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ブックラバー宣言

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2018年 04月 14日 ( 1 )

カメラは何を写し出してきたのか〜『深読み!日本写真の超名作100』

●飯沢耕太郎著『深読み! 日本写真の超名作100』/パイインターナショナル/2012年1月発行

b0072887_17374429.jpg 日本では幕末に写真術が渡来して以来、今日まで多くの写真が撮影され創作されてきた。本書では日本の写真表現の歴史を主要な写真家一〇一人の代表的作品をピックアップしていくというスタイルで振り返る。大竹昭子から借りた〈日本写真〉という概念の括り方には賛否両論ありそうだが、日本の写真小史を把握するうえでは、簡便な一冊といえるかもしれない。

 本書に収められた作品を見てあらためて興味深く感じたのは、写真の最初期から写真表現とは何かを問う自己言及的な創作活動が活発に展開されてきたという史実である。

 シャッターを切れば何がしかの映像が写るということに対する原初的な悦びや驚きから、撮影後に様々な修整や加工をほどこす創作的行為が始まるまでにはそれほどの時間を要しなかった。つまり写真史を紐解けば早くから写真という方法への懐疑を含む実験的な試みがなされてきたことがわかる。そのような歴史の蓄積には、おのずと映像と世界との関係、映像と撮影者との関係をめぐる考察や実験のあとが刻まれてもいるだろう。

 江崎礼二のコラージュ写真。高山正隆の『静物』のように撮影後に絵の具や鉛筆で修正を加えた「芸術作品」。関西の新興写真の流れから出てきたハナヤ勘兵衛や平井輝七らのモンタージュ写真。岡上淑子のフォト・コラージュ。山本捍右のシークエンス(連続写真)。特殊フィルターを使った山崎博のヘリオグラフィ。そして時代は一気に飛ぶが、やなぎみわや畠山直哉らに写真という枠組にとらわれない現代のインスタレーション的な創作活動……。

 デジタル写真の時代になって以降、画像の修整が以前よりも容易になったことから、写真の〈真/偽〉があらためて議論になり、ヴィム・ヴェンダースは映画『パレルモ・シューティング』において、作中で死神らしきキャラクターに「映像は死んだ」と言わせた。

 けれどもその種の加工は今に始まったことではなく、写真が発明されてすぐの頃から始まっていたのだ。写真という表現行為は当初から自己否定的な問題意識と実践を孕んでいたともいえる。写真が「真を写す」ものとして安穏とした地位に居座っていた時代は、日本の写真史をとおしてほとんどなかったのではないか。本書を見てそのようなことを再確認した次第である。

 ただし本書の標題に「深読み!」とあるのは記述内容を反映したものとは言い難く若干の違和感をおぼえた。写真作品を「読む」ためには、前提として写真史や文化史の文脈を理解しておく必要がある。著者もそのことを念頭において、写真家たちの経歴や写真史における位置づけを解説しているのだが、本書の記述は個々の作品を「深読み」するために最低限押さえておくべき基礎知識の概説レベルにとどまっていると思われる。別にそのことを批判するつもりはない。標題はもう少し内容に即したものを付けた方がよかったのではないかということを言いたいまでである。
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by syunpo | 2018-04-14 17:45 | 写真 | Trackback | Comments(0)