性のもう一つの側面を浮き彫りにして議論の立体化を試みる。すなわちハリウッド映画におけるユダヤ人の自己言及の乏しさを問題にして、彼らはユダヤ性を脱色しながらアメリカンドリームを表現してきたことを指摘する。 ユダヤ人はアメリカに過剰な同一化をはたしたと言われたけど、むしろ確実にWASPのドリームがあってそれに同一化したというよりも、彼らがWASPの夢をつくってきたような気がするんです。(p165) また後半で、四方田が三人のユダヤ人──マルクス、シェーンベルク、フロイト──に言及するくだりはパルバースが充分に対応できずに物足りなく感じられる箇所が散見されるものの、ユダヤ知識人試論として本書のハイライトともいっていいのではないか。 マルクスについては批判的に論評している。彼はドイツの中心から排除され、同時にユダヤ人のコミュニティからも逸脱した人物だった。《ユダヤ人問題に寄せて》と題する論文で、ユダヤ教の根拠とは暴利と貪欲と利己主義だと述べ、資本主義とは貨幣=ユダヤの神様に支配された社会であり、ユダヤ人を世界から解放するのではなくて、世界をユダヤ人から解放しなければならないと主張した。四方田はこの点を捉えて「こうした偏見的修辞が彼の資本主義批判の前提になっていることをなぜ誰も問題にしないのか」と提起する。 シェーンベルクは若い時にユダヤの信仰を捨てたものの、ヒトラーが政権をとったときにユダヤ教に入り直した。そしてオペラ《モーセとアロン》を書こうとしたが未完に終わった。 ……ユダヤ教のユダヤ主義の神様に向かって今の芸術家が何ができるか。最後まで未完成だろうとも、覚悟していたのかもしれません。描いてはいけない神様を描くという、初めから失敗する、負けることをわかっている勝負に関わった。これはぼくは勇気ある、尊敬すべきことだと思います。この失敗に感動するんです。(p221) ユダヤ人がこれから迫害され虐殺されて大変だというときに、ユダヤ人をやめましたと言えばまだ助かるかもしれないのに「俺こそユダヤ人だと宣言してモーセのオペラをつくろう」としたシェーンベルクのユダヤ人としてのありかたを四方田は熱く肯定するのである。 フロイトは文化的シオニズムに対してはある種の期待を持ちつつも、政治的シオニズムには否定的だった。「自分はヘブライ語の知識もなくて、ユダヤ教も信じていない。それどころか、あらゆる宗教を信じていません。民族という考え方も理解できない。民族という理念も共有できない。にもかかわらず、自分は本質的にユダヤ人だ。ユダヤ人である同胞と縁を切ったことは一度もない」と書いて、みずからのユダヤ性と向き合った。四方田の熱弁を受けて、パルバースが「これは二〇世紀における新ユダヤ人の原型」と評して共感する場面は印象的だ。 またスピルバーグの《シンドラーのリスト》では、収容所で歌われる曲が一九六〇年頃のイスラエルの流行歌で、イスラエルでのプレミア上映では失笑をかったという挿話は本書で初めて知った。当然、四方田のスピルバーグ評は辛辣である。また原節子が反ユダヤ主義的な発言を残していることにも話は及び、小津=原節子の現代における無批判な受容を「日本の危険なノスタルジー」と警戒する四方田の発言は注目に値するだろう。 とにもかくにもユダヤ性の何たるかを考察することは必然的にマイノリティやアウトサイダーをめぐる世界史的な思考へと読者を導かずにはおかない。野暮ったいタイトルで損をしているが、内容は濃密である。異論反論もあるだろうけれど様々な問題提起を孕んだ刺戟的な対談集であることは間違いない。
by syunpo
| 2014-11-10 20:51
| 文化全般
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