●目取真俊著『沖縄/草の声・根の意志』/世織書房/2001年9月発行
本書は、沖縄在住の作家である著者が地元紙の琉球新報や沖縄タイムスに掲載したエッセイを中心にまとめたものである。 本書所収の文章は執筆時期がちょうど沖縄サミット前後にかかっていたこともあり、それに関連したものが多い。北海道サミットを直前に控えた今、そうした文章に触れるのはなかなかに興味深いことであった。 著者は、沖縄でのサミット開催が米軍基地の県内移設(沖縄基地使用の恒常化)とリンクしていることを強調している。基地移設反対運動を懐柔し、あるいは部外者の関心を逸らすために、中央政府はサミットを沖縄にもってきてそれに関連した公共事業を積極的に行なったことを指摘し、沖縄サミットにはあくまで冷厳な視線を向けているのだ。 今回のサミットで沖縄がもっとも注目した基地問題に関して、実質的な進展が見られなかったばかりか、むしろ「基地の島」、「日米の軍事拠点」としてあらためて世界に認知されたということだ。(p176) サミットとは政治イベントであり、それは国内政治においても様々に「利用」されうる。 今回の北海道サミットに関しても、当地の振興策と一対になっていることは否定できまい。サミットの皮相的な喧騒の裏に隠された中央政府の思惑を軽視すべきでない、目取真はそう呼びかけるのである。 また、目取真は沖縄における格差や差別の重層性をも強調している。 沖縄本島北部は「ヤンバル」というが、この言葉には首里や那覇の人々が遅れた北部の人々を蔑む響きがこめられている、という。さらに北部地域のなかでも、東海岸は交通の便も悪く、戦前から貧しい地域であったらしい。現在、米軍基地は地域振興策と引き換えのように北部に集中している。沖縄におけるこうした「南北格差」が、沖縄の反基地闘争や平和運動にも影を落とし、中央政府やその傀儡である現知事の分断化政策に利用されている、という図式が提示される。 基地の北部集中は、沖縄県内の「南北問題」をさらに深刻化させるだけだ。どうして無関心な「本土」の「日本人」のために、沖縄内部で対立しなければならないのか。(p37) さらに、昨今の沖縄の芸能や伝統の取り上げられ方にも疑問が呈せられる。 政治的には無害な文化や芸能がもてはやされる一方で、政治や経済、軍事の面では日本(政府・中央)への従属と依存が深まっていく。(p75) それは西洋の人々が東洋の植民地化を進めながら、人畜無害の美術や風俗に好奇的な賛美を送ったのと似ている。「本土」の人々が沖縄に向ける視線の欺瞞を目取真が告発する時、そこには西洋の帝国主義が東洋を見るときの姿勢ーーエドワード・サイードが批判的に再定義した「オリエンタリズム」ーーのミニチュア版を私たちに想起させ、再考を迫る。 本書において、何よりも著者は沖縄の抱える問題についての「本土」の無関心を繰り返し批判している。「紅白歌合戦に出場する歌手には沖縄県出身者が多いなぁ」と感心しているばかりが能じゃないのだ。
by syunpo
| 2008-01-23 19:55
| 文学(小説・批評)
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