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ブックラバー宣言

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憲法九条の古里〜『永遠平和のために』

●イマヌエル・カント著『永遠平和のために』(池内紀訳)/綜合社/2007年11月発行

b0072887_1744996.jpg ……たとえ理性が道徳的立法の最高の力として戦争を断罪し、平和状態をあるべき義務とするにせよ、民族間の契約がなければ平和状態は確立されず、保障されもしない。
 そのためにも「平和連合」とでも名づけるような特別の連合がなくてはならない。(p70)


 現在の国際連合や国際法、さらには日本国憲法がカントの考えを色濃く反映したものであることはよく知られている。そのネタ元ともいうべきなのが本書である。この小冊子の和訳はすでに数多く出ているが、若い人に読んでもらうために「学問的措辞や用語にこだわら」ずに、わかりやすい翻訳を目指した点で既刊書との差異化を図った。さらに冒頭には、本文から抜き出したカントの警句が藤原新也らの写真とともにいくつか掲げられていて、親しみやすさをアピールしたつくりになっている。

 カントの平和論は、しばしば「理想論」として嘲笑の的になっているようだが、本書を読めば、むしろ当時の国際情勢をふまえた現実的な考えであることが理解されるだろう。
 カントが『永遠平和のために』を書いたのが、一七九五年。ヨーロッパでは次から次へとわけのわからない戦争が勃発していた時代であった。哲学で生計をたてた最初の人物が、老年にいたってやむにやまれず執筆したのがこのテキストなのである。

 カントは「平和状態」という言葉を使ってはいるが、必ずしも「平和」を一つの状態として捉えているわけではない。むしろ人々による「運動」として捉えている。平和は永遠に達成されることはないが、そのことを目指す永遠の努力によって、かろうじて国家間の均衡が保たれる。

 隣合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではない。戦争状態、つまり敵意がむき出しというのではないが、いつも敵意で脅かされているのが「自然な状態」である。だからこそ、平和状態を根づかせなくてはならない。(p62)

 人間の自然状態を闘争状態とみたホッブズの世界観と共通する認識から出発するカントは、だからこそ平和への道筋が一筋縄でいかないことを明瞭に意識していたといえる。
 逆にいえば、ヨーロッパ列強が涼しげな顔で海を越え、ふつうに植民地を支配していた時代に、「いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない」という「正論」を提唱したことも、単なる「正論」としてではなく、勇気ある見識の表明として読まれなければならない。実際、彼は当時の「検閲体制に配慮して、きわどいところはことさら複雑な構文をあてて意味を曖昧にした」というのだ。

 それにしても、カントのテキストには、どこかの国の宰相にも聞かせたい言葉がいくつもちりばめられている。

 「対外紛争のために国債を発行してはならない」(p57)
 「二種類の政治家がいる。モラルある政治家と政治的モラリストである。モラルある政治家は、国家の英知をモラルと考える。政治的モラリストは、政治家としてモラルを利用しようと考える」(p83)
 「公法には公開性が不可欠である。法的要求はすべて公開されなくてはならない。さもないと正義はなく、正義の認めるところの法もまた存在しない」(p88)


 カントの紡いだ言葉が、未だこの世界に意味あるものとして屹立しているという事態を私たちはどうみるべきなのだろう。
 今は存在しない東プロシアという国に生きた老哲学者の炯眼を賞賛すべきなのだろうか? それとも、世紀を胯いでなおカントを超えることすらできない人間社会の「自然」に嘆息すべきなのだろうか?
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by syunpo | 2007-11-29 19:18 | 思想・哲学 | Comments(0)
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