ブログトップ

ブックラバー宣言

syunpo.exblog.jp

言語をめぐる冒険〜『真ん中の子どもたち』

●温又柔著『真ん中の子どもたち』/集英社/2017年7月発行

b0072887_18385295.jpg 台湾人の母と日本人の父のあいだに生まれた琴子。三歳の時に台湾から日本に移住し、日本語を「母語」とする生活を送ってきた。中国語を学ぶために上海の漢語学院に短期留学する。小説はそこでの体験談という形式を採る。とりたてて大事件が起きるわけではない。日々の些細な出来事が日本語と中国語の会話をまじえながら綴られていく。

 遭遇した人たちのちょっとした一言が琴子を落ち込ませたり、あるいは元気づけたり。言語や国籍にまつわる話題にあっては、まさに言葉そのものが凶器にも心のカンフル剤にもなりうるのだ。言葉の暴力。言葉の包容力。言葉の魔力。

 言葉はかくして主人公や周囲の登場人物たちに葛藤をもたらす。作中をとおして常に聴こえているのは「国語とは?」「言語とは?」という問いかけである。

「国語」という概念のイデオロギー的側面を指摘する言説はすでに数多くある。本作においては「正しい中国語」を琴子に厳しく教えようとする陳老師が象徴的な存在である。まさに「国語」という制度を良くも悪しくも体現した人物とでもいえばよいか。陳老師は琴子の発音に関して巻舌のことを事細かに指導したり、造語など話者独自のレトリカルな表現を容赦なく斥けようとするのだ。「あなたは変です」とまで言う。そのことで彼女は傷つき、「私自身が否定された気分」すら覚える。

 もちろんそのままでは終わらない。後半に転機は訪れる。陳老師の態度にも……。
 読み味は悪くない。ただ全体をとおして作者の抱えている主題が文学の言葉で充分に表現されているかといえば、疑問が残らないではない。説明的な記述が目立つのがいささか文学的興趣を削いでいるように感じられるのだ。芥川賞の選考委員の一人は「退屈」と評したらしい。そこまではよい。

 ただしここに描かれてあることを「対岸の火事」と一蹴してしまったことにはまったく同意できない。そのような読解に対しては、むしろ本作を擁護すべきではないかと強く思う。

 言語は、ある言語圏と別の言語圏の境界線を超えてやってくる越境者の活動によって活性化されてきた。日本語とて例外ではない。万葉集の昔から日本語は越境者や外来の言葉によって形成され練り上げられ鍛えられてきたのではなかったか。そうした世界の歴史を想起するならば、本作は「特別」なアイデンティティをとおして言語という普遍的な主題に向きあった作品といえるだろう。仮に作品として未熟さを感じたとしても、主題に対して「対岸の火事」と他人事にしてしまうのは愚鈍というべきである。
[PR]
by syunpo | 2018-09-17 18:46 | 文学(小説・批評) | Comments(0)
<< 「不純」な世界で生きていく〜『... 今こそ反緊縮政策を〜『そろそろ... >>