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ブックラバー宣言

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シネマを観るということ〜『映画館と観客の文化史』

●加藤幹郎著『映画館と観客の文化史』/中央公論新社/2006年7月発行

b0072887_18574452.jpg 映画の興行形態と観客のあり方に焦点をあてた映画の「文化史」を綴った書物である。従来の作品論や監督論からは見えてこない映画の「本質」に迫るという本書の狙いは一読して充分に伝わってきた。好著といえる。

 ジュークボックス映画「パノラム」をはじめ、ひとりで装置を覗き込むキネトスコープ、列車型ライドに乗って映像を楽しむヘイルズ・ツアーズ、ライヴパフォーマンスと渾然一体となったヴォードヴィル劇場……といった米国の映画前史の記述から、まずは映画というメディアの揺籃期の興行が実に多様な面をもっていたことが明らかにされる。
 さらに、最初の常設映画館であるニッケルオディオンから、巨大映画館としてのピクチュア・パレス、車社会と社会の郊外化が必然的に生み出したドライヴ・イン・シアター、映画の均質化を促したシネマ・コンプレックスへと変遷をたどっていく記述もなかなかに興味深い。

 対して、日本の映画館と観客についての論述は、よりピンポイント的になっており、やや物足りないな印象が残るものの、それでも、映画と演劇を融合させた活動写真応用連鎖劇や小唄映画など、これまでの映画史では触れられることの少なかった興行形態への言及は面白く読んだ。また、戦後に映画の都として隆盛を誇った京都のケーススタディも秀逸である。

 こうして、映画館の文化史を振り返ると、今日、一般化しているメディアミックス戦略やフィルム・コミッションといった試みも別段新しい動向というわけではなく、かつて行なわれていたことのより洗練された形式であることが知れる。
 つまり映画はその歴史の最初期の試行錯誤のうちに、すでに多くの可能性やポテンシャルをはしなくも具現化していた、といえる。そのことを思えば、今日の均質化された映画鑑賞のスタイルが、本当に映画の可能性を十全に開花させた結果といえるのかどうか、あらためて考えさせられる。

 ところで、本書では記述の対象とされているのが米国と日本のみである。この両国を取り上げたのは「世界に冠たる映画大国」という理由に基づく。世界最大の映画生産国の一つであるインドのことがまったく触れられていないので、この場合の「映画大国」の定義について聞きたい気もするが、推測するに、日本人研究者として利用しうる文献も参照資料も非常に多く著者にとって研究しやすい国、手をつけやすいところから手をつけた、ということなのだろう。その意味では著者自身があとがきに記しているように、ヨーロッパや旧ソ連、アジア諸国の研究も待たれるところだ。
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by syunpo | 2008-05-13 19:09 | 映画 | Comments(0)
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