●森村泰昌著『「美しい」ってなんだろう?』/理論社/2007年3月発行
「美術」とは、美の術、美しさの術、ということである。「アート」とカタカナで言い慣わしてしまうと、そのことに思いをはせる契機を逸してしまいかねない。 森村は「美術家」を名乗っている。だから「美」について、衒うことなく、ごく自然な口調で語り続ける。数学者が「数」の不思議を語るように。 森村のいう「美」はかなり広汎な射程をもっている。たとえば自然への畏怖や現実の厳しさに向けられるまなざしをもまた「美」の範疇に括られる。美術とは豊かなる多義性をうちに含みこんだ営みなのである。 美術の世界に近づくためには、通常、三つの道があると考えられている。「見る」「作る」「知る」である。森村はそこに「なる」を加えた。自分がゴッホになる。ベラスケスの描いた王女になる。マリリン・モンローになる。 ゴッホの絵になる(ゴッホの自画像に描かれたゴッホに扮する)ために、釘つきの粘土製帽子をかぶったのだが、そのことによってゴッホの痛々しくも悲しい気持ちをいくぶんか感じ取ることができたとユーモアまじりに述懐して、自身の創作スタイルを解説しているくだりはちょっと面白い。 また、モンドリアンの抽象画をカルティエ=ブレッソンの写真と並べてその構造を分析し、「レントゲン写真」に喩えながら、とかく難解とされる抽象画への一つのアプローチを提示しているのも印象に残った。 本書は理論社が中学生以上の読者向けに展開している「よりみちパン!セ」シリーズの一冊ということで、コアターゲットの中学・高校生を意識した平易な記述からなっている。 かつて映画界には、淀川長治という偉大なる宣伝マンがいた。美術の世界には、残念ながら彼に相当する存在が見当たらない。新聞の文化欄に掲載される展覧会評を読んでも、カタログをひき写したようなおざなりの文章やら美術愛好者のブログに毛の生えたレベルの退屈なレビューやらが幅をきかせている。今日の美術批評・美術ジャーナリズムの不毛はいかんともしがたい。そのような状況ゆえに、もともと批評的な作品を世に問うてきたクリエイター自身が美術界の広報宣伝係まで買ってでた、という感じの本である。
by syunpo
| 2008-11-08 12:07
| 美術
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