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●宇沢弘文著『人間の経済』/新潮社/2017年4月発行
![]() 宇沢は旧制一高時代は医学部志望クラスに在籍していたが、東大数学科に進んで代数的整数論や数学基礎論を学んだ。しかし数学にも「貴族趣味」のようなものを感じて、悩んだあげくに経済学に転じたという経歴をもつ。「医学が人間の病を癒す学問であるとすれば、経済学は社会の病を癒す学問であると自分に言い聞かせて、経済学の道に移りました」と当時の心境を回顧するくだりはとりわけ印象深い。 その言葉どおり、本書における発言もまた社会の歪みや疲弊に対する警鐘的な色合いの濃いものになっている。そこでベースになるのは自身が提唱した「社会的共通資本」という概念である。宇沢が一般の読書人にも広く知られることになったのはこの概念の創出によるところが大きいだろう 本書では厳密に定義している文章は出てこないが、そのものズバリの著作『社会的共通資本』には「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」と規定されている。 こうした社会的装置として、宇沢はおもに自然環境(大気・森林・河川など)、社会的インフラ(道路・交通機関・上下水道・電力など)、制度資本(教育・医療・司法など)の三類型を考えた。注目すべきは農村のような存在もそれを単なる農家の集合体としてのみ考えず、社会的共通資本として捉えている点だ。 社会的共通資本を維持していくためには「それぞれの職業的専門家が職業的なdiscipline(規範)にもとづいて、そして社会のすべての人たちが幸福になれることを願って、職業的な営為に従事すること」が求められる。しかし戦後世界は必ずしもそのような形で運営されたわけではなかった。世界中が医療や教育など社会的共通資本をも市場原理に組み込む新自由主義的な傾向が高まるにつれて、しばしばそれらは破壊されていったことは宇沢のみならず多くの論者が指摘しているところである。とりわけ日本の場合には、中曽根政権以降、米国の要求によって莫大な公共投資が実施された。それらがもたらしたのは、地域の医療、経済、社会、自然環境の破壊であった。 そうした経緯を語るときには、おのずと先に記したように社会の病を診断する医師の態度にも似たようなものになってくる。宇沢は言う。「大切なものは決してお金に換えてはいけない」と。 さらに宇沢はジョン・ラスキンを引いて「富を求めるのは、道を聞くためである」という考えを「経済学を学ぶときの基本姿勢として、これまでずっと大事にしてきました」と結びで述べている。 農村礼賛や新自由主義批判にステレオタイプの表現が散見されるとはいえ、社会的な運動にも関与した宇沢の識見には温かな息吹を感じとることができるのも確かである。それは凡百の経済学者からは感受できない人間味のようなものといえばよいか。昭和天皇やヨハネ・パウロ二世と面会した時のエピソードなども興味深い。 「人間の経済」を重視した宇沢流国富論は、公正や平等を重視する近代リベラリズムと共同体に根ざした公共的価値を受け継ぎ次代に伝えることを本旨とする正統的な保守思想の交差するところに位置づけられるのではないだろうか。つまり多くの人々によって共有することが可能な考え方ではないかと私は思う。 ■
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by syunpo
| 2017-05-13 19:00
| 経済
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