ブログトップ

ブックラバー宣言

syunpo.exblog.jp

日本の中のアメリカ〜『親米と反米』

●吉見俊哉著『親米と反米』/岩波書店/2007年4月発行

b0072887_18371167.jpg 戦前から戦後にかけて日本人が抱いてきた対米意識の歴史的変遷を社会学・メディア学の観点から分析した本である。政治学者による日米関係論は掃いて捨てるほど書かれてきたが、本書のような観点から日本近代の対米観を概観したものをあまり読んだことがなかったので、教えられるところ大であった。

 近代日本における対米観はグローバルな覇権システムと日本人との感情との重層的な屈折のなかで形成されてきた。
 幕末維新期、アメリカは「自由の聖地」として理想化され、日本の知識人はおしなべて「親米」的であった。やがて天皇制国家体制が確立してくると、アメリカは第一義的な関心の対象ではなくなり、さらにアジアで利害が対立する時代に入ると明確に「敵国」として意識されるようになる。
 その一方で、二〇世紀初頭からハリウッド映画やジャズなどのアメリカ文化が流入してきた。知識人の米国批判と大衆文化レベルでのアメリカ好みが並立していったのである。実際、日米開戦の直前までアメリカ映画は陸続と公開されていた。

 占領期から一九五〇年代にかけて、アメリカに対する二つの態度、「親米」と「反米」はその対立を先鋭化させていった。
 戦後の荒廃した社会から立ち直っていく時、アメリカは「豊かさ」の象徴であり、アメリカ的なライフスタイルが憧れの的となった。その一方で、全国に拡張された米軍基地の存在は、暴力としてのアメリカを端的にあらわすものであり、鬱屈したナショナリズムを基盤としながら反米・反基地闘争が繰り広げられていく。
 やがて高度経済成長期に突入すると、そのような暴力的なアメリカ像は後景に退き、あるいは忘却せられ、消費社会型のアメリカニズム=ナショナリズムが確立する。占領期に実現したマッカーサーと天皇の「抱擁」は、かくして六〇年代に至ると大衆レベルで「再演」されることとなった。さらに七〇年代半ばをすぎる頃には、「親米」と「反米」という対抗自体が人々の意識に浮上しなくなっていく……。

 吉見がこうした近代日本の“アメリカニズム”の変遷を跡付けていくにあたっては、マッカーサーと天皇の二人並んだ会見写真を新たな観点から読み解いたり、家電製品の広告コピーの変化を記号論的に分析するなど、社会学者・メディア学者らしい手法を駆使していて読み応え充分である。

 また全体を通して、戦前・戦中と戦後の間に様々な連続性を見出している点(旧日本軍基地の米国駐留軍基地への転用など)が本書における問題意識の基調をなしており、著者は明確に指摘しているわけではないけれど、しばしば政治学の言説を呪縛してきた「八・一五革命説」に批判的なまなざしを投げかけるものとなっている。
 日本とアメリカとのあるべき関係を真剣に考えたいという者ならば、必読の一冊といっていいだろう。
[PR]
by syunpo | 2008-11-07 18:41 | 社会学 | Comments(0)
<< 世界の多様性に向けて〜『「美し... 人気画家の入門書として〜『フェ... >>