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ブックラバー宣言

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作家の思考を「体感」する〜『言葉と歩く日記』

●多和田葉子著『言葉と歩く日記』/岩波書店/2013年12月発行

b0072887_19411312.jpg 朗読会やシンポジウム、学会などで世界中を歩きまわる多和田葉子の日記体によるエッセイ集。「言葉と歩く」という表現がいかにも多和田らしい。小説ももちろん面白いが、本書を読むとアフォリズム的表現にも独特の冴えを見せる作家なのだと感じる。
 とりわけエクソフォニー作家として、外国語を学ぶ意義やアウトサイダーについての考えを記しているくだりに多和田の真骨頂があらわれているように思う。

「コスモポリタンになるには一度根なし草になる必要がある、とある作家が述べていますが、それについて、どう思いますか」という質問があった。わたしの答えはこうである。「わたしは植物ではないので、もともと根はありません。わたしの日本に関する知識は、根にあるのでなく脳の中にあるのです。だからポータブルです。」(p127)

 理解できない言語に耳をすます時、言語はメッセージを伝える使い走りであることをやめる。言語そのものについて考えるまれなチャンスである。(p142)

 母語で得られる情報だけに頼るのは危険だ。外国語を学ぶ理由の一つはそこにあると思う。もし第二次世界大戦中に多くの日本人がアメリカの新聞と日本の新聞を読み比べていたら、戦争はもっと早く終わっていたのではないか。それはアメリカの新聞に書かれていることが正しいという意味ではない。書かれていることがあまりに違うというだけで、自分の頭で考えるしかない、何でも疑ってかかれ、という意識が生まれてくる。そのことが大切なのだと思う。(p214)


 むろん多和田のこうした認識は豊富な外国語体験あってのものだろう。日本語とドイツ語の比較を通して語られる言語への思いは他愛ないニュアンスを帯びつつも時に思わぬ視点が打ち出されていて読者の意表をつく。
 そしてまた多和田の多彩な活動が、作家とは「机にかじりつく」だけの存在ではなく、歴としたパフォーマーであることを教えてくれる点も本書の魅力の一つだろう。
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by syunpo | 2015-07-04 20:03 | 文学(小説・批評) | Comments(0)
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