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家族関係にもメンテナンスが必要〜『子育てが終わらない』

●小島貴子、斎藤環著『子育てが終わらない 「30歳成人」時代の家族論 新装版』/青土社/2019年3月発行

家族関係にもメンテナンスが必要〜『子育てが終わらない』_b0072887_19104696.jpg 本書刊行後の二〇一九年三月、内閣府は四〇〜六四歳の「ひきこもり」が全国で六一万人いるという推計値を公表した。「ひきこもりは若者特有の現象ではない」ことがあらためてお役所的にも確認されたわけである。ひきこもりの長期化・高齢化は今や日本社会の深刻な社会問題といえるだろう。

 行政や教育の現場で就労困難な人々の支援活動を行なってきた小島貴子。「社会的ひきこもり」を日本ではじめて世に訴えた精神科医の斎藤環。二人がひきこもりをめぐってあるべき親子関係や夫婦関係を考えていく。結果、ひきこもっている人たちだけでなく、あらゆる人々にとっての人間関係の構築に深い示唆を与えてくれる対話となった。

 人の成熟が遅れているのは世界に共通する必然的な流れだと斎藤はいう。先進国であるほど教育期間が延びている。精神医学的にはモラトリアムが延長するということだが、自己決定をしなくてよい期間が教育期間とほぼパラレルに延びているのが今の状況だ。

 かつてのように子どもがすぐ労働人口に組み込まれる時代であれば、成熟の遅れなどとは言っていられなかったわけですけれども、豊かな社会になってきて、社会的なインフラが整備されていきますと、急いで成熟しなくてもよくなる。社会心理学者のマスグローブは、「青年期は蒸気機関とともに発明された」と指摘しています。いわゆる成熟社会とは、社会のインフラが整備されて、ハンデがある人でもひとりで生きていきやすい社会のことでもあります。未成熟さもハンデのひとつと考えるなら、成熟社会は未成熟に対して寛容な社会とも言えます。(斎藤、p22)

 斎藤はひとまずそうした社会変化を肯定したうえで、ひきこもりの高齢化を一種の「副作用」と見なすのである。この基本認識は決定的に重要だ。そのような歴史的条件を踏まえて具体的な傾向と対策を探っていく。この種の論題につきまとう凡庸な精神論など入り込む余地はない。

 最も印象に残ったのは、夫婦関係を見直さない限り、親子関係の問題は解決しないことが繰り返し強調されている点だ。

 日本の家庭は「母子密着+父親疎外」が一般的な形態である。そのような状態で定年期を迎えるときに夫婦二人きりになる息苦しさを想像して「子どもたちにはもう少し家にいてほしい」とつい願ってしまうことがある。その願望は子どもにも伝わる。

 これでは子どもの自立がなかなかできないのは当然で、母親の無意識的な欲望が、子どもを縛ってしまうわけです。
 これを断ち切るためには、やはり夫婦関係が最大の鍵を握っていると私は考えていて、とくに熟年期を迎えて以降の夫婦関係を見直すということが大切だと考えています。(小山、p70)

 また相手に対する肯定の大切さを説いていることも本書全体を貫くキーコンプの一つ。具体的には「あいさつ」「誘いかけ」「相談事」「教わる」といったコミュニーケーションのあり方が相手への肯定を示すことになるという。

 不勉強で恥ずかしながら「レジリアンス」という言葉を本書で初めて知った。斎藤の説明は以下のようなものである。

 いま精神医学では「レジリアンス」という言葉がたいへん流行っています。同じストレスを受けて傷つく経験をしても、そのストレスで病気になる人と、あるいはそのストレスを糧にしてより成長する人と2通りいます。この違いをレジリアンスと言うんですね。病気に対抗する力のことで、「抗病力」などとも訳されます。
 このレジリアンスの強さを決める条件のひとつが、子ども時代の、親からの無条件の肯定であるということがよく言われています。(斎藤、p87〜88)

 この話の流れで「以心伝心」的な会話は親子関係においては否定的な評価がくだされる。斎藤によれば「親子関係の間では以心伝心がはじまってしまうと子どもはどんどん退行していきます。子どもが幼児化してしまうということですね」。

 このほか問題解決のさいにコミュニーケーション不全を起こすものとして「決めつけ」「分担」「威圧」「提案」などのパターンも回避すべきものという。

 斎藤は子どもの自立のための一案として、思春期を迎えた段階で、いつまで面倒を見るのかというタイムリミットを伝えることを提案している。また小島は、一定の枠内でお小遣いをどう使うかを考えさせるなど、子どもの経済的自立を助けることも大切だと指摘する。

 予期せぬネガティブな出来事を予防しすぎないことも重要である。そのような出来事もまたひとつの学習の機会になる可能性があるからだ。

 学校教育との関連では、斎藤が、成績評価が全人的評価になったことの弊害を指摘している点もなるほどと思う。知識・技能よりも関心・意欲・態度を重くみる「新学力観」という評価方法だが、これにより、子どもたちは以前に比べ素直になったと言われている。

 ほんらい自信というものは、そういった評価とは別のところで確保してほしいんですが、いまの子どもは、自信の獲得と評価がセットになった狭い回路に閉じこめられてしまっている。(斎藤、p153)

 自信のなさはひきこもりやニートに多く見られる傾向であることはいうまでもないが、教育現場における評価基準の変革がひきこもり予防には役立ちそうにないのは残念というほかない。

 いずれにせよ、二人の対話はとくにひきこもりの問題を離れても読める内容で、人が家庭や社会で豊かな人間関係を築いていくうえできわめて示唆に富むものである。副題にもあるように、現代社会に向けた現場からの家族論といえる。

by syunpo | 2019-05-07 21:18 | 社会全般 | Comments(0)
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