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ブックラバー宣言

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言葉だけがなしうる冒険〜『若い藝術家の肖像』

●ジェイムズ・ジョイス著『若い藝術家の肖像』(丸谷才一訳)/集英社/2009年10月発行

b0072887_10463842.jpg 松宮秀治の『芸術崇拝の思想』は、啓蒙主義以降の神なき近代社会において宗教に代替するものとして芸術が台頭してきたことを歴史的に説き明かした。本作の主人公、スティーヴン・ディーダラスは、さしずめそうした時代思潮を体現するかのような若者として描かれている。ジョイスは、一人の若者(著者自身にも重なる存在)が信仰を捨て藝術家=文学者として身を立てていこうと決意するまでを、様々な文体を駆使して描出していくのである。

 急いで付け加えるなら、スティーヴンは信仰を捨てるだけではない。イギリスの帝国主義はもちろん祖国アイルランドのナショナリズムからも独立しようとする。「一人きり、まったくの孤独」、その危険を冒す道行きを選択したのだ。それはそのまま藝術=文学という営みの孤独を表しているだろう。

 ディーダラスの名はギリシア神話に登場するダイダロスにちなむ。アテナイの「巧みな工人」である。ミノス王によって息子のイカロスとともにラビュリントス(迷路)に幽閉される。ダイダロスは羽と蠟で翼を作り脱出に成功したが、イカロスは戒めに背いて太陽の近くまで飛んだため、蠟が溶けて海に墜落した。

 ダイダロスとイカロスにまつわる神話は全編にわたって通奏低音のように鳴り響いているかのようで、作中、飛翔するもののイメージが要所で立ち現れる。鳥。天使。革の球。それらは時に美しい情景を呈して印象深い。

「一人きり、まったくの孤独」の旅路を踏み出したスティーヴン・ディーダラスは、はたして迷路から脱出することに成功するのか。それとも墜落してしまうのか……。

 丸谷才一は一九六九年に一度邦訳版を出している。その後、二度の改訳を経て、二〇〇九年に新訳版として本書を刊行した。本作の時代背景を文化史的にあとづけた解説と精細な訳注は、難解ともいわれる作品の読解に大きな力を貸してくれる。なお、二〇一四年には同じ版元により文庫化された。
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by syunpo | 2015-01-17 11:01 | 文学(翻訳) | Comments(0)
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