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近代国家における立法の重要性〜『日本一やさしい「政治の教科書」できました。』

●木村草太、津田大介、加藤玲奈、向井地美音、茂木忍著『日本一やさしい「政治の教科書」できました。』/朝日新聞出版/2017年7月発行

b0072887_12531137.jpg 憲法学者の木村草太とジャーナリストの津田大介がAKB48の三人を相手に政治の授業をするという趣向の本。標題どおり初学者向けの入門書で、それ以上でもそれ以下でもない内容だが、ただ一点、木村の授業できわめて含蓄に富むくだりがあるように私には感じられた。以下、変則的ながらその点に絞って記してみたい。

 私が興味深く感じたのは三権分立を解説した箇所である。
「行政」「司法」「立法」の三権は昔から並び立っていわたけではない。このうち最も遅れて概念化されたのは「立法」である。木村の既刊書『テレビが伝えない憲法の話』でも力説していることだが、本書でもかなりの紙幅を割いて噛み砕いた説明をしている。

 行政と司法の二つは、人間の生活に欠かせないものなので昔からあった。古代ローマ帝国も漢や秦など古代中国の国家もこの二つの機能を備えていた。これに対して立法は比較的最近出てきた考え方なのだ。

 では、昔は必要なかったのに、なぜ近代国家では立法の機能が必要になったのか。このように問題提起して次の授業でその解答を提示していく。

 昔は「公平性を守る」ためには、優れた人が王様や裁判官などの権力者になればよいという考え方が支配的だった。ところが近代になって「どんな人が権力者になろうとも、公平なルールが実現するようにと、法律に基いて権力を行使しようという発想になった」のである。

 つまり建前上は誰もが権力者になる可能性のある時代になったからこそ「立法」という機能が必要になったと考えられる。立法が遅れて概念化された権力であることは、政治社会の近代化と大いに関連しているわけだ。近代民主主義には欠かせない〈国民主権〉や〈法の支配〉を実現するために必要になった国家作用。木村はそこまで踏み込んだ解説をしているわけではないけれど、日本国憲法では立法府こそが「国権の最高機関」と規定されていることは何度でも思い返す必要があると思う。

 今日、日本では行政府の暴走が目立ち、国会は以前にもまして形骸化したといわれる。それはすなわち民主主義の形骸化と言っても過言ではない。私たち国民は裁判官や官僚を選ぶことはできないが、国会議員については直接選挙で選ぶことができる。近代になって「立法」という概念が発明されたことの意味を私たちはよく噛みしめる必要があるのではないだろうか。本書を読んであらためてそのようなことに思いを致した次第である。
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by syunpo | 2018-03-31 12:53 | 政治 | Trackback | Comments(0)
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