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ノーベル賞候補作家初の短編集〜『天使エスメラルダ』

●ドン・デリーロ著『天使エスメラルダ 9つの物語』(柴田元幸、上岡伸雄、都甲幸治、高吉一郎訳)/新潮社/2013年5月発行

ノーベル賞候補作家初の短編集〜『天使エスメラルダ』_b0072887_09221903.jpg ドン・デリーロ初めての短編集。『ポイント・オメガ』を読んでもっと他の作品にも触れてみたいと思い、ほぼ同時期に原著が刊行された本書を手にとってみた。

 多様な題材の作品が収められているが、デリーロの作風というかスタイルにある傾向を見てとることができたのは収穫。強く印象づけられたのは、作中の登場人物が偶然見かけた人間の人となりや家族構成などを具体的に想像(というより妄想に近い)する場面が度々出てくること。

〈ランナー〉では、公園で子供が拉致される場面に出くわした女性が犯人は離婚後の父親であると決めつける。親権を持っている母親から子供を奪ったというわけである。
〈ドストエフスキーの深夜〉においては、学生二人が街中で見た老人の生活ぶりを詳細に語り合う様子が作品の重要な要素になっている。
『ポイント・オメガ』でも、展覧会場で語り手の人物が男性二人組の関係について想像をたくましくするくだりが印象的だった。

 デリーロ自身はインタビューの中で「私はやったことはありませんが、異質な誰かの人生を再創造したがる人たちのことはたやすく想像できます」と語っている。
 まさに小説における人物造型の欲望やプロセスが作中人物の対話や想像という形をとおして、自己言及的に叙述されているようにも読める。

 またビジュアル作品をとおして主人公たちが一つの啓示を得たり、高次の境地に至るのもデリーロ作品の一つのパターンといえそうだ。

〈バーダー=マインホフ〉では、ドイツ赤軍のメンバーの死を描いた絵画を見た女性が、画面を何度も観ているうちに十字架が浮かび上がるのを感知して、テロリストたちも許され得ると感じる境地に達する。
『ポイント・オメガ』でも、映像作品を繰り返し鑑賞する「匿名の人物」がそこから得られた霊感のようなものを延々と述懐していたものだ。そうした描写からは、デリーロ自身の映像に対する独特のセンスを感受できる。

 そのほかの作品では、表題作〈天使エスメラルダ〉が不思議な魅力を発している。荒廃したスラム街で不幸な殺人事件が起きた後に出現する奇跡を描いたもので、年老いた修道女の揺るぎない使命感が印象的だ。都甲幸治は「宗教とは違う形での信仰」と解説しているけれど、私にはこれこそ宗教の信仰そのものを文学的に表現したものという感じがする。無論それは最大級の褒め言葉である。

〈第三次世界大戦における人間的瞬間〉は、宇宙船から戦争中の地球を眺める二人の飛行士のやりとりを綴った風変わりな掌編。船内の高度なテクノロジーの描写が淡々とつづく中で、突然、半世紀も前のラジオ放送を受信する場面が入りこんでくる。それは確かに一つの「人間的瞬間」だった。

 ギリシャで暮らす外国人の男女が大地震とその後に続く余震の中で生きる恐怖と不安を描き出した〈象牙のアクロバット〉も佳品。「大地」を一つのキーワードにしている点では、クライストの《チリの地震》を想起させて興味深く読んだ。

 都甲のあとがきによると、デリーロ作品は日本ではかつて何冊も翻訳書が刊行されたが、絶版になったものが多いという。毎年ノーベル賞候補に名前が挙がっている作家にしては淋しい話である。

by syunpo | 2019-06-15 19:10 | 文学(翻訳) | Comments(0)
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