●鷲田清一、山極寿一著『都市と野生の思考』/集英社インターナショナル/2017年8月発行
クロード・レヴィ=ストロースの名著『野生の思考』に「都市」をトッピングした標題がいかにも興味をそそる。大阪大学の元総長と現役の京都大学総長との対話集である。 臨床哲学なる分野を開拓したユニークな哲人とゴリラ研究で名を馳せる霊長類・人類学者によって交わされる言葉は相互に刺激しあいながら専門分野の垣根を越えて、文字どおり都市や自然を自由自在に経巡るかのようだ。 山際が大学の存在意義について多様性を旨とするジャンクルに喩えれば、鷲田はその文脈で大学を社会実験の場と捉え個性的な人間をあえて野放しにしておくことの意義を説いて対話ははずむ。 ゴリラの研究から直接導かれた発言もおもしろい。たとえば「ゴリラのリーダーには、二つの魅力が求められる。他者を惹きつける魅力と、他者を許容する魅力」という山際の話は人間にとっても教訓的という以上の深い含蓄に富む指摘ではないか。それに対応する鷲田持論の「しんがりの思想」も興味深い。 標題にもうたわれている二人の都市論はもっぱら京都を軸に展開されていく。支配者が変わり、国家体制が変わっても生き延びているものの象徴として、街に息づく芸術や祭を考える。その意味では京都は格好の都市といえるだろう。ここでも京都という都市はジャングルに擬えられる。 さらに京都の街は成熟/未成熟の観点からも称揚される空間となる。 すごい学者は往々にして、世間から変人と見られる。世間のことなど何も気にせず、自分の世界だけをとことん突き詰めていくからです。つまり未熟さこそが文化の原動力とも言える。そうした未熟さを内にたっぷり抱えていられるのが成熟社会で、京都はその典型でしょう。……(中略)……自分の中の未熟さを守るためにこそ、人は大人になるんだと。(鷲田、p44) ファッションに関する論考でも知られる鷲田の制服に関する発言も目からウロコが落ちた。現代人は制服を管理の象徴のように考えるが、そもそも制服は自由の象徴として着られるようになったという。 ……制服とは自由な市民の衣装のことで、具体的には背広の原型に相当するものです。市民はみんな平等であり、階級も職業も関係ないことを表現するために、みんなが同じ黒やグレーのスーツを着るようになった。(p148) また、リベラルの語源にあたる単語はもともと「気前がいい」という意味だったという鷲田の語源論にも考えるヒントがいくつもころがっていそうだ。 後半、ありあわせの食材を使って食事をこしらえる「家事的な発想」の必要性を二人が説くくだりも印象的。いうまでもなくレヴィ=ストロースのいう「ブリコラージュ」なる手法である。 その意味では本書の対話もまた「ブリコラージュ」的といえるだろうか。系統的に一つの命題に向かっていくというよりも、その場その場の閃きによって言葉がほとばしり出てきて、巧みに前後の素材と組み合わさる「ブリコラージュ」の悦び。都市と野生が結びついた愉しい知の対話集といっておこう。
by syunpo
| 2018-03-19 20:00
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