前川喜平は文科事務次官を退官後はすっかりマスコミの寵児になった。文科省のこれまでの政策と現在の前川の発言に齟齬を感じることもなくはないのだが、退官後の発言だけを読めば真っ当なものが多いと思う。本書は全日本おばちゃん党代表代行で大阪国際大学准教授の谷口真由美との対談集である。 現在の教育全般に対する批判や注文、ラグビーにおけるフェアネスの精神、前川の官僚時代の挿話、〈桃太郎〉の問題点、憲法と教育基本法……などなど話題は多岐にわたる。全編をとおして社会や公権力に対する批判精神の重要性を説いているのが本書の肝といえるだろう。 谷口の専門が国際人権法ということで、当然ながら人権問題や教育にまつわる権利の問題には熱がこもる。前川の憲法論も教育を重視したもので、それはそれで傾聴に値するものだ。 憲法で平等権と言ったら普通は憲法第14条のことを考えますけど、私は教育に関する平等権は、憲法第14条の平等よりも広いと思っているんです。(p149~150) 私は、本当に主権者が主権者たり得るためには、知る権利だけではなくて、「学ぶ権利」がちゃんと保障されていないといけないと考えています。学ぶということがいかに大事かということを最近、痛切に感じているんですね。(p207) 対する谷口も親しみやすい関西弁で噛み砕いた話しぶりで前川の話にうまく絡んでいく。「主権者の作法」という表現を使いながら主権者の体たらくに鞭打つ言葉が印象的だ。 ……主権者の作法があると思うんですね。主権者として同じフィールドで議論しなきゃいけないことがたくさんあるのに、大半は「難しいことは分からへん」と平気で言う。難しいことが分からへんことをそんな自慢気に言うなよ。反知性とか非知性って言われて何年か経ちますけど、知らんことがそんな偉いですか。(p207) 前川が高校時代にラグビーをやっていた話をすれば、谷口も子どもの頃、両親の仕事の関係で花園ラグビー場のメインスタンドの下にあった近鉄の寮に住んでいたと応じる。ラグビー選手と「楽しく暮らしていた」時期があったのだ。そうしたことから二人のラグビー談義に花が咲くのも愉しい。谷口が引く「君たちはなぜ、ラグビーをするのか。戦争をしないためだ」という大西鐵之佑の言葉もおもしろい。 これからの道徳教育や公共教育に二人が強い違和感を表明するくだりも本書の読みどころの一つ。ありていにいえば国家による思想統制や管理が露骨に目指されているのだ。前川の発言は教科書や学習指導要領の内容を踏まえた具体的なものなので、危機感の表明にも説得力が伴っている。今使われている教科書には「上の言うことを聞け」「無制限に働くのはいいことだ」というような話ばかりが掲載されているのだという。 さらに驚くことには、社会科の学習指導要領には、すでに天皇を敬愛すると書いてあることだ。象徴天皇に対して国家が「敬愛」の対象とする方向で教育に踏み込むのは明らかに憲法理念や戦後民主主義とは相容れない。 「道徳」が最初に導入されたのは、一九五八年の岸内閣の時代らしい。岸と安倍という二人の政治家が道徳教育による国民統制を志向する──いかにもわかりやすい戦後史の系譜の一つだが、前川によれば「岸内閣が『道徳』を最初に導入したときの学習指導要領のほうが今よりもまだマシ」だという。岸政権下では「自分たちで決めた決まりを守る」と書いてあるからだ。 自分たちで決めた決まりを守る。それが都合悪ければもう一遍、また決め直すという話がビルトインされているわけですから、これは自治とか民主主義につながる考え方ですよね。ところが、今の学習指導要領は「決まりを進んで守る」に変わってしまった。その決まりができた経緯とか、変えられる力があるということはまったく不問。そこはなくなってしまった。(p235) 上野千鶴子が今年度の東京大学入学式で行なった(東大への批判を含む)祝辞に対して揶揄しているツイートを読むと大半が陳腐な言葉遣いの低劣なもので、上野批判が批判のレベルに達していない。いかにこの社会の人びとが批判の作法を身につけていないかを痛感する。長きにわたる自民党的な教育行政は着々と成果を上げてきているのだ。この流れに対抗するのは本当に難事だと思わずにはいられない。 その状況をみるにつけ日本では「民主主義を自分たちで勝ち取っていない」から云々というやりとりが前半に何度も出てくるのは理解できなくもない。が、同時にその手の常套句はもう聞き飽きたという思いも拭えない。後続世代には歴史的条件を書き換える術はないのだから、そんな繰り言を重ねても詮無きこと。いかなる歴史的経緯があろうとなかろうと民主主義の看板を掲げていく以上は自分たちで民主主義を鍛えていく以外にないではないか、と強く思う。
by syunpo
| 2019-04-15 19:22
| 政治
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