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ブックラバー宣言

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言語という不思議な力〜『エクソフォニー』

●多和田葉子著『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』/岩波書店/2003年8月発行

b0072887_9462755.jpg 「エクソフォニー」とは、母語の外に出た状態一般を指す。多和田葉子はドイツに在住し、日本語とドイツ語で創作活動を続けている小説家である。本書はエクソフォニーにまつわるエッセイ集で、多和田の文学観・言語観が明快に示されていて、彼女の小説を読み解くうえでも大きな示唆を与えてくれるものだ。それは同時にグローバル化が進む現代社会のあり方全般に対する鋭い批評ともなっている。

 書き下ろしの前半部分は、訪れた世界各地の地名を標題にしてそれぞれの土地の言語状況を肌で感じ取ったことがらが多和田の奔放な想像力と思考力で綴られていく。後半には「テレビ ドイツ語会話」誌に連載されたドイツ語に関する随想が収録されている。

 多和田の小説には、語られる物語以前に言葉それ自体がもつ艶めかしさ、歴史性や音楽性に直接触れるような作品が多い。そこでは、しばしば言葉のズレが強調され、それを楽しむかのように書かれさえする。また、《犬婿入り》や《ヒナギクのお茶の場合》などにみられるように、視点が自在に移動する神様視点を採った作品も目立つ。
 彼女のそうしたスタイルは、やはりドイツという母語(日本語)の外に出た場所に拠点をおきながら世界各地を旅する作家としての問題意識に深く関わっていることが本書をとおしてよく理解できるように思う。

 多和田のマルチリンガルな言語体験は、最終的に文学そのものをより開かれた地平で創りだし読み取る営為として一般化される。彼女はオーストリアの詩人エルンスト・ヤンデルが「出稼ぎ労働者のドイツ語を思わせる構文をわざと並べ」て製作した放送劇に仮託して次のように述べている。

 言葉は壊れていくことでしか新しい命を得ることができないということ、そしてその壊れ方を歴史の偶然にまかせておいてはいけないのだということ、芸術は芸術的に壊すのだということ……(p70)

 かくして多和田にとって、外国語で小説を書くということは「普通のこと」なのだという認識へと至るのだ。

 作者が移民であることは、文学にとって本質的なことではない。しかし、文学そのものの持つ移民性を照らし出すために、移民である作家について考えることが役に立つ場合もあるだろう。(p114)

 エクソフォニーとは、国境を胯いで活躍する作家のみに与えられた特権ではない。
「言語の外に出なくても、母語そのものの中に複数言語を作り出すことで、『外』とか『中』ということが言えなくなることもある」のだから。
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by syunpo | 2008-02-22 09:50 | 文学(小説・批評) | Comments(0)
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