ブログトップ

ブックラバー宣言

syunpo.exblog.jp

〈独創〉信仰からの解放を〜『あらゆる小説は模倣である。』

●清水良典著『あらゆる小説は模倣である。』/幻冬舎/2012年7月発行

b0072887_1050595.jpg 模倣の肯定とオリジナリティへの疑い。これが本書を貫く基本姿勢である。あらゆる創作活動は模倣を基本としている。文学史におけるその事実を清水良典は具体的な例を引きながら紹介していく。それはもちろん作者たちを批判したり皮肉ったりするためではない。創作とは元来そのようなものであることを示すためだ。

 村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の英訳は日本国外では売られていない。アメリカの読者にはヴォネガットやブローティガンの秀作的な模倣であると見られかねないからと清水は推測している。

 夏目漱石の『吾輩は猫である』は、一九世紀ドイツの作家E・A・ホフマンの『牡猫ムルの人生観』をヒントにして書かれた作品。文化人に拾われたオス猫が文字の読み書きを覚えて書いた回想録という設定で、飼い主の周辺の日常を茶化したり、メス猫と恋をしたり、基本的なアイデアがきわめて近いという。

 吉田健一の「句読点の区切りが極端に少なく、時間が先延ばしされて人工的な別世界に誘われるような複雑な長い文体」は、その後、蓮實重彦に継承され、さらにその影響下に金井美恵子や阿部和重らに受け継がれていった。

 パクリの名人として名指しされるのは寺山修司。「マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の有名な句は、以下の三つの俳句を巧みに組み合わせたものだと堂本正樹は指摘している。

 夜の湖あゝ白い手に燐寸の火(西東三鬼)
 一本のマッチをすれば湖は霧(宮澤赤黄男)
 めつむれば祖国は蒼き海の上(宮澤赤黄男)

 その事実を確認したうえで、清水は「寺山の歌の調べの洗練度、インパクト、そして敗戦後の日本のニヒリズムを宿したダイナミックなドラマ性は、元の俳句にはないものだ」と称賛することを忘れない。作業行程はパッチワークであったとしても、結果的にみごとな作品に生まれ変わっているというわけだ。

 もっとも著作権という概念が浸透した現代では、創作活動において模倣やパクリが明らかになるとしばしば各方面からバッシングを受ける。そうした現象の背景にあるのは独創性やオリジナリティこそが芸術や文学の核心を成すという認識であることはいうまでもない。

 しかし、そのような考え方はいわば歴史的に形成されてきたものにすぎない。独創性や個性を過剰に重んじる風潮は人類普遍のものではないのだ。清水はそれをロマン主義の残滓とみなす。「自分の考えるようなことは他の誰かも考えていること」なのだと自覚することはべつに卑下でも何でもない。それが現実であることを知ることから出発すべきなのである、という。それはとりもなおさず二世紀近くも君臨しているロマン主義の呪縛から解放されることもである。

 それにしても、かつてのニュー・アカデミズムを賑わした人物が多く引用されているのは、何やら懐かしいような気がする。ソシュールやロラン・バルト、ベンヤミン、ボードリヤール、クリステヴァ……。
 ボードリヤールのシミュラークル理論を引いて、次のように述べているくだりは本書のスタンスを端的に表明するものである。

 小説は多かれ少なかれ、先行する小説を参照し、それをシミュレートして書かれる。それは作家の才能が足りないわけでも、卑怯なズルをしているわけでもない。小説というシミュレーションの連鎖の文化のなかで、宿命づけられてきた本来の方法なのである。(p137)

 むろんシミュラークル的な傾向はニューアカの時代からさらに進展していきている。「おたく」や「やおい」の二次創作に紙幅が費やされているのも、模倣の可能性の先鋭的な一例として認識されているからにほかならない。

 そこで重要になってくるのは「パクリを忌避するよりも、むしろ密猟者の自覚と技術の練磨をこそ、書き手は目指すべき」だということなのである。模倣とは、自分の創造の可能性を無限大にする力に他ならない。

 最終章では〈模倣実践創作講座〉と題して様々な課題が提示されている。こちらの方はいささか野暮ったい感じがして、私にはさほど面白みは感じられなかったが、もともと文章教室的な著作が多い著者のことであるから、こうしたチャプターはどうしても外せなかったのだろう。
[PR]
by syunpo | 2018-04-28 10:53 | 文学(小説・随筆) | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://syunpo.exblog.jp/tb/28273013
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 国家権力に宛てた最高法規〜『憲... 西洋哲学の文脈で再評価しよう〜... >>