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枝雀が甦る〜『哲学的落語家!』

●平岡正明著『哲学的落語家!』/筑摩書房/2005年9月発行

b0072887_20191418.jpg これは、いい。出色の桂枝雀論・落語論だ。
 故枝雀の落語について論評した文章には、これまであまり面白いものにお目にかかったことはなかった。あの破天荒にして繊細な構成をもった高座の圧倒的な魅力、あるいは晩年のロレツが少し回らなくなりマクラが以前にもまして理屈っぽくなった高座の憎めない空転ぶり。好演でも凡演でもインパクトに欠けることのなかった枝雀の話芸に拮抗するだけの書き言葉を紡ぎ出すのは至難の業なのだろう。

 平岡正明が枝雀落語を語る、その口調は、彼が愛するジャズにも似て自由奔放、素養に裏打ちされたイマジネーションが横溢している。
 枝雀が強い影響を受けたとされる夢野久作や有明夏夫の小説を軸にして、浪曲、新内などの古典芸能は無論のこと、カフカの『審判』、ダンテの『新曲』、ハリウッド映画から現代音楽作曲家ルベ・エマニュエルまで、ありとあらゆる表現ジャンルの作品が動員されて枝雀落語の「哲学」的成り立ちが熱く語られる。
 通常、落語の批評にこれだけの素養を持ち出して理論武装を施すとかえって野暮ったくなるものだが、平岡の筆致はあくまで粋である。

 冒頭の《三十石》論は、一九九五年、枝雀がトリをとって演じた落語研究会での高座をベースにしている。私はその高座を観た。私にとっては《三十石》の実演を初めて生で聴いた印象深い高座であった。
 枝雀独自の解釈でこの名作を爆笑の渦に巻き込んで、古来伝わるサゲを採用せず「西の空を真赤に染めておりました太陽が沈みます。一番星、二番星、三番星。空が昏くなりますにつれておいおいと増える星の数。見上げますともういつの間にやら今にも降ってきそうな満天の星。……乗り合いの連中はすでにしてもうみんな夢の中。三十石は夢の通い路でございます」と旅情豊かにシメるのを、FM放送の『ジェットストリーム』に準えるくだりを読んで、あの日の枝雀の熱演が鮮烈に甦ってきたのだった。

 小佐田定雄創作の《幽霊の辻》を語るに、平岡自身の根津神社のこども神輿や火の用心の少年隊の思い出話から入る話の運びも悪くないし、《まんじゅうこわい》にハリウッド映画『アパートの鍵貸します』を想起し、最後に『三国志演義』を引用して饅頭の由来を語ってまとめるあたりのセンスと教養は、凡百の演芸評論家の及ぶところではない。
 同じく小佐田定雄=枝雀の名コンビが生み出した佳品《貧乏神》における貧乏神の「きれいな夕焼けだなあ、明日は洗濯物がよくかわくだろう」というセリフに、赤塚不二夫『天才バカボン』と同種の抒情(!?)を感じ取るというのも面白い。

 枝雀のマクラでは必ずといっていいほど言及される《日和ちがい》での「アメーバーから人類までの万有進化論」のスケールの大きさをあらためて賞賛し、賛否両論にわかれる《地獄百景亡者戯》についても枝雀の宗教観や哲学を析出して読み応え充分である。
 批評もまた一つの芸、とは本書を読めば充分頷ける。

 枝雀の落語を聴くことはエリック・ドルフィーのジャズを聴くように楽しい。(p299)
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by syunpo | 2008-06-27 20:26 | 古典芸能 | Comments(0)
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