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国家権力に宛てた最高法規〜『憲法主義』

●内山奈月、南野森著『憲法主義 条文には書かれていない本質』/PHP研究所/2014年7月発行

b0072887_1134146.jpg AKB48の内山奈月に九州大学准教授(刊行当時)の南野森が講義をするというスタイルでまとめた憲法学の入門書。〈憲法とは何か?〉から始まって、〈人権と憲法〉〈国民主権と憲法〉〈内閣と違憲審査制〉とつづき、〈憲法の変化と未来〉を考えて締めくくる。

 憲法とは “constitution” の訳語である。 “constitution” は “constitute” の名詞形。それにismを付けると “constitutionalism” 。つまり西洋語の体系では「国家設立→憲法→立憲主義」が一直線につながっている。

 立憲主義というと何だか難しく聞こえますが、constitution に ism(主義)をつけただけなので、これは西洋人にとっては「憲法主義」くらいの感じではないでしょうか。
 立憲主義という言葉から、ただちに憲法が頭に思い浮かぶかどうかは、日本だと中学生くらいなら無理かもしれませんが、西洋人なら constitutionalism と聞けば自然に憲法が思い浮かぶはずです。(p79)

 本書のタイトルを「憲法主義」としているのも以上のような認識に基づく。

 講義内容は憲法を学ぶうえで基礎的な問題がひととおり押さえられている。憲法と法律との違いとして、最高法規、硬性、違憲審査権といった特徴に加えて、対象の違い・名宛人の違いということにも論及しているのは立憲主義の基本であり当然のことだろう。法律は一般の人々を相手にするものだが、憲法は国家権力を相手にしている。未だにこの点を理解せず憲法に国民の義務を書き込めと主張する人物がメディアにしばしば登場するのは残念というほかない。

 国民主権を「権力的な要素」と「正当性の要素」の両面から考えているのは勉強になった。前者では、君主が権力を握っている君主制に対比できるものとして、国民が権力を握る国民主権を理解することができる。後者では「ある決定が誰の名前で正当化できるのか」が問題となる。
 現代の政治制度のもとでは、もっぱら後者の要素が全面に出てくる。つまり、国民は「権力を持って実際に決定を行う存在として登場するのではなく、決定に正当性を与える存在として出てくる」というわけだ。ここから代表民主制への話と展開していくことはいうまでもない。

 憲法学上の難問とされている違憲審査制をめぐるやりとりも興味深い。「国権の最高機関」たる国会で制定された法律をなぜ裁判所は審査できるのか。民主主義に悖るのではないか。この疑問に対して、南野は最初に「違憲審査制を完全に正当化することはできない」と断ったうえで議論を進める。訳知り顔で難解な法理論をあれこれ論じられるよりも、いっそすがすがしい。
 多数決原理を採用することの多い民主政では「普通の人間はなかなか少数者のことまで考えが及ばない。ということは、民主主義だけで突っ走るとどうなるでしょう」と問いかけ、それに歯止めをかけるものとして違憲審査制を置く──という説明は常識的なものかと思われる。

 少し引っかかったのは選挙制度に関する解説。どの選挙制度にも一長一短があるけれど、本書では、比例代表制によって生まれやすい多党制や連立制への評価がやや一面的と感じた。比例代表制では少数政党が乱立して政権が安定しない傾向があると言うのであれば、それには同時に一党による独裁を抑制する働きがあると付け加えるべきだろう。また一票の格差について多くの紙幅を費やしてきた本書の問題意識からすれば、比例代表制では一票の格差が生じないという事実は大きなメリットのはずである。
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by syunpo | 2018-05-01 11:35 | 憲法・司法 | Trackback | Comments(0)
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