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失うことで可能性は開ける!?〜『人工知能時代を〈善く生きる〉技術』

●堀内進之介著『人工知能時代を〈善く生きる〉技術』/集英社/2018年3月発行

b0072887_18562168.jpg 人工知能の発展をベースにした情報通信技術のハイテク化は、私たちを常時世界と結びつけ、膨大な量の情報にアクセスできる利便性をもたらした。だが本当に人工知能時代はバラ色の未来を約束してくれるものなのだろうか。

 その問いに対しては二つの態度を想定することができる。一つは人工知能の進化によって人間は単純なルーティンワークから解放され自由を得ることができるとの楽観的な展望をもとになされる「待望論」。今一つは人工知能に象徴される技術の進展を懐疑しあくまでも人間の主体を重視する態度にもとづく「脅威論」。

 堀内進之介はその両者を批判する。「技術の危険性を指摘することができるのと同じだけ、人間の危険性を指摘することもできる」からだ。現代社会をデストピアにしないためには、技術も人間も、どちらも過信してはいけない。それは「技術と人間を截然と区別するのではなく、相互産出的かつ相補的な関係として捉え直すことを意味する」。

 あたらしい技術が「脅威」になるのは、技術それ自体の問題というよりも、サービスとして社会にあらわれる場面で、必要以上に手助けすることでかえって状況を悪化させるイネーブリングの性格を帯び、共依存関係における支配を生み出すときである。

 しかし新しい技術を単純に敵視して、それへのカウンターとして「人間らしさ」を持ち出すことも得策とはいえない。むしろイネーブリングを強化するだけである、という。

 では、技術の便益を最大限に引き出し、現在の技術との関係を刷新するためには具体的にどうすればよいのか。

 堀内はそこで「アンプラグド・コンセプト」なるものを提起する。その基本理念は、スマート化を牽引する「あたらしい技術」を、常時接続による複数タスクの同時的な処理技術の軛から解放し、それらを時空間的に適切に再販分する技術へと転換することを目指す。いわば「スヌーズ機能」である。
 たとえば、休暇中は仕事のメールが来ても「休暇中」であることを伝える自動返信メールを送ることができる技術はすでに多くの企業が導入している。またフランスでは、労働者に「オフラインになる権利」を与える法律が施行されている。勤務時間外は仕事のメールを送受信しなくてよいことが法的に認められたのである。

 そのような「アンプラグド・コンセプト」は、本書でとくに言及されているわけではないが、つながることと切断することのバランスを考察した千葉雅也の『動きすぎてはいけない』の基本姿勢とも重なる点があるのではないだろうか。

 いずれにせよ、堀内のいう「アンプラグド・コンセプト」を支える思想は「技術による解放論」だと言える。「技術による解放論」は、人間はこれまでにも「大事にしてきた物事」を失いながらも、しかし、それによって多くの可能性を獲得してきたという歴史を参照している。そして、この時代でも、私たちは何かを失う運命にあるなら、ただ失うのではなく、やはり新たな可能性が生まれるようなかたちで失うべきなのだ。

 堀内はリチャード・セネットを引用して次のように述べる。

 かつてリチャード・セネットは、ルーティンワークは卑しいかもしれないが、それでも人間を守ってくれると言った。「ルーティンワークはAIに、創造的な仕事は人間に」というのは聞こえは良いが、創造的な仕事は、いつまでも終わらない仕事であるし、人間コミュニケーションも、ときには承認疲れや気疲れを引き起こす、終わりのない実践だ。そうした仕事や実践に、始終邁進せざるを得ない世の中に本当にしてよいのだろうか。(p199)

 そう考えるとき、次の可能性と引き換えに失うべきなのは、他ならぬ「ヒューマニズム」かもしれないのである。
 人工知能に対して、何かといえば「人間らしさ」を持ち出して対抗しようとするありふれた発想から脱却しようとする本書の考え方は私には新鮮に感じられた。
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by syunpo | 2018-08-05 19:10 | 社会学 | Comments(0)
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