●片山杜秀著『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』/新潮社/2012年5月発行
片山杜秀のいう「未完のファシズム」とはいかなる意味か。 明治憲法は権力分立の思想が徹底しており、一元的な独裁政治に陥る危険性をあらかじめ排除するものだった。国家を一つの意志に束ねて戦争するには不都合な仕組みだったのである。東条英機は首相になってそのことを悟り、一人で複数の役職に就いて言論弾圧などを行なったものの、一元的な総動員体制を構築することは完全にはできなかった。未完のファシズムとはそのような状態を指している。 むろんファシズムの定義は多様であり、権力の一元性を重視した場合に日本のそれは「未完」であったというにすぎない。その意味では片山の命題にさして独創性があるとも思えないけれど、現代政治史の一つの見方を示したものには違いなかろう。 さて、大正から昭和の敗戦へと至る道を考える時、一つの不思議がある。時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人は神がかっていったという事実だ。 片山は第一次世界大戦に注目する。その大戦に衝撃を受けた軍人たちがそれぞれに戦争哲学を組み立てていったからである。それらが「未完のファシズム」体制下で、様々な葛藤や対立の結果、はからずも一つの神がかった流れを作りだすことになる。本書はそのような近代日本のアイロニカルな過程を描き出していく。 日本の軍部は第一次世界大戦を契機に今後の戦争は肉弾戦から火力優位・物量重視の近代戦へと変化していくことを感じとっていた。そこで日本の採るべき戦略については、二つの系統が現れる。 一つは、荒木貞夫、小畑敏四郎、鈴木率道らのちに「皇道派」と呼ばれることになる人々が提唱した、精神主義を基盤とする「即戦即決・包囲殲滅戦」の思想である。それは「持たざる国」の苦肉の戦略ともいえるものだが、その考えを柱にして出来たのが『統帥綱領』『戦闘要綱』だ。 もう一つは、「持たざる国」であるのなら「持てる国」になろうと主張する石原莞爾ら統制派の考え方である。石原は満洲国を拠点にして生産力を高め、戦争準備が充分に整ったところで「世界最終戦争」に打ってでるべきだと主張した。 しかし、その二つの考え方はともに大きな時流に呑み込まれていく。軍隊が政治に容喙できない以上、軍人はいついかなる場合でも既存戦力で戦う準備をしておかねばならない。つまり、物量において負けると分かっている戦争でも、やらねばならんときはやるべきだ、精神力による嵩上げ分を無限に膨らませられるはずだという「ある種の狂気を孕んだ信仰」に傾く人々が出現したのである。片山はその代表的論客として東条のブレーンでもあった中柴末純を指名する。 「持たざる国」でも「持てる国」の相手を怖じけづかせられれば勝ち目も出てくる。中柴はそのためには、なんと、日本人がどんどん積極的に死んでみせればよいのだと考えた。その思想は日米戦争時代の日本人の死生観に決定的影響を及ぼした『戦陣訓』にはっきり表現されている。 むろん、中柴も東条も玉砕を賛美するような「精神主義」で米英に勝てると本気で信じていたわけではない。片山は彼らが残した文献を読み込んだうえで、その哲学は「『もたざる国』が『持てる国』と正面戦争をしうる格好を取り繕っておくための方便にすぎなかったと言ってよい」と結論している。 皮肉にも中柴は合理的計算が仕事の工兵の出身であった。しかし中柴にしてみれば玉砕戦法だけで勝てると高唱するしか戦い続ける気力を喚起させることはできなかっただろう。片山は本書の末尾で次のように痛切にまとめている。 この国のいったんの滅亡がわれわれに与える歴史の教訓とは何でしょうか。背伸びは慎重に。イチかバチかはもうたくさんだ。身の程をわきまえよう。背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだときの痛さや悲しさを想像しよう。そしてそういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある。(p333) 本書は戦前戦中の陸軍関係者の国家観・戦争観を軸にして、小川未明や徳富蘇峰、宮沢賢治や倫理学者の吉田静致らの著作をも参照しながら、日本近代のアイロニカルな思想史を浮き彫りにした労作といえるだろう。
by syunpo
| 2016-12-27 19:10
| 思想・哲学
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