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世間話の延長としての〜『社会学』

●加藤秀俊著『社会学 わたしと世間』/中央公論新社/2018年4月発行

b0072887_18381376.jpg 社会学者・加藤秀俊による肩のこらないエッセイ集とでもいえばよいか。「集団」「コミュニケーション」「組織」「行動」「自我」「方法」などをキーワードにした章立てをして、新書らしく読みやすい構成。平易な語り口ではあるが、内容は滋味に富んでいる。

 社会学とは何か。どのようにあるべきか。そうした基本的な問いに対して狭義の社会学だけでなく人類学や民俗学、歴史学など隣接する学問をも視野に入れながらいくつもの答えを提示していく。

 社会学とは「世間話」の延長線上にあるものだという。社会とは「society」の訳語だが、それ以前からそれに相当する言葉として「世間」があった。すなわち社会学とは世間についての学問ということである。日本では歴史上、世間話の集大成のような著作がいくつも書かれてきたのである。松浦静山の『甲子夜話』や太田南畝の『一話一言』などだ。芸術の領域では、浮世絵などもその名が示すとおり世間を描いたものである。G・H・ミードのいう「見られる自我」「一般化された他者」も加藤にかかると「世間」「世間の眼」とひらたく言い換えられる。

 世間の学においては法則や公理などというものはなく、文学性が求められるという見解も、「話」である以上、自然に出てくる考え方だろう。『断片的なものの社会学』を書いた岸政彦が本当に文学作品に向かったのは自然な流れなのかもしれない。

 社会学という学問は極言すれば「ふるさとの学」なのであるともいう。宮本常一やロバート・リンド、エヴェレット・ロジャースなどの例を引いて、そのように言うのである。宮本は故郷の山口県周防大島を終生愛した。全二十五巻におよぶ著作集のどの巻をひらいてみても「そこには周防大島の住民としての著者の息づかいがかぐわしく立ちこめている」。
 またアメリカ中西部に誕生したアメリカ社会学にとっての「社会」とは抽象的な「社会一般」ではなく、特定の地域社会とそこで暮らすひとびとのことにほかならなかった、という。

 もちろん、自分の生まれ故郷だけが「ふるさと」なのではない。その気になりさえすれば、いつでも任意の「第二のふるさと」をつくることができる。つまりは地域に愛着をもって、その地における人々の生活を観察し、あるいは体験することから社会学は始まるということなのだろうか。

 このほか、随所に社会学の豆知識が盛り込まれているのも勉強になる。
 たとえば、人間の相性について本格的に研究したのは米国の戦略空軍だった。無差別爆撃機のチームワークを重視し、心理学者モレノが提唱した「社会計測学」を導入したのだという。
 米国のハースト系新聞がスペインの印象を悪化させるような捏造記事を連発して米西戦争の機運を煽ったというジャーナリズム史の一コマも現代人には教訓的ではないだろうか。

 各章の末尾には参考文献リストが掲げられているので、社会学への入門的読書ガイドとしても役立つ。私自身、社会学関連の著作は数多く読んできたが、あらためてこの学問への関心を喚起させられた。
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by syunpo | 2018-07-07 18:47 | 社会学 | Comments(0)
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