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国家と資本を統御するために〜『世界共和国へ』

●柄谷行人著『世界共和国へ』/岩波書店/2006年4月発行

国家と資本を統御するために〜『世界共和国へ』_b0072887_1934314.jpg 〈資本・ネーション・国家〉の三位一体構造を、三つの基礎的な交換様式(互酬・再分配・商品交換)から分析し、その接合体を超える可能性を第四の交換様式「アソシエーション」に見いだす柄谷行人が、専門家ではなく「普通の読者が読んで理解できるようなもの」として、書き上げたのが本書である。二〇〇一年の著書『トランスクリティーク カントとマルクス』の読者ならば、本書の理解をより明確なものとすることができるだろう。

 経済のグローバリゼーションが国民国家(ネーション=ステート)の存在を無効化する、という言説が声高に叫ばれる昨今だが、そうした認識がいかに浅薄なものであるかを柄谷は力説している。
 端的にいえば、近代の国民国家は、むしろ資本主義のグローバリゼーションのなかで形成されたものであり、資本と国民国家とは互いに補完関係にあることが示される。たとえば、商品交換を基礎とする現在の資本制の矛盾は、国民国家が政策的に富を再分配することによって補正される。
 国家なしに資本主義はありえないし、資本主義なしに国家はない。そのような国家と資本との「結婚」が生じたのは、絶対主義国家(主権国家)においてであった。

 柄谷は、〈資本・ネーション・国家〉という「ボロメオの輪」から抜け出すために「自由な互酬性」に基づくアソシエーショニズムをもってくる。それは、もちろんマルクスに依拠した概念である。

 アソシエーショニズムは、商品交換の原理が存在するような都市的空間で、国家や共同体の高速を斥けるとともに、共同体にあった互酬性を高次元で取りかえそうとする運動です。それは先に述べたように自由の互酬性(相互性)を実現することです。つまり、カント的にいえば、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」ような社会を実現することです。(p179)

 「自由な互酬性」は、かつて普遍宗教として開示されたが、宗教という形をとるかぎり、教会=国家的なシステムに回収されてしまうほかない。柄谷が可能性をみるアソシエーショニズムは、極めて理念的な形で提示されざるをえないが、それはカントの唱えた「世界共和国」なる構想として語られる。
 カントのいう「世界共和国」を今日的に実現しようとするならば、各国が軍事的主権を国際連合に預け、主権を放棄して、国際連合の強化・再編成をする以外に方法はない、いう。

 この結論だけをみれば、あまりに理想的にすぎて拍子抜けしてしまいそうだが、重要なのは結論ではない、思考の過程なのだ。本書では、アソシエーションへの道筋が思考の回路上に明快に示されていると思う。それに勝る「果実」はあるまい。
by syunpo | 2006-05-30 19:13 | 思想・哲学 | Comments(2)
Commented by ranma_13 at 2006-07-12 23:24
こんばんわ。。この本はまだ読んでいないのですが、今日、中上健次<未収録>対論集成を図書館で読んでいましたら、座談会のところで柄谷行人が中野孝次という方へ罵倒に近い感じで怒っていたのですが、柄谷行人って元来やんちゃな性格なんでしょうか?中上健次がやんちゃなのはわかるんですけど。。すごく意外で驚いちゃいました^^
Commented by syunpo at 2006-07-12 23:55
ranma_13さま、こんばんは。
柄谷行人と中野孝次の大論戦は、当時話題になりましたね。アホとかバカとか罵りあっていたような記憶があります。柄谷はやんちゃといえば、やんちゃなのかもしれませんが、私の印象では中野孝次なる人物が、柄谷と対談するには知性不足ではないか、という気がしました。
「世界共和国へ」という本は、どうも柄谷ファンの間でも評判がよろしくないようです。読みやすいのですが、尻すぼみという感じ。ranma_13さんの感想を是非読んでみたい気がします。
コメントありがとうございました。
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