●冨田章監修『愛の旅人シャガール展 カタログ』/朝日新聞社、サントリーミュージアム[天保山]/2006年4月発行
サントリーミュージアム[天保山]で開催中の『愛の旅人 シャガール展』を観てきた。本展は日本国内の主要なコレクションから、版画一〇〇点、絵画二七点を集め、「生と死」「聖なる世界」「愛の歓び」「サーカス」「自画像」という五つのテーマにわけて展観している。 カタログは、同ミュージアム首席学芸員の冨田章監修によるもので、出品されている全作品を解説入りで収録しているのはもちろんのこと、シャガール年譜も充実しており、資料価値としても高いと思われる。 * * 絵画は、どの方向から見ても鑑賞に堪える作品でなければならない。マルク・シャガールはそう考えていた。キャンバスを、逆さにしても横に転がしても作品として成立すること。それが絵画の条件なんだ、とシャガールはいうのである。 なるほど、その絵画観を具現化した最もわかりやすい例としての《逆さ世界のヴァイオリン弾き》では、そこに描かれた家も花瓶も上下が逆になっていて、思わず、画面をひっくり返したくなる。それでいて、そのまま鑑賞しても決して不安定な印象をもつことはない。 あるいは三重県立美術館収蔵の《枝》。ブルーを基調とした背景に空中で抱き合うカップルが描かれ、左上の日輪のなかには笛を吹く人物がいる。そして、カップルの周囲を鳥や人が遊泳しているのだ。 それらの作品だけではない。シャガールの世界では、恋人たちや天使たち、馬やロバのような動物たちも、しばしば浮遊感をもって存在し、花や木は横に伸びていたり下に向かって生い茂っていたりする。それらは、さながら無重力の宇宙船のなかに存在するもののように、上下左右の方向感覚を無視して立ち現れる。 シャガールが好んでモチーフにしたサーカスもまた、軽業師が重力にさからって空中で回転したり、逆立ちしたりするものだ。 浮遊すること。空を翔ること。シャガールの絵画における独特の無重力感は、シャガール自身の波乱万丈の人生とオーバーラップする。 彼は、白ロシア(現在のベラルーシ)に生まれたが、パリで画才を開花させた。一時、ロシアに戻るも革命期の混乱に遭遇し、再びパリへ。第二次世界大戦が勃発すると、ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡った。戦後はパリに戻り、晩年になってようやく南フランスに安住の地を見いだした。彼の生涯もまた、各地を転々とする「浮遊」に満ちた人生だったのだ。 だから、シャガールの絵をよくみると、恋人たちの姿や愛らしいブーケは、必ずしも華麗さだけを湛えているわけではない。時には哀愁を感じさせ、また時には厳しさを感じさせもする。 シャガールといえば、「エコール・ド・パリ」を代表する画家として、そのロマンティックな作風が広く知れ渡っているようだが、それは、彼の一面にすぎないことを再確認したのだった。 《愛の旅人・シャガール展》は、四月二九日より六月二五日まで、サントリーミュージアム[天保山]にて開催中。
by syunpo
| 2006-05-09 21:29
| 展覧会図録
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Comments(4)
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felice_vita at 2006-05-11 20:50
私も近々見に行く予定です。
日本人にとってのシャガール人気はモネと似通っていると思います。素人にも分かりやすくてきれい。白馬のシャガールのミュージアムでブルーの色使い、テーマの愛について、なるほどと思いながら干渉しました。 でもどの方向から見ても・・・というのは初耳です。それに確かに浮遊のモチーフが圧倒的に多いですね。
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syunpo at 2006-05-11 21:08
felice_vitaさま、
シャガールを好きな人は、ホントに多いですね。そして、実際、それだけの魅力があると思います。 シャガール展を観たときには「フェリーチェ的幸福な生活」でも展覧会評を書いてほしいなぁと思います。felice_vitaさんの感想も是非、読んでみたい。
初めまして。
TBさせていただいたのですが、 ひょっとするとうまく反映できていないかもしれません(汗)。 シャガール展、観てきました。 あのふわふわした浮遊感を感じる構図は、シャガールの心を通した風景なのかもしれませんね。いろいろな辛い経験をした上で、あのような綺麗な色で温かな表現が出来るようになったのだと思うと、絵の奥深さを考えさせられます。やはり実物の絵は、迫力がありました(^^)。
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syunpo at 2006-05-15 19:22
aopuさま、ご訪問&コメントありがとうございます。
おっしゃるように、シャガールの絵には、幾多の苦難を乗り越えてきた人間によって生み出された奥深い美しさを感じ取ることができるように思います。 私自身、シャガールの作品の実物を観たのは、今回が初めてでした。実物の前に立ってこそ、見えてくるものってやっぱりありますよね。
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