●末木文美士著『日本宗教史』/岩波書店/2006年4月発行
宗教全般にわたってその通史を記した本というのは、意外とこれまであまりお目にかかったことがないように思うのだが、本書は、仏教学・日本思想史を専門とする研究者がその難題に挑戦したものである。それぞれの宗教が、相互に関連し影響を与えあいながら変遷をたどってきた流れが手際よくまとめられていて、大変勉強になった。 本書の核を成す基本認識は、歴史以前から歴史を一貫して貫く日本的発想の〈古層〉なるものを否定し、〈古層〉自体が歴史的に形成されてきたもの、と考える点にある。 そのような観点からすれば、日本独自の伝統的な信仰と目される神道も古くから連綿と続いてきたものではなく、時代とともに内実を変化させてきたものとして捉えられる。『古事記』や『日本書紀』などの神話も仏教との関連抜きには語れない。 古代から中世にかけては、まさに神仏を中心に複合的な形で宗教が展開した。一般に神仏習合といわれる現象であるが、それ自体が多様な形式をとるものである。時に、仏教側の神祇不拝や神道側からの神仏隔離などの思潮も見られはしたものの、仏教の影響を受けながら神道理論が形成されるようになった。 近世になると、武士階級のイデオロギーとなった儒教を含めた神仏儒の交渉の時代になる。また、この時期には国学から復古神道が台頭してくるなかで、再び記紀神話への傾注がみられるが、その中に純粋で理想的な日本の〈古層〉を発見するということは、むしろ新たな〈古層〉の創出と見るべきだ、と著者は主張する。 明治時代から戦前にかけては、国家神道が宗教の枠を超えることによって、その他の宗教は制約を受けることになったが、キリスト教、仏教、新宗教などそれぞれが心の問題や社会問題への対応をめぐって、宗教としての活動を展開した。 興味深いのは、日本を神国とする優越的な認識も、末法思想的な国家観が後に逆転したもの、という指摘である。 末法の辺土には、仏がそのまま現われて衆生を救うことができないから、そこで日本の神として垂迹することが必要になる。……(中略)……こうして、神でなければ救われないから、日本は神国なのであり、神国説はもともと必ずしも日本の優位を言うわけではなかった。それがやがて逆転して、日本は神によって守護された特別の国であるという意に用いられるようになるのである。(p65〜66) 著者は宗教史の最大の課題は「表層から隠れて蓄積してきた〈古層〉を掘り起こして顕在化させ、その〈古層〉がいかにして形成されてきたかを検証すること」と述べている。本書はそれを概観することによって充分にその役割の一翼を担っている、と言っていいと思う。
by syunpo
| 2008-04-15 19:26
| 宗教
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