●リービ英雄著『千々にくだけて』/講談社/2005年4月発行
二〇〇一年九月一一日に起きた米国の同時テロを主題とする標題作とその後日談ともいうべき作品《コネチカット・アヴェニュー》が収録されている。 主人公のエドワードは、カナダ経由で米国の母親や妹に会うために飛行機に乗る。バンクーバーでテロ事件発生を知らされ、足止めをくらう。ホテルの部屋に置かれたテレビ画面と、かろうじて繋がった米国の親族との電話での会話をとおして歴史的事件を見つめることになるエドワードの複雑な視線が世界の混乱の一断面を具象化していく。 ここに記されたことがらは、巻末に添えられた《あとがきにかえて〜9・11ノート》と題するエッセイやリービ英雄自身が別の対談で語っているエピソードとかなりの部分が重なっているので、主人公エドワードは著者の分身と考えても差し支えないだろう。したがって、この作品における出来事と主人公(=作者)のえも言われぬ独特の距離感は、そのままリービ英雄の微妙な立ち位置に関連している。西洋から極東の島国に移住してきて、母語ではなく日本語で創作し、母国への帰途でその後の世界のあり方を大きく変えてしまった出来事に遭遇し、まったく立ち寄るつもりのなかった第三国で待機を余儀なくされる……。 「千々にくだけて」のフレーズは、松尾芭蕉の句「島々や 千々にくだけて 夏の海」から採られている。 事件は、巨大なビルが文字どおり「千々にくだけて」いく、という悲惨な光景を呈することとなった。同時に、エドワードの思いや思考も名状しがたい空気に震えながら「千々にくだけて」いくほかない。彼は事件の起きた国に住む母の使う母語をしばしば戸惑いつつ日本語に置き換えようとしながら、悲劇的事件を間接的に体感することになる。 「九・一一」を扱った小説が世界でどれだけ書かれ発表されているのか、私はよく知らないけれど、ここには、事件以後に世界中を駆け巡った数多の政治的なメッセージや勇ましい掛け声とは次元を異にする、くだけた言葉の断片を形あるものになんとか紡ぎ出そうとする繊細な振る舞いが示されているように思える。
by syunpo
| 2008-02-23 10:24
| 文学(小説・批評)
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