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公害事件の教訓を活かして〜『原発賠償を問う』

●除本理史著『原発賠償を問う 曖昧な責任、翻弄される避難者』/岩波書店/2013年3月発行

b0072887_2011160.jpg 福島原発事故の損害に関する賠償問題はその被害の甚大さもあって一筋縄ではいかない難題である。原発事故の被害補償に関わる法律としては一九六一年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)がある。同法は原子力事業者の責任を無過失責任とし、補償額に限度額を設けていない。事業者はこうした責任を担保するため保険に入っている。これは損害賠償措置と呼ばれるもので、民間の責任保険と国との間で結ばれる補償契約がある。しかし損害賠償措置によって賄える額にも限度があり、足りない場合には国は原子力事業者に対し「必要な援助」を行なうことになっている。

 福島原発事故の被害総額は六兆円にものぼるとされていて、損害賠償措置で賄える金額をはるかに上回る。そこで国の援助措置が問題となる。原賠法にいう「必要な援助」をいかに具体化するか。それが焦点となったのである。

 かくして二〇一一年八月、原子力損害賠償支援機構法が成立。同法に基づく支援機構は東京電力に対し、資金の交付や貸付、株式引き受けなどのさまざまな援助をすることができる。この枠組により東電は破綻を回避し、また株主や債権者はまったくの無傷ではないにせよ守られることとなった。

 補償すべき被害の範囲に関する指針を決めるのは文部科学省に設置された原子力損害賠償紛争審査会。同審査会は二〇一一年八月に「中間指針」を決定、東電はそれをふまえて「本補償」の手続きを始めた。ここで問題なのは、加害者たる東電が基準を示すだけでなく、請求内容の査定まで行なっていることである。また請求書類は膨大かつ煩雑なうえに、補償を受け取って以降は「一切の異議、追加の請求を申し立てない」との一文が盛り込まれていた。

 本書ではそうした加害者主導の補償交渉や責任を曖昧にしたままの被害補償に対して批判を加えている。そのうえで、水俣病問題など過去の公害補償の教訓からあるべき被害補償のあり方を提起する。具体的には「被害者自身が訴えることを容易にする条件づくり」や「被害者に対する福祉的措置や、被害地域の再生など、息の長い取り組みを着実に続けること」などだ。目から鱗が落ちるというほどの視点が打ち出されているわけではないものの、原発補償の問題を考えるうえで大いに参考となる問題提起の一つであることは確かだろう。
 
 著者は終結部において政策転換についてもさらりと言及しているが、政治課題としての電源問題を考えるなら、主権在民のもとで原発を国策として直接・間接的に支持してきた国民もなにがしかの「責任」は免れないはずである。本書にあっては国民は一方的な被害者としてのみ描かれているが、原発をめぐる(政策転換をも含めた)政治的責任という点では主権者たる国民のそれもまた重い。
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by syunpo | 2015-01-05 20:08 | 政治 | Comments(0)
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