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『ポンペイの輝き〜古代ローマ都市 最後の日』

●『ポンペイの輝き〜古代ローマ都市最後の日 カタログ』/朝日新聞社/2006年発行

『ポンペイの輝き〜古代ローマ都市 最後の日』_b0072887_1844153.jpg 二〇〇六年、東京Bunkamuraザ・ミュージアムを皮切りに、仙台市博物館、福岡市美術館、サントリーミュージアム[天保山]と巡回してきた展覧会の共通図録。ポンペイ考古学監督局のスタッフによるいくつかの論考に挟まれて、出品作と現地の風景が美しい写真で紹介されている。国立西洋美術館の青柳正規館長が監修、野中夏実が翻訳を担当した。

 古代ローマ帝国絶頂の時代、西暦七九年八月二四日、ヴェスヴィオ山の噴火により埋没した都市ポンペイ。火山灰土に厚く覆われた都市は、その後、一八世紀まで地中に長く眠ったままであった。やがて発掘調査が始まり、ポンペイや近郊の諸都市の姿が次第に明確な形となって私たちの視界のなかに現れる。二一世紀に入っても調査は行なわれているらしい。
 本展は、発掘調査によって出土した壁画や彫像、家財道具や人々が身につけていた装飾品など四百点を集めたものである。

 さすがに今日まで生き永らえた出土品は、金属類や大理石像、漆喰の壁画など種類は限定されるが、考えてみれば、これは出来事の凄まじさといい、封じ込められた時間の悠久の長さといい、眩暈を起こしてしまいそうな人類史の一端であろう。

 パピルス荘から出土した大理石像「アマゾンの頭部」「ヘラ像」をはじめ、彫像類は保存状態は思いのほか良好だった。首筋や額に刻まれた皺が、かなりリアルなのに驚かされる。
 壁画は、もちろん壁体から剥がされ修復が施されているが、いくつか欠損部分の多いものもある。本展の目玉のひとつ、図録の表紙に採用されているモレージネ地区のトリクリニウム(食堂)の壁画は、一九五九年の発掘調査で発見されたものだ。「赤地の洗練された建築的構成」の壁面に、竪琴を弾くアポロとムーサが表現されていて印象深い。
 
 海岸から避難しようとした人々の多くが、船倉庫で息絶えた事実も発掘調査で明らかになっている。その亡骸の中には医師と思われる人もいて、近くからはメスやピンセットなどの医療用具も見つかった。みずから退避しながらも、怪我人や病人を治療しようとして携えていたものであろうか。解説によれば、これらの医療用具は、現在使われているものと非常によく似ており、ローマ時代の外科医療の水準の高さを示す興味深い物証なのだという。

 ちなみに、ヴェスヴィオ山北側のソンマ・ヴェスヴィアーナ市の遺跡発掘は、二〇〇二年、東京大学を中心に結成された日本の調査団が行なった。八メートルにわたって堆積していた火山放出物を取り除いた中から、荘重な建造物、大理石の女性像(ペプロフォロス)、ディオニソスを表わした青年像が出土している。(本展には出品されていない)

 この展覧会に「美術鑑賞」という目的で訪れたのなら、あるいは物足りなさを覚えるかもしれない。ここに展覧されているモノ、事象へのコメンタリーは、何よりもまず考古学・人類学的な発掘調査の成果であり、その成果にいかなる発見の感銘を得るのか得ないのか、それは私たち観る者の知的好奇心や想像力によって左右されるだろう。

 ポンペイ考古学監督局長のピエトロ・ジョヴァンニ・グッツォは記している。

 考古学の実践は、科学的な方法に則って行われるのであれば、物質的な成果は生み出さないし、また財政上の効果はさらに生み出さない。だが、思想、有名な事実、年代との戦いの作り出す歴史だけでなく、人間の物語に、人間が成し遂げたことにじかに触れさせるという意味で、一人一人の批判意識を涵養する。(p23)
by syunpo | 2006-11-30 18:48 | 展覧会図録 | Comments(0)
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