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われわれは生き延びる〜『民族でも国家でもなく』

●李鳳宇、四方田犬彦著『民族でもなく国家でもなく 北朝鮮・ヘイトスピーチ・映画』/平凡社/2015年4月発行

われわれは生き延びる〜『民族でも国家でもなく』_b0072887_20245646.jpg この二人の対談集としては『先に抜け、撃つのは俺だ』『パッチギ! 対談篇』に続く第三弾ということになる。前回の対談時に比べ、日韓関係は悪化した。しかも四方田は大病を患い、李は自身が築いた会社シネカノンを去るという経験をした後ということもあって楽観的な雰囲気は薄れ「社会の現状に対する不安や怒りが正直な形で現れ」る対話となった。

 話題は多岐にわたる。在日コリアンの文学をめぐる状況。ヘイトスピーチ。台湾、韓国の学生運動。神事としての相撲。外国人によるヤクザ研究……。
 四方田が酒井法子を弁護するかと思えば、李はセルジオ越後の活動を賞賛する。四方田と高円宮との興味深い交友関係が語られたあとには、李は修学旅行で平壌の外国人病院に入院してブルキナファソの陸軍大尉と同室した体験談を披瀝する。

 あれやこれやのトークが展開されたのち、本業の映画談義は最終盤にあらわれる。李が〈エンターテインメント映画/芸術映画〉〈フィルム/ビデオ〉という毎度おなじみの二分法を維持しながら語るくだりに対しては、四方田がもう少し複層的な認識を示して議論が凡庸に流れるのを修正しているのはさすがというべきか。また李が手塚治虫全作品の映画化の企てを明らかにすると、四方田も強い関心を寄せてエールをおくっているのが印象深い。

 死んでしまえばすべては灰と燃殻となり、傷は残らない。傷跡が残っているということは、生き延びたという意味だ。それは傷を克服し、傷に打ち勝ったという意味だ。
 ……竹内好の言葉を引きながら、四方田は李と長い対話をしようと思ったと冒頭で述べている。そう、二人にはいつまでも生き延びて、私達に熱い映像と言葉をおくり続けて欲しいと願わずにはいられない。
by syunpo | 2015-06-08 20:30 | 映画 | Comments(0)
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