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不条理な社会を作り直すための技術史の教訓〜『戦争と農業』

●藤原辰史著『戦争と農業』/集英社インターナショナル/2017年10月発行

b0072887_20162851.jpg 食の現場、さらには食べ物を生み出す農業ががいかに不自然な状況になっているか。食から見える世界の不公正なあり方を明らかにする。これが本書の趣旨である。著者の藤原辰史は農業技術史、食の思想史、環境史、ドイツ現代史を専門とする研究者。

 前半、技術史に即した記述はなるほど興味深い。技術史の観点からみれば、農業と戦争は相互補完的な歩みを進めてきた。藤原は「二〇世紀の人口増加を支えた四つの技術」として、農業機械・化学肥料・農薬・品種改良を挙げている。それらは二〇世紀以降の農業を劇的に変化させた。そのうち、農業機械・化学肥料・農薬は同時に戦争のあり方までも変えてきたという。

 農業の近代化を支えた農業機械の一つであるトラクターはスピンオン(民生技術を軍事技術に転用すること)されて戦車に変身した。化学肥料の生産過程で作るアンモニアを火薬産業に利用しようという発想のもとに、化学肥料産業は火薬産業にもなっていった。ベクトルは逆だが、第一次大戦中に作られ余った毒ガスは、その後、害虫駆除の「農薬」に転用された。

 戦争とは人と人が殺し合うものである。農業とは人を生かすために食物をつくりだす行為である。本来は対極に位置するはずの人間の営みが、技術史をとおしてみると互いに関連しあって「進展」を遂げてきたという事実は、アイロニーという以上のほろ苦い感慨を私たちにもたらす。

 ところで、こうした技術の発展はいずれも扱う対象に対して距離をとって人間が長年培ってきた勘やそれに基づく即興的な対応力ではなく、マニュアルに依存するような道具といえる。
 またそれらは即効性のみを求める競争の原理に基づいて開発され発展してきたものである。ベースにある競争の原理が今日の多くの食の問題へとつながっているというのが藤原の基本認識だ。

 本来人間の食を豊かにするはずの技術の発展が、現実には人びとの争いを加速させ、ひいては飽食と飢餓が共存する世界をつくりだした。であるならば、食と農業の再定義は効率主義による不公平な競争の仕組みを変えていく足がかりになるのではないか、と考えるのはその道の研究者として自然な問題意識だろう。

 食とは元来、口以前、口からお尻まで、お尻以降という三段階を、微生物の力や別の人間の力を借りながら食物を通過させる現象であり、食べる人はそのプロセスの一部を構成するにすぎない。
 また農業とは、人間が作物を育てる行為ではなく、植物を育てる自然の力を人間が助ける行為である。

 ……迅速・即効・決断の社会は、人間の自然に対する付き合い方も、人間の人間に対する付き合い方も、硬直化させてきました。それは、感性の鈍麻をもたらし、耕作・施肥行為をする農民や食品を生産する労働者は、機械や肥料工場の末端のデバイス(装置)となり、戦争での殺人もベルトコンベヤでの作業のような軽易なものになりつつあります。(p179)

 そのような世界よりも魅力的な世界。

 それは「競争の代わりに、遅効性に満たされた世界であり、かつ効き目の長いものによって構成される仕組み」に基づく社会ではないか。技術がお互いの交流の間合いをうまく調整しながら豊かにしていく仕組みとも言い換えることができるだろう。

 ……人間は、生物が行き交う世界を冒険する主体というよりは、生きものの死骸が通過し、たくさんの微生物が棲んでいる一本の弱いチューブである。つまり、生命の変化のプロセスの一部であることに存在の基盤を求めるのです。その基盤を前提に仕組みを作る。(p190)

 後半は、やや理念的な話になり、率直にいって前半部で示された技術史そのものが語りかけてくる面白味に乏しくなる印象は否定しがたい。とはいえ、私たちの生活のベースになる食と農業をとおして、人間社会のありかたそのものを見直そうとする本書の着眼には大いに共感できる。著者の本をもう少し読んでみたいと思う。
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by syunpo | 2018-07-29 20:25 | 歴史 | Comments(0)
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