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社会学者の意外な一面を読む〜『ひとりの午後に』

●上野千鶴子著『ひとりの午後に』/NHK出版/2010年4月発行

社会学者の意外な一面を読む〜『ひとりの午後に』_b0072887_18533114.jpg 社会学者・上野千鶴子の一味違ったエッセイ集とでもいえばいいか。版元の謳い文句は「『けんかの達人』と呼ばれるフェミニストの意外な一面」。食べ物のことや余暇の過ごし方、好きな音楽、花鳥風月にまつわる雑感などなど、肩のこらない随想が多く含まれる。NHK出版の雑誌「おしゃれ工房」に連載した文章を書籍化したものである。

 洛北にある和菓子屋の季節限定の栗かのこの美味しさを熱く語り、かすていらの来歴を振り返って日本のお家芸であるアレンジ文化にさりげなく言及する。

 夕陽を見ることのできる土地に住むのが夢だったと書いた後にこれまで世界各地で見てきた夕陽を挙げていく文章も読ませる。インド・ムンバイでの揺らめきながら燃え立つような日輪。バンクーバーのゆっくり沈んでいく夕陽。アイルランド・ドネガルで突風を浴びながら見た大西洋に落ちていく夕陽……。「夕陽は誰にも属さないし、ひとり占めもできない。いくらでもほかのひとたちと分かち合うことができる」。

 浅川マキを語る口調にも熱が帯びる。女を歌う演歌の御都合主義に毒づき、フォーク歌手の感傷には辟易し、ニューミュージックの能天気ぶりをあげつらう。そして浅川マキの「かもめ」を聴いたときの思いを想起する。「浅川マキの歌では、女はかもめのように自由だった」と。

 もちろん研究者としての面が色濃く滲み出た文章もある。〈本棚〉と題した一文には「にんげんのアタマのなかは、九九パーセントまで他人のことばとアイディアの借用で成り立っている。オリジナルは残りのわずかな部分だけ」というフレーズが出てきて瞬時に同感する。自分のアタマで考えることの重要性を説く声が喧しいが、自分のアタマと他人のアタマの区別はさほど自明ではないと私は常々思っている。

 家族持ちではないが「人持ち」であることの楽しさ、あるいは「ひとりが苦にならないひとはひとりでいたらよい」と述べているのはいかにも上野らしい。もっとも「おひとりさま」の増加は日本社会の趨勢であって、本書でもその事実を意識した文章がいくつか収められている。

「アーティストや作家という職業と、社会学者というダサい職業であることの決定的な違いは、想像力よりも現実の方が豊かだと思うかどうかだと思っています」と上野は『思想をかたちにする』のなかで語っている。上野の社会学者としての矜持はその言葉に凝縮されているように思う。

 何はともあれ、本書は上野社会学を理解するうえでも示唆に富む一冊に違いない。なお本書は二〇一三年に文藝春秋によって文庫化されている。

by syunpo | 2019-05-05 08:56 | 社会全般 | Comments(0)
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