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ブックラバー宣言

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世界は表現する〜『「知の技法」入門』

●小林康夫、大澤真幸著『「知の技法」入門』/河出書房新社/2014年10月発行

b0072887_2092965.jpg 人文学の衰退が叫ばれて久しい。近頃では政治家やその取り巻きの経済人のなかから人文学無用論までとび出す時世になってしまった。特定の学問領域がその学問の存在意義を問い直す試みはポスト・モダニズムの時代から活発になったが、とりわけ人文学の場合は社会からのプレッシャーもあってより切実といえるだろう。

 本が当たり前の存在ではなくなりつつある。小林康夫も本書の冒頭でそのような素朴なフレーズでもって危機感をあらわしている。この対論集は人文学の研究者二人が知そのものへの懐疑と同時にこれからの知の展望を語りあったものである。

 二〇世紀の思考の大きな流れを振り返る意味で、実存主義→構造主義→ポスト構造主義について復習するやりとりの中でサルトルの再評価がなされていて、あらためてこの実存主義者への関心を喚起させられた。
 ただ全体としては、互いに頷き合うようなやりとりよりも二人の発言が齟齬をきたしているくだりの方がおもしろい。たとえば、難しい哲学的用語であってもそれを「自分の言葉に置き換えてものが考えられるかどうか」を重視する大澤に対して、小林が異論を唱える場面。

 ……本を読むということは、なぜか本からコンセプトを得て、それによって考えるためではない、という気がするんだよね。外国語という異物のままで見ていたいという気持ちがわりと強いんですね。(p96~97)

 むしろ受けた衝撃をそのままにしておけ、という感覚が強い。すぐに自分のものにしないということが、僕にとっては逆に意味がある。(p99)


 また、大森荘蔵が提起した概念「重ね描き」をめぐって、「統一性への総合を性急に求めない」ことを主張する小林に対して、大澤はあくまで重ね描きされている両者の間に等価性のようなものを構想しようとするところも印象深い。

「『知る』ということは、一元的な原理へ帰着することではなくて、むしろ異なるものの共存に開かれている」。後半に発せられる小林の言葉に本書のエッセンスが凝縮されているように思われる。
 人に積極的に薦めたくなるほどの内容ではないが、人文学の存在意義が問われている今だからこそ、このような対話が生まれてきたともいえるだろう。ベストセラーとなった『知の技法』から二〇年余。制度化された知の領域を横断せんとする試みはなおも深化を続けようとしている。
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by syunpo | 2015-04-09 20:20 | 思想・哲学 | Comments(0)
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