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ブックラバー宣言

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人間が戦うということ〜『暴力はどこからきたか』

●山極寿一著『暴力はどこからきたか』/日本放送出版協会/2007年12月発行

b0072887_1135742.jpg 著者の山極寿一は、霊長類社会生態学・人類進化論を専攻し、日本霊長類学会会長を務める人物である。私自身は人間の「暴力」を、もっぱら社会学・政治哲学的な観点から論述してきた書物に親しんできたので、霊長類学、進化論的な見地から「暴力」を考察した本書には、新鮮な感銘を受けた。実に面白い本である。

 著者は冒頭で述べている。

 私たち人間が世界を認知する能力も、仲間との間に起こす葛藤も、戦う能力も、すべて霊長類として進化した時代に身につけたものである。人間の争いの原因も、争いや和解の方法も、彼らから受け継いだ特徴の中にみつけることができるはずだ。(p9)

 本書は、まず第一章で人類の攻撃性についての議論をざっと振り返った後、第二〜四章では霊長類にとって争いの火種となる食資源や性の競合についてレポートし、同時にそこから派生する葛藤をどのように解決しているかを概説している。それらの記述を受けて、第五章では霊長類の特徴を受け継いだ人類が独自に発達させた社会性について考える、という構成である。

 動物行動学の始祖ローレンツが『攻撃ー悪の自然誌』を著わしたのは一九六三年だが、彼が展開した攻撃性の理論は、今日、基本的には否定されているらしい。俗耳になじんでいる「武器を用いた狩猟技術の向上が人間の攻撃性を高めた」とする説も説得力を失っている、という。「攻撃性をめぐる神話」と題された第一章だけでも、この分野に詳しくない読者には示唆に富む内容だ。

 本書の核心を成す第二章以降で、霊長類がペア生活をしたり、あるいは群れで暮らしたりすることと食物や生殖との関係が詳しく論述される。

 霊長類では一般的に食物の摂取に関して「先行保有者優先の原則」というものが成立している。一度手にした食物を他のサルが奪うことはない、いくら劣位なサルでもつかんだり、口にくわえてしまったりすれば、優位なサルに攻撃されて奪われることはない、という原則である。
 ところが、食物が動く場合にはこの原則が通用しなくなるらしい。たとえば、動き回る人間がニホンザルに餌付けをする場合には食物の強奪行為がみられるようになる。ニホンザルは優位者が果実のなっている場所など食物を得られそうな場所を占有して、個体間の優劣を顕在化させるが、動き回る食物をめぐる葛藤を解決するようにはできていない。そこで、新たに強奪行為が行なわれるようになった。ニホンザルの「強奪行為」が「人間の餌付けという新しい経験に対処するために新規に発現した現象」(p135)なのだと知ると、人間とはこのような問題にまで介入して動物の生態を狂わせるのかと、嘆息してしまう。

 社会生態学は、そうした事実以外にももちろん様々な霊長類の社会性の実態を解明して多くの成果をあげてきたのだが、そうした知見を踏まえて、人類が独自に発達させた暴力性を考察する最終章は格別に興味深い。山極は、人間の戦いについて次のように述べている。

 ……チンパンジーの戦いと人間の集団間の戦いには明らかな違いがある。それは、チンパンジーのオスたちは自分たちの利益と欲望に駆られて戦いを起こしているのに対し、人間の戦いは常に群れに奉仕することが前提になっているからだ。チンパンジーのメスたちがオスたちの戦いを支持し、オスたちを勇気づけたり鼓舞することはない。しかし、人間の男たちの戦う意味は、家族を生かすために、共同体の誇りを守るために、傷つき死ぬことである。(p221)

 一方で山極は、複数の共同体を自由に行き来する能力が人間特有のものであることを指摘している。それは「他者への許容性を高めるとともに、見知らぬ仲間のいる集団に即座に同化できる可塑性を広げることができた」からだ。
 人間が「教育」によって育むことができた多様性と可塑性を今一度見つめなおし、より住みやすい社会の構築に向けて活かしていくべきではないだろうか。
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by syunpo | 2008-01-17 22:00 | 生物学 | Comments(0)
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