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普遍的な連帯を求めて〜『不可能性の時代』

●大澤真幸著『不可能性の時代』/岩波書店/2008年4月発行

b0072887_1844348.jpg 本のカバーには「大澤社会学・最新の地平」とのキャッチコピーが踊っているが、本書に社会学的な実証的知見を期待した読者は、少なからず期待を裏切られることになるだろう。日本の戦後史と現代をめぐって展開される論考スタイル——オタク文化やサブカルチャー、猟奇的事件、文芸作品、映画などの素材をもとに、アカデミックな知見をパッチワークのように接ぎ合わせていく手つき——は、どちらかといえば社会学者というよりも評論家のそれに近い。

 本書の基盤となる戦後史観は、師にあたる見田宗介の時代区分(理想の時代ー夢の時代ー虚構の時代)に依拠しており、それに続く現代を「不可能性の時代」と定義したところに大澤の時代認識が示されているのだが、そこに目を見張るような斬新な視座が提示されているというわけでもない。時代を映しだすオタクやキャラクターゲームに関する分析も、もっぱら東浩紀らの論考が下敷きになっていて、独自性の感じられる記述には乏しい。

 「第三者の審級」をキーワードに、内田隆三やジジェク、アガンベンなど多彩に引用しつつ、「理想の時代」「虚構の時代」を経て「不可能性の時代」へと至った時代の変遷を概観した後、その閉塞状況を超克するための未来の救済への展望を「活動的で徹底した民主主義」(p273)に見出すというまとめ方も拍子抜けの感は拭えない。

 しかも、その可能性を感じさせる具体的存在として、ペシャワールで活動をしている中村哲、オウム事件の最大の被害者の一人でありながらオウム真理教徒と交流を続けている河野義行という二人の存在が召喚されるのだが、本書のようなコンテキストのなかで結論的に登場するのにはあまりに唐突というほかない。取材を受けた御両人も、最後にとってつけたように言及されているのを読んで思わずズッコケたのではあるまいか。
 率直にいって、大澤社会学の壮大なる空転ぶりが刻印された失敗作といっていいだろう。
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by syunpo | 2008-06-12 18:47 | 思想・哲学 | Comments(0)
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