●ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン編著『歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史』(小坂恵理訳)/慶應義塾大学出版会/2018年6月発行 ……歴史関連の学問では、自然実験あるいは比較研究法と呼ばれる方法がしばしば効果を発揮している。このアプローチでは、異なったシステム同士が──できれば統計分析を交えながら量的に──比較される。この場合、システム同士は多くの点では似ているが、一部の要因に関しては違いが顕著で、その違いがおよぼす影響が研究対象となる。(p8) その意味では「自然実験」とはあくまで比喩的な表現というべきかもしれない。 たとえば、ドイツにおける地域ごとの経済発展のばらつきをフランス革命の影響との関連で分析する論考では、フランスによる侵略と改革を受けた地域は「処置群」に、そうでなかった地域は「対照群」に喩えられる。 ちなみにその「実験」からは「フランスが導入した制度改革が都市化を促したため、改革とは縁のなかった地域よりも経済が成長したこと」が推測されている。 本書はそのような自然実験に基づく論稿を集めたアンソロジー。書き手の専門分野は、歴史学のみならず、進化生物学、開発経済学、政治経済学など隣接する様々な分野にまたがっている。 パトリック・V・カーチは、ポリネシアの三つの社会を実験的に細かく比較しながら、文化が進化する過程でないまぜになった相同と相似を解きほぐしていく。 マンガイア島、マルケサス諸島、ハワイ諸島はいずれも同じ文化的基盤から歴史の軌跡を歩み始めたが、千年後には大きく異なる社会を形成した。相対的に資源に恵まれていたハワイでは余剰作物が安定的に供給されるようになると、他のエリアには見られない国家形態すなわち首長国から王国へと政治システムを移行させた。 ジェイムズ・ベリッチは一九世紀植民地に共通する成長の三段階を描き出して卓越した議論を展開している。 かつて欧州の植民地支配を受けた七つの地域でのフロンティア社会の発展を比較してみると、どこでも同じようなサイクルをたどっているという点に驚かされる。すなわち、ブーム、バスト(恐慌)、移出救済という三段階のサイクルである。 本書のケーススタディの多くは、撹乱(処置)の違いや初期条件の相違がもたらした結果の違いの説明に重きを置いているのだが、ここでは共通点が導き出されている。 銀行制度の成立過程を、アメリカ、ブラジル、メキシコの三地域で比較したスティーブン・ヘイバーの論考も興味深い。この三カ国ではアメリカが最も機能的な銀行制度を発達させた。詳細は省くが、自然実験を経て見えてくるのは銀行制度と民主政治との密接な関係である。 ……大きな構造のなかで競争がうまく機能する銀行制度が誕生するためには、官僚の権限と決定権が制度によって限定されることが条件であり、そこには効果的な参政権の導入が関わっている。(p126) ジャレド・ダイアモンドは、二つの論考を寄稿している。 一つは同じ島を二分しているハイチとドミニカ共和国の発展の違いが何故生じたのかを考察したもの。もう一つは、太平洋の島々の社会を定量的に比較して、イースター島でポリネシア人による森林破壊が引き起こされ、部族間抗争が頻繁するようになった理由を解明する。 イースター島で森林破壊が進んだのは、住民が特に近視眼的で、風変わりな行動をとったからではない。不運にも、太平洋で最も壊れやすい環境の島に住みついたからだ。厳しい環境のなかで、木の再生率はどこよりも低いレベルにとどまった。(p143) ネイサン・ナンは、奴隷貿易がアフリカに与えた影響を考察。奴隷貿易がその後のアフリカの経済発展に悪影響を及ぼしたことを論証している。「アフリカでも特に多くの奴隷が連れ去られた地域は、今日のアフリカで最も貧しい地域である」という結論は衝撃的だ。 アビジット・バナジーとラクシュミ・アイヤーは、イギリスのインド統治をインド各地の比較において検証する。植民地時代に採用された地税徴収制度の違いによって、その後の発展の軌跡が大きく異なることを明らかにした。 ダロン・アセモグルら四人は共同研究によってフランス革命の拡大が与えをた影響の自然実験を行なっている。前述したように、フランス革命はその後の各国における経済成長にも影響を及ぼしたことが詳らかにされるのである。 自然実験という方法を明確に打ち出した本書にあっては、少なからぬ論稿が論題の詳述以前に自然実験としての学問的精緻さを担保するために、前提となる実験手続きに関する説明に多くの紙幅を費やしている。もちろんその作業があってこそ、結論に説得力をもたらしていることは確かだが、ややもすると一般読者にはかったるい読み味を醸し出しているといえなくもない。無論そのことが本書を評価するに際してマイナスになることはないと思うが。 ちなみにスペシャリストの歴史学者の一部からは、自然実験という方法そのものに否定的な見解が提起されているらしい。 「私は四〇年におよぶ学者としての人生をアメリカの内乱の研究にささげてきたが、未だに十分に理解できない。それなのに、内乱全般についてどのように論じられるだろう。いや、アメリカの内乱をスペインの内乱と比較するのも不可能だ。私はスペインの内乱の研究に四〇年の歳月を費やしていないのだから。……」と。 それに対する反論はすでに本書の記述全体でなされていると思われるが、念のために編著者のあとがきの言葉を引いておこう。 ……たしかに、ひとつの出来事を長年研究していれば、それはひとつのアドバンテージになるだろう。しかし出来事を従来とは異なる新鮮な視点から眺めたうえで、ほかの出来の研究から手に入れた経験や洞察にそれを応用すれば、従来とは異なるタイプのアドバンテージが得られる。(p272) 余談ながらこのような学問的方法は、歴史学や人類学を専門とするわけではない著作家たちにも影響を与えている。最近では柄谷行人が本書から示唆を得て『世界史の実験』を書いたことを言明しているほどだ。優れた知の実験には種々の垣根を越えていく力があるということだろう。
by syunpo
| 2019-06-23 21:20
| 歴史
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