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ブックラバー宣言

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「知性」の再定義を迫られる時代に向けて〜『人間の未来 AIの未来』

●山中伸弥、羽生善治著『人間の未来 AIの未来』/講談社/2018年2月発行

b0072887_18365112.jpg 異業種対談なるものは、往々にして両者が無理に話を噛み合わせようとするあまりに一般化・抽象化に流れてしまい、思ったほどおもしろくならないことが多い。が、本書はその不首尾を免れた貴重な一冊といえようか。

 論題は多岐にわたる。iPS細胞研究の最前線や大学教育の課題、将棋界の新しい動きや藤井聡太論などなど。二人の達人が互いに相手をリスペクトしながら話を進めていく様子は、対談集ならではの肩の凝らない雰囲気を醸し出しながらも知的興奮をもたらしてくれるとでもいえばいいか。

 そのなかでもとくに読み応えを感じたのはAIをめぐる対話。どちらの分野にとっても関連のあるテーマということもあってか多くの紙幅が費やされていて、リラックスしたなかにも濃密な言葉のやりとりが展開されている。

 山中のユーモアをまじえたトークも楽しいが、羽生の勉強家ぶりにも大いに感心させられた。やはり知的な人だと思う。AIと人間の関係をめぐる羽生の問題意識は、知性が抱え込まざるをえない自己言及的な性質を意識したもので、古くて新しい哲学的問題といってもいい。

「今後、私たち人間は「知能」とか「知性」をもう一度定義しなおさなければならなくなるかもしれません」と秀逸な問題提起をした後、さらに言葉を継いでゆく。

「この分野ではAIは人間以上のことができる」とか「これは人間にはできても、AIにはできないだろう」といった議論をしているときに、「では人間が持つ『高い知能』の知能とは、いったい何なんだろう?」とあらためて考えざるを得なくなると思います。(p91)

 山中はそのような発言を受けてAIは「膨大な知識」を持ち、冷静沈着な判断を行なうが、あくまで「優秀な部下の一人」「セカンドオピニオン」にとどまるとの認識を示す。最終的な判断を行なうのはやはり人間である、と。AIは発展途上のテクノロジーだが、研究者としての現時点での当然の結論かもしれない。

 さらに羽生がみずからの将棋観を語るくだりも将棋という一分野にとどまらない普遍性をもったもののように思われる。

 将棋の世界は「いかに得るか」よりも「いかに捨てるか」「いかに忘れるか」のほうが大事になってきます。たとえば自分がすごく時間をかけて勉強したものを捨てることはなかなかできないんですよ。(p133)

 羽生のこのような考え方は、ロラン・バルトの言葉を想起させる。「学んだことを忘れてゆくという経験」を「叡智」と名付けたバルトの言葉を。
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by syunpo | 2018-04-16 18:41 | クロスオーバー | Comments(0)
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