●大江健三郎、柄谷行人著『大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人』/講談社/2018年6月発行
柄谷行人は座談・対談記録を数多く書籍化しているが、大江健三郎とこれほどの濃密な対話を交わしていたことは迂闊にも知らなかった。収録されている三つの対談は、それぞれ一九九四、九五、九六年に行なわれたもの。大江のノーベル賞受賞と相前後する時期にあたる。内容的には今日読んでもさほど古さを感じることはない。 《中野重治のエチカ》と題された対話は、文字どおり中野重治に関するもので、読者を選ぶテーマといえるかもしれない。冒頭で「ちょっとの違い」にこだわった中野の態度に今日性を見出そうとする柄谷の問題提起が精細を放っている。大江もそれを受けて「そういう細部に引きつけられて、まず彼の詩集を読み、彼の小説を読んできた」と応じる。全体をとおして中野の再評価を促すような対話で、実際、私も中野に関する関心を呼び起こされた。 《戦後の文学の認識と方法》では、柄谷が文学批評家としてスタートしたことの背景から始まって、日本の戦後文学をめぐる危機感を共有しあう対話が展開される。それは世界的な視野をもった大きな問題意識に支えられた議論であることはいうまでもない。 柄谷が批評家として出発した当時を回想する発言が興味深い。 僕にとって、批評とは、思考することと存在することの乖離そのものを見ることでした。といっても、それは抽象的な問題ではなく、日本の近代以降の経験、あるいはファシズムと戦争の経験、そういうものを凝縮した問題だと思うんです。それはいわゆる哲学や、社会科学や、そういったものからは不可避的に抜け落ちてしまう何かです。逆に、批評という形式においてなら、どんなことでも考えられるのではないか、と思ったのです。(p71) それに対して、大江は哲学と文学の間を橋渡しするような柄谷の仕事に敬意をはらいつつも、そのほかの批評家全般に対しては批判的だ。いわく「日本の批評家は、日本語と固有名詞に全面的に寄りかかっている。あるいはそれを手がかりにしていて、日本語と切り離すと普遍的な問題は出てこないのみならず、なにひとつ進まないという仕事をずっとしてきたのじゃないか」。 柄谷はそれに関連して、日本文学がもっぱら「美的対象」として海外に受容されていることに言及する。「西洋人が、小説家を選んで翻訳し、紹介したとしても、それが美的対象としてであるならば、だめなんだと思います」。 大江がそれを受けて、中上健次でさえ海外では美的対象の枠内で読まれていることを指摘しているのには考えさせられた。「戦後文学は普遍的なものを目指したが、日本の中にとどまってしまった」と大江はいう。 そこで、日本文学が陥っている窪みというか、下降傾向を全面的に押し返すような若い作家の仕事が欲しいと思うんです。それも、これから出てくる新人に期待するというのじゃ遅い。今仕事をしている人たちも力を込めて大きい仕事をするということでなきゃ達成されないと思う。(p130) 大江のノーベル賞受賞講演「あいまいな日本の私」をベースに語り合った《世界と日本と日本人》では、 文字どおり「あいまい(ambiguous)」をキーワードに日本文学のあり方を構想する。 「ambiguous」に対しては「ambivalent」が対置されているのだが、その話はいささか複雑なので、ここで詳しく要約することは控えよう。 いずれにせよ、大江は「あいまい=両義性」の価値を山口昌男から教えられたという。人間の心の浅い層では二つの極に引き裂かれたあり方はよくないけれど、「深い層では、両義的ということがなければ、人間も国家も成立しないという気持ちももっています」。 柄谷はそうした両義性を「ユーモア」と関連づけているのがおもしろい。人間存在の両義性を見いだしたこと自体は歴史的な認識だが、それがユーモアにつながるのだ、と。 ミラン・クンデラを引用した大江のフォローもなかなか良い。 小説はそういう両義性を発見するが、両義性を一つの意味に整理することは必要ではなく、両義性の間で揺れている、ひもの上で芸をしているんです。それは恐ろしいことですし、悲惨なことですけれども、同時に、笑いも誘う。(p149) 途中気になったのは、大江が小説というジャンルの終焉を意識した発言をしていること。それには柄谷も同様の思いを口にしている。さらに八〇年代後半に「終わり」ということが個々人の問題とは別に出てきたのではないかと話を一般化しているのだ。 この種の話にはあまり乗れないなぁと思いつつ読み進めていくと、後半に向かうにつれ、いつのまにかそうした認識は後景に退き、文学の復興を目指す言葉に熱を帯びてくる。二人の大御所による「文学の終わり」という発言もまた「ambiguous」な意味合いを含んでいるのだろう。
by syunpo
| 2018-08-08 19:02
| 文学(小説・批評)
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