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記述されない歴史を読み解く〜『肖像写真』

●多木浩二著『肖像写真』/岩波書店/2007年7月発行

b0072887_11334090.jpg 肖像写真はその撮り方によって、また被写体の選択などを通して、写真家がどんな社会的集団に支えられているかがわかり、その変化によって人間の歴史を示すことになるジャンルである。(p110)

 本書は、以上のような基本認識に基づいて執筆されたものである。ここでは、異なった時代に活躍した三人の著名な写真家、ナダール、アウグスト・ザンダー、リチャード・アヴェドンの撮った肖像写真が比較考証される。

 十九世紀後半に活動したナダールは、同時代のパリで活躍した著名な文化人、芸術家の肖像写真を数多く残した。ボードレール、デュマ、ドラクロワ、マネ、ロッシーニ……。新しく登場してきたブルジョワ階級を知的エリートで象徴していたのである。
 ザンダーは二十世紀前半の写真家で、一時代の社会全体をさまざまな職種の人物によって見ようとした。多木の認識によれば、彼を動かしたのはある時代の世界像を捉えようという意図であった。
 二十世紀後半に活躍したアヴェドンの場合は、視覚的表現の進展と成熟という条件のもとで、人間のイメージとは何かをかなり自覚的に把握できるようになっていた。彼が肖像写真を撮るにあたって人の顔やポーズに見出したのは「パフォーマンス」である。

 三人の偉大なる写真家の肖像作品をならべることで、著者は「写真のまなざしは記述できない歴史の無意識に到達しうる」ことを訴えようとした。その試みが成功しているかどうか、私には何とも即断できない。ただ、全体を通して肖像写真の面白さを再認識させてくれたことは間違いない。
 ザンダーの〈舞踏会へ向かう3人の農夫〉や〈子供の儀仗兵〉などは、魅力にみちた写真である。またアヴェドンが撮った元奴隷のウィリアム・キャスビーの肖像写真は、私たちのまなざしを「歴史的現実」に開かんとする圧倒的な強度で見る者にせまってくる。

 多木の記述は繰り返しや重複が散見され、やや単調な感じがしないでもなかったが、数々の写真論を世に問うてきた著者ならではの論考が示された興味深い本である。
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by syunpo | 2007-11-22 11:37 | 写真 | Comments(0)
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