ブログトップ

ブックラバー宣言

syunpo.exblog.jp

自己責任というまやかし〜『軋む社会』

●本田由紀著『軋む社会』/双風舎/2008年6月発行

b0072887_20382977.jpg 本田由紀は、日本における「ニート」の存在が若年層の雇用情勢の悪化を主因とすることを論証して若者バッシングとしての「ニート言説」の無根拠性を暴き出し、最近では「ハイパー・メリトクラシー」概念を創出して労働問題に鋭いメスをいれている教育社会学者である。
 本書は、雑誌などに発表した論考や鼎談を収録したもので、主に若年層をめぐる教育・労働問題についての本田の考え方がよくわかる本である。具体的データに基づいた現状分析と明快な問題提起には啓発されるところ大であった。

 現代は、社会のなかで人々がさまざまな地位へと選抜・配分されていくときに働く基本原理に変化が生じている時代である。その変質を本田は「メリトクラシー(業績主義)からハイパー・メリトクラシー(超能力主義)への移行」と名づけ、批判的に言及している。
 従来の業績主義では、人が過去に何をなしてきたか、これから何をなしうるかに応じて社会的な地位を配分してきた。このような仕組みのもとで計測され評価される能力は、認知的で標準的な記号操作能力を主としたものであった。
 それに対して、超能力主義とは非認知的で非標準的、感情操作能力とでも総称すべきもので具体的には対人関係能力や交渉力などをさす。本田は、このような超能力主義は社会の中での位置付けが不安定である若者が進路を選びとっていくときに多大な負荷を課す、として批判的にみるのである。その問題点には「要求水準の高度化という圧力」「属性的格差の顕在化と対処策の不在」「評価の恣意性」「自己責任に転嫁されることで社会変革の阻害要因になりうる」「仕事への限度のない没入を促進する」などが挙げられている。

 本田は、ハイパー・メリトクラシーに対抗するために「flexpeciality(柔軟な専門性)」という造語を創案する。

 個々の若者に、まず招来の軌跡の入口としての専門的知識やスキル、あるいはそれらを発揮する場を用意する。ただし、その専門性はあくまで入口にすぎず、関連のある隣接分野へと将来的に転換・発展したり、より一般的で普遍的な知識やスキル到達したりするためのベースとして位置づけられる。いわば、成長にともなって脱皮を繰り返していく「柔らかい殻」、それが「柔軟な専門性」である。(p61)

 このような「柔軟な専門性」を育むような教育面でのきめ細かな対策と労働市場の改善の必要性を本田は提唱する。その観点から専門高校の充実化なども主張している。

 「働きすぎ」の問題点を指摘した論考も示唆に富む。
 日本では高度成長期の時代から「働きすぎ」=「ワーカホリック」の問題は指摘されてきたが、従来型の「集団圧力系ワーカホリック」に加えて、昨今は「自己実現系ワーカホリック」が増加してきているという。これは社会学者の阿部真大の造語で、バイク便ライダーの労働現場を研究してまとめたレポートにおいて提起されている。そこでは「好きなこと」を仕事にしている若者たちが、悪条件のもとで仕事にのめりこんでいき、時にバーンアウトしていくような実態が指摘される。

 「好きなこと」や「やりたいこと」を仕事にすることが望ましいという規範が自己実現系ワーカホリックを生み出す土壌をつくっていることを本田は警鐘的に指摘しつつ、職場や職種といった集団単位で「働きすぎ」を抑制するような動きの必要性を訴えるのである。

 全体をとおして浮かびあがるのは、学校や労働市場における若者の葛藤や悩みは政治や市場社会の歪みに起因している場合が少なくないにも関わらず、個人の能力や意欲の問題として自己責任に帰せられてしまっている、という本田の問題意識である。部分的には異論を差し挟みたいところもないではないけれど、「軋む社会」への対抗策を考えていくうえで、一つの指針を与えてくれる本であることは間違いない。
[PR]
by syunpo | 2008-06-05 20:46 | 社会学 | Comments(0)
<< 普遍的な連帯を求めて〜『不可能... 衝突構造の背景を知る〜『イスラ... >>