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戦時中に輝いた一灯の良心〜『気骨の判決』

●清永聡著『気骨の判決 東條英機と闘った裁判官』/新潮社/2008年8月発行

b0072887_9555861.jpg 日本が太平洋戦争を戦っていた一九四二年、後に「翼賛選挙」と呼ばれることになる衆議院選挙では、政府や軍部に非協力的な候補者を落選させようとして露骨な選挙妨害が行なわれたことはよく知られている。その選挙の違法性を訴える裁判が各地で提起されたなか、唯一時局に逆らって「選挙無効」の判決を下した裁判官が存在した。司法の独立を貫いたこの気骨の裁判官、吉田久の生涯を追跡調査したのが本書である。

 米国との開戦が現実味を帯びていた一九四一年十月に首相の座に就いた東條英機は、翌年、当時の司法関係者幹部を一堂に集めた全国司法長官会同において「戦争遂行に障害を与えるような判断をした者には政府として非常手段をとる」との恫喝的な発言を行なった。いわゆる「東條演説事件」である。
 聖戦遂行の美名のもとに、あらゆる分野の組織や人々が国家の管理下に置かれようとしていた。「翼賛選挙」もその後に続く裁判もそのコンテクストのなかで行なわれたものだ。

 鹿児島二区における「衆議院議員選挙ノ効力ニ関スル異議事件」の裁判長となった大審院判事の吉田久は、訴状を読んで「これは容易ならぬ由々しき事件」と認識し、鹿児島への出張尋問を敢行する。時勢を考えれば、それは決死の覚悟を要するものであったに違いない。その際、吉田が漏らしたという言葉にその悲壮感が如実にあらわれている。
「わたしは、死んでもいい。裁判官が事件の調べに行って殺されるのは、あたかも軍人が戦争に臨んで弾に当たって死ぬのと同じ事だ、悔ゆることはない」(p81)

 無事に出張尋問を終えて帰京するも、裁判に対する圧力やいやがらせは一層激しくなり、吉田には特高警察の監視がつくようになる。
 こうしたなかで一九四五年三月、吉田はみずからの見識と良心にしたがって選挙無効の判決を言い渡す。判決にもとづいて選挙は実際にやり直された。
 当の吉田は、判決の四日後に大審院を辞職。吉田自身は「辞めるよう圧力を受けたわけではない」と戦後に述懐しているが、実際には「体よく辞職させられたと見る方が正しいだろう」と著者は述べている。

 それにしても、戦時中にこのような裁判が行なわれたことを知る人が少ないのは何故なのか。それは一つには判決直後にあった東京大空襲によって判決原本が焼失したものとみなされていたからである。吉田自身もそう思いこみ、残念に思っていたらしい。しかし、実際には……。

 本書の著者はNHKの報道記者である。文献記録が乏しいなかで、関係者やその遺族への取材を含めた綿密なリサーチによって「幻の判決」を浮かび上がらせた筆致はジャーナリストの面目躍如たるものがある。

 当時と比較すれば明らかに自由な状況にある現在、行政府に阿った判決文を書き続けている数多の裁判官たちは本書を読んで大いに猛省すべきではあるまいか。もちろん一般市民にとっても司法に関心のある者ならば必読の一冊といえるだろう。
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by syunpo | 2008-10-05 10:05 | 憲法・司法 | Trackback | Comments(0)
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