●大塚英志著『感情天皇論 』/筑摩書房/2019年4月発行 天皇について考えることを日本人はサボタージュしてきた。冒頭で本書の核心的な認識が提示される。思考する代わりに感情の共感をもってやり過ごす──これが明仁天皇の「お気持ち」発言以降の国民の処し方であった。もちろん大塚英志は本書を通して、自己批判を混じえつつそのことを厳しく糾弾する。 大塚は明仁天皇に「感情労働」を見出す。これはなかなかの卓見ではないか。 「感情労働」とは身体やモノやテキストに物理的、あるいは情報処理的に作用する労働(身体労働、あるいは頭脳労働)ではなく、文字通り相手の「感情」に作用し、同時にそのために自分の感情を用いる「労働」を言う。(p20) 明仁天皇が自身の高齢化によって「国事行為や、その象徴としての行為」に充全に対処しきれないと語る時、「象徴としての行為」こそが「感情労働」の領域なのである。 そのような「感情天皇制」成立のプロセスや構造、あるいはその終焉への予兆を、文学や映画の作品をとおして浮かび上がらせるのが本書の狙いである。一九六〇年前後に発表された「不敬文学」、映画『シン・ゴジラ』、古市憲寿の『平成くん、さようなら』などが俎上に載せられる。 ここでいう「不敬文学」なる表現は渡部直己からの引用だが、三島由紀夫、石原慎太郎、大江健三郎、小山いと子らのテキストを詳細に分析する論考は知的刺激に満ちている。 それに続く『シン・ゴジラ』論も秀逸。ゴジラを天皇制に基づいた貴種流離譚の一種として読み解いていく見方には納得させられた。 ……『シン・ゴジラ』の中に貴種流離譚の枠組を的確に読みとったのは職業的批評家の中にではなく観客の側にいた。「ゴジラそのものがヒルコ、カグツチ、スサノオなど「僕たちイザナギにネグレクトされました!」っていう古事記の父なし児ぜんぶを合わせたような感じなんだよなぁ」(甘粕試金/現在はアカウント削除)というツイートはその代表だろう。 「シン・ゴジラ」がオタマジャクシの後ろ足が生えたような姿で這うように当初現われ、それが立ち上がり手が生える、という展開をこれも映画を見る前にスマホで最初に読んだ時、ああ、つまりは蛭子なのだな、と納得した。それで、誰かそういうことを言っていないかな、と検索したらこのツイートが最初に引っかかった。この人がどういう人か知りもしないが、これは短いが良い批評だ。(p219) この解釈からは当然ながらゴジラが向かおうとした先は皇居だということになるだろう。しかし皇居を前にしてゴジラは凍結させられる。いわば貴種流離譚という説話装置は停止させられる。シン・ゴジラの世界は、天皇制を忌避したのではなく、確信犯的に天皇制の存在しない世界を選びとったというのが大塚の見方である。 そのような結論を導くにあたっては先行する不敬文学や原一男=奥崎謙三の『ゆきゆきて、神軍』を比較対照している。そのことで論旨をより鮮明にすることに成功していると思う。 ちなみに、加藤典洋はゴジラが再び動き始めた時「サスペンスフル」な行き先として「米軍基地」や「福島第一原発の原子炉」を挙げているのだが、そのような批評に対して大塚は「批評家の劣化」をみてとっていて、なかなか手厳しい。 古市憲寿の『平成くん、さようなら』をめぐる論考は古市自身の数々の「炎上」案件を批判しながらも、天皇論の見地から一定の評価を与える読解は大塚の懐の深さが窺われるもので、納得させられた。 そのような批評的考察を行なった後に、あらためて提示される天皇制の現状への批判は辛辣である。それは昨今提起されている数多の天皇制論の中でも最も根元的な思考に基づく言説のひとつだろう。 ……今回の退位に最も問題があったとぼくが考えるのは、「国民の総意」でこれからも天皇を退位させられる前例ができたことだ。今や左派がリベラルな天皇を以って政権の暴挙を牽制しようとしているが、こういう二重権力は、パブリックなものの形成を損なうだけでなく世論の形を借りて政権の気に入らない天皇を退位させることを可能にする。権力の暴走抑止は三権分立の仕組みと選挙によってのみなされるべきである。天皇という三権の外側に抑止機能を求めてはいけない。(p328〜329)
by syunpo
| 2019-06-01 19:30
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