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ブックラバー宣言

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詩人がパフォーマーに近づくとき〜『対詩 2馬力』

●谷川俊太郎、覚和歌子著『対詩 2馬力』/ナナロク社/2017年10月発行

b0072887_19111969.jpg 谷川俊太郎と覚和歌子による詩のキャッチボール。連句・連歌の伝統をもつ日本の詩歌の歴史を振り返れば、連詩・対詩のような企ても自然なものと考えられ、実際、過去にもいろいろな試みがあったらしい。ただ現代詩の世界で書籍化できるレベルの完成度に達したのは本書が初めてかどうか知らないが珍しいのではないだろうか。

 谷川が、狭い読者層を対象にした難解な現代詩の世界に対する違和感から出発したことは折りに触れ本人が広言してきた。また詩の発表を活字媒体だけに限定せず、詩の朗読などライブ活動に注力してきたこともよく知られている。その意味では本書のようなスタイルの対詩集を出すことは谷川らしい実践ともいえよう。

 谷川はまえがきに次のように記している。

 詩はふつう独りで書くものですが、そのとき作者はどこかで読者を意識していると思います。独りで書く時には見えない読者が、ライブ対詩では目の前に見えている。その違いは小さなものではありません。(p3)

 本書は、そのようにして行なわれたライブ対詩の作品を収録するとともに、二人が取り交わしたいくつかの対談を挿入している。二人の創作活動とその舞台裏が一冊に凝縮されているといえばよいか。

 覚和歌子は詩人としてよりも作詞家としての印象が強いが、詩に関しては「朗読するための物語詩」というジャンルを開拓したことでも知られているらしい。谷川も対談のなかでそのことに言及して覚作品への関心の在り処を語っている。

 二人の詩のやりとりは、付かず離れず、絶妙の間合いをとりながら展開されていく。「相手の言葉に触発されて自分でも思いがけない言葉が出てくる」(覚)ことも詩の作り手にとっては対詩の醍醐味の一つなのだろう。

 ちなみに詩をつなげていくには、相手の一つの言葉を受けるような方法だけでなく、前句と対向する視点で付ける〈向付〉を用いたり、雰囲気でつなげる〈匂い付け〉をやったり、いろいろな技法があるらしい。

 末尾の作品にはフレーズごとに作者のコメントも付されていて、読解のヒントが示されている。現代詩の難解さに辟易している読者に対しても詩の可能性を感じさせるに違いない、ユニークな詩集といえるだろう。

 1 ランチタイムのざわめきの中に

   もつれている意味と無意味

   はるか遠くにたたずむ山々に向かって

   幼児がむずかっている (俊)

 2 山はいつもここにある

   森の呼吸を忘るるなかれ

   経済危機も温暖化も基地問題も

   高天原から見れば解決はちょろいのだが (覚)

 3 久しぶりの祖父の大言壮語の愛嬌に

   カナダの大学で学ぶ孫は生真面目に反論している (俊)

 4 ドミトリーのセントラルヒーティングが

   調子の良かったためしはなくて

   あっちからもこっちからも

   聞こえてくるパイプを叩く音

   それが宿題するときのBGM (覚)
   (p106〜107、〈駒沢通りDenny's Ⅰ〉より抜粋)

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by syunpo | 2018-11-17 19:17 | 文学(詩・詩論) | Comments(0)
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