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ブックラバー宣言

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カテゴリ:国際関係論( 25 )

人類の先を歩んだ革命家!?〜『カストロとゲバラ』

●広瀬隆著『カストロとゲバラ』/集英社インターナショナル/2018年2月発行

b0072887_9564353.jpg フィデル・カストロとチェ・ゲバラ。キューバ革命を牽引した両雄である。ラテンアメリカ諸国は二〇世紀の大国である米国の圧政を受けて苦しめられてきた。本書で強調されているのは、そうした歴史における「苦しめた側の人間の実名と、圧政の利権メカニズム」に関する解析だ。その点に言及した書籍があまりに少ないと広瀬はいう。そこで〈強欲なアメリカ資本〉対〈キューバの民族主義〉というわかりやすい対立図式をベースに一連の革命を素描していくのである。

 中南米における米国の帝国主義的なあり方を徹底的に糾弾する筆致は痛快である。私も大いに共感する。ただそれにしても、全体を通して「圧政の利権メカニズム」を強調するあまりキューバ革命を美化しすぎているのではないかとの印象もまた拭い難い。あらゆる革命が反動を抑えるために独裁化するのは宿命のようなものだが、外部からいかなる干渉があろうとも、史実を冷静に直視することは著述家に不可欠の態度ではないか。

 けれども広瀬は「人類の先を歩む進歩した人間社会」(カストロ)を目指すものとして、キューバの社会主義に最大限の賛辞をおくっているのだ。

 人間社会を正当に評価するためには、政治リーダーやメディアの情報だけでは無理がある。旅行者としての体験も充分な判断材料にはならないだろう。カネを落としてくれる旅行者には優しくても、外部から来た定住者には冷淡な社会など掃いて捨てるほど存在しているのだから。まずはその社会で生活することが必須である。
 しかし広瀬が断定的に評価を与えている根拠は必ずしも本書で充分に提示されているとは思えない。何よりも本当にキューバ革命が「人類の先を歩む」ものであるなら、追随する国家がもっともっと現れてもいいはずなのだが……。
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by syunpo | 2018-09-02 10:00 | 国際関係論 | Comments(0)

「非現実的な理想論」を現実にする〜『核兵器はなくせる』

●川崎哲著『核兵器はなくせる』/岩波書店/2018年7月発行

b0072887_190749.jpg 二〇一七年のノーベル平和賞は核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に授与された。授賞理由は、核兵器禁止条約をつくるのに貢献したというものである。本書の著者・川崎哲はICANの国際運営委員。

 国連で核兵器禁止条約をつくることはこれまでの国際政治の常識では考えられないことだった。「非現実的な理想論」といわれてきたらしい。だが、それは実現した。本書ではその舞台裏を紹介しつつ世界の核軍縮の歴史について概観する。それは市民活動がいかに国際政治に影響を与えうるかという問題に対する回答となる報告でもあるだろう。現場で活動してきた人ならではの具体的な挿話を盛り込んだ成功譚は説得力を感じさせる。

 核兵器禁止条約が画期的なのは、核兵器を「必要悪」から「絶対悪」と言い切った点だ。国際ルールで禁じることには大切な意味がある。「核保有国が参加しない条約は意味がない」という批判はあるかもしれない。しかし核兵器そのものがはっきりと国際法違反とされたことで国家が核兵器をもつことの意味も変化する。端的にいえば「力のシンボル」から「恥のシンボル」に変わったのだ。

 もちろん条約でそれを明言するに至るまでには多くの人びとの活動が寄与していた。被爆者たちの証言。市民たちの地道な活動。
 そして赤十字国際委員会(ICRC)も大きな役割を果たした。ICRCは、二〇一〇年の国際会議で「核兵器は非人道的で、いかなる場合も認められない」との声明を出した。「救護を職務とする赤十字が、救護に行くこともできなくする兵器の存在を許すことはできない」と主張したのだ。

 しかしその成立の過程で日本政府が示した反応には、著者ならずとも失望せざるをえない。日本の軍縮大使は「核戦争が起きたら救援できないという考え方は少し非観的すぎる。もっと前向きにとらえるべきだ」と言明したというのだ。内容空疎な抽象的精神論を振りかざす点では、戦前戦中から少しも変わっていないのかもしれない。

 当然ながら核保有国も核兵器禁止条約の成立を阻むべく様々な形で妨害してきた。裏返せば条約にはそれだけの力があるということだろう。川崎はいう。「核保有国が激しく非難したり圧力をかけたことは、この条約に効果があることの証明にもなりました。何の意味もないものなら、妨害や抗議などせず、無視すればよいのですから」。

 実際、核兵器禁止条約には社会そのものを変える力が厳然として存在している。たとえば、核開発に使われるお金の流れを止める効果があらわれた。核兵器禁止条約が成立してから約半年の間に、世界で三〇の銀行・金融機関が核兵器開発企業への投資をやめたという。私たちは、この種の国際条約に対して、しばしば単なるお題目が合意されただけと考えがちだが、決してそうではないことを事実が証明しているのだ。

 ICANの行動スタイルにはこれからの市民運動一般を考えるうえでも参照すべき点は多いかもしれない。ICANには若い人が大勢集まっている。ユニークな動画をつくりSNSで拡散するなどメディア戦略にも工夫をこらした。「核兵器を禁止する」というわかりやすい問題に特化したことで、興味をもつ人が増えたと川崎はいう。

「どんな核兵器も許されない」というスタンスは日本の被爆者が語ってきたメッセージと同じものだが、ICANはそれを「日本の問題ではなく世界共通の問題」というメッセージに変換することに成功した、と川崎は自己分析している。

 何らかの理想の実現を目指して人が頑張っているとき、必ずといっていいほど「非現実的な理想論」と冷笑する人があらわれる。けれども理想論を非現実的なものにしているのは、しばしばそのような冷笑主義者の存在そのものではないのかとあらためて思う。
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by syunpo | 2018-08-27 19:02 | 国際関係論 | Comments(0)

政治的言説としての「宗派主義」〜『シーア派とスンニ派』

●池内恵著『【中東大混迷を解く】シーア派とスンニ派』/新潮社/2018年5月発行

b0072887_18531688.jpg 昨今、中東の情勢に関して語られる場合、「宗派対立」の観点に注目されることが多い。しかし池内恵の認識は異なる。「現代の中東に生じているのは『教義』をめぐる対立ではなく、宗派の『コミュニティ』の間の対立である」とみるのだ。本書はそのような認識のもとに政治的言説としての「宗派主義」の概要をコンパクトにまとめたものである。同じ著者による『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』につづく中東ブックレットシリーズの第二弾という位置づけになる。

 近年のシーア派の台頭とそれに伴う宗派対立は、淵源をたどれば一九七九年のイラン革命に行き着く。近代化を推し進めたバフラヴィー王朝を打倒し、シーア派独自の理念による政治体制を樹立した革命である。

 イラン革命はアラブ諸国にとっては脅威を与えるものでもあった。オスマン帝国の時代に確立されていたスンニ派優位の権力構造はアラブ諸国の社会の深い層にまで根を張っていた。イラン革命でシーア派の政治的結集の理念と運動が顕在化し、それに感化された動きがアラブ諸国のシーア派のなかに現われた時、スンニ派のイラン革命への共感は恐れと敵意に変わった、という。

 中東に宗派対立を解き放ったのはイラク戦争である。スンニ派のフセイン政権が倒れ、イラクで多数を占めるシーア派が初めて国家の権力を握った。その結果、イランの影響力が強まり、「シーア派とスンニ派の宗派対立」という図式がイラク新体制発足の過程で定着していったのである。

 中東の社会に潜在していた宗派主義は、「アラブの春」を契機にさらに表面化する。それは中東での細分化した帰属意識の拠りどころの「多くの中の一つ」である。その意味では「アラブの春」の後に現われたのは、自由・民主主義への収斂でもなく、文明間の衝突でもない。それは「まだら状の秩序」と呼ぶべきものであった。

……宗派対立は一方で社会の低層から、他方で権力の上部から煽られていく。宗派主義は、「味方」の範囲を規定して動員するためにも、「敵」を名指すためにも、同様に都合の良い、有効な言説であることが、証明されていった。(p133)

 本書は、宗派対立を宗教的観点でのみ見ようとする一般的な傾向を是正し、意味のある議論へと変えていくうえでの良き入門書といえるだろう。
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by syunpo | 2018-06-28 18:57 | 国際関係論 | Comments(0)

中東は世界の矛盾が吹き出すところ!?〜『9.11後の現代史』

●酒井啓子著『9.11後の現代史』/講談社/2018年1月発行

b0072887_1915681.jpg 中東地域が政治的にも軍事的にも混乱し治安の悪いエリアと認識されるようになったのは、そんなに昔ではない。複数のデータを照らし合わせると、中東でテロや紛争が増加したのは二一世紀に入ってから、特に二〇〇三年のイラク戦争以降ということらしい。

 本書はそのような事実認識に基づき、昨今の中東地域に出来した混乱の背景を多角的に分析している。著者の酒井啓子は、イラク政治史、現代中東政治を専門とする研究者。簡潔明瞭な語り口で、初学者にも読みやすい新書らしい一冊といえるだろう。

 そもそも二〇世紀に中東で起きたことは、欧米諸国が行なってきた矛盾のツケが吹き出したようなものだという。二〇〇一年の九・一一のテロ事件を契機にそのツケはさらに大きくふくらんだ感がある。それにつづいて米国が仕掛けたイラク戦争は、その後の中東地域の混迷を決定づけた。

 標題に即して言うならば、九・一一は「アメリカの外交・安全保障政策を、最初は過剰介入の方向に、次には自国ファーストの方向に、二度にわたってぐるりと転換させる結果を生んだ」といえる。

 イラク戦争が理も大義もない戦争だったということは、開戦から十年以上を経て、開戦当事国の一つである英国の公的機関でも認定された。「無責任でずさんに行われたイラク戦争によって、イラクは秩序が崩壊し、政治は不安定化し、経済は停滞するという悲惨な運命をたどることになった」。
 その理不尽さからISは生まれたというのが世界の大勢的な見方である。

 そうして「イスラームが暴力化するのではなく、暴力性を抱えた個人や集団が、それを正当化するためにイスラームを利用している」という事態も生まれるようになった。

 ISを生む直接のきっかけとなったシリア内戦についても、それが「内戦」の形をとっているとはいえ欧米諸国との関係も軽視できない。シリア内戦が長期化した原因として、酒井は「国内で広く民衆の意思を代表できる勢力が反政府側にいなかったこと」のほかに「「内戦」に関連して周辺国や欧米諸国が、ご都合主義的に介入したりしなかったりの態度を取ったこと」にも求めている。

 本書でもっとも印象に残ったのは、後半になってようやく言及されるパレスチナ問題に関するくだりだ。中東を語る場合、これまではパレスチナの問題は多くの人々にとっては最も重要な問題の一つと考えられてきた。しかし最近のISやローンウルフ型の武装組織は、ほとんどパレスチナ問題に触れることはない。

 犠牲者であることが多様化し、誰しもが犠牲者度合いを競争し、だからこそ自分たちこそが最も報われるべきだと考える現代。かつて皆が「犠牲者としてみなともに悼むべき」と考えてきた、パレスチナの悲劇は、すっかり後景に下がってしまい、自分たちそれぞれが考える「犠牲」からの回復を優先させる。(p196)

 中東では誰もが敵に囲まれた犠牲者としてのアイデンティティを強調するようになったという指摘は日本人にとってもすぐれて教訓的ではないだろうか。「どちらがより多くの犠牲を被ったかの競争だけに時間と労力を費やしても、徒労である」と酒井はいう。

 誰が他者なのかわからないのならば、「われわれ」と「他者」の違いを明確にする必要はないのではないか。少なくとも、敵だ、悪魔だ、と名付けられる相手が、本当に敵で悪魔なのか、わずかでも疑ってみる冷静さがあってしかるべきだろう。(p215)
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by syunpo | 2018-03-23 19:16 | 国際関係論 | Comments(0)

「謙虚な叡智」としての現実主義!?〜『国際政治』

●高坂正堯著『国際政治 恐怖と希望 改版』/中央公論新社/2017年10月発行(改版)

b0072887_18535136.jpg 高坂正堯といえば日曜朝の情報番組でコメンテーターとして出演していた時の姿が強く印象に残っている。少し甲高い声、京都弁まじりの明朗な語り口には独特の味があった。発言内容に関して深く感銘を受けたというような記憶はないのだが。

 本書は初版が一九六六年に刊行され、二〇一七年に晴れて改版の運びとなった。五十年の年月に耐えて今日なお現役本として読者のもとに供せられていることは、あらゆる商品が短命を余儀なくされている現状に照らしてみれば素晴らしいことだろう。しかしながら通読しての感想はひと言でいえば「退屈」。

 権力政治に関する認識などは明らかに本書が執筆された時代の制約、すなわち冷戦構造に縛られたものであるという印象を否めない。意地悪くいえば状況解説の範囲を出るものではないように思われる。

 たとえば、高坂は国際社会の混乱の原因を邪悪な勢力の存在によるものと考えず、世界の権力政治の構造そのものに内在するジレンマによるものと考える。そこまでは良い。

 しかしそこから「対立の原因そのものを除去しようとすることを断念」し、「それよりは対立の現象を力の闘争として、あえてきわめて皮相的に捉えて、それに対処していくほうが賢明」という対症療法的な解決に向かうのは何とも凡庸というほかない。そうした「現実主義」を「謙虚な叡智」と呼ぶことにももちろん賛同できない。結局のところそれらは上述したように当時の冷戦構造を前提した限定的な考え方でしかないように思われる。

 むろんそのことをもって本書の価値を貶めるのはフェアではないだろう。ごく少数の賢人をのぞけば誰もが時代のパラダイムのなかで思考するほかないのだから。その意味では現代政治思想史の観点からすれば興味深い本といえるかもしれない。
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by syunpo | 2018-02-01 18:55 | 国際関係論 | Comments(0)

左右の対立を超えて〜『テロリストは日本の「何」を見ているのか』

●伊勢崎賢治著『テロリストは日本の「何」を見ているのか 無限テロリズムと日本人』/幻冬舎/2016年10月発行

b0072887_1852398.jpg 日本の安全保障問題を考察した本はあまた出ているが、本書は類書にない視点を打ち出している。テロリズム対策に重点をおいている点だ。というのも伊勢崎賢治によれば「圧倒的な低コストのローテクで、急速に存在感を増しているのがグローバルテロリズム」であり、その脅威の方が近隣諸国の軍事的脅威よりもよりリアルだからである。

 伊勢崎がとくに強調するのは「核セクリュティ」の問題である。原発は仮に廃炉してもその後の核廃棄物の管理に難題をかかえている。今後日本が国家の安全を考える場合、いかなる電源政策を選択しようとも核の問題を避けて通ることはできない。福島の原発事故で「インフラの破壊という大掛かりなことをしなくても、『電源喪失』だけでコトが済む、という新たなヒントをグローバルテロリズムに与えてしまった」ことは決定的である。

「核セキュリティ」の問題はウヨクとサヨクの対立を超える。喫緊の課題のはずだが、誰も本気で手を打とうとはしない。この問題だけでも一冊分の重要性を有しているのではないか。だが本書ではテロリズムをめぐってさらに根源的な問題へと分け入っていく。

 そもそもテロリストはどのようにして生まれるのか。

 それはしばしば超大国の代理戦争が生み出したものである。たとえば、アルカイダやタリバンは米国やパキスタン、金満アラブ諸国が育成したものであり、シリアのテロリズムはロシアの影響力を受けている。
 あるいは政治力が逆転すれば、これまでテロリストと呼ばれた者が体制側になり、体制側の実力組織がテロと呼ばれることもありうる。伊勢崎が体験した東ティモールの独立で実際に生じたことである。

 テロリズムのラベリングじたいが政治力学の変化よって入れ換わる、という指摘はきわめて重要である。私が本書から得たもっとも興味深い事実であるといっておこう。

 とはいえそのような認識を手に入れたところで、現実のテロ対策には即効的な御利益はないだろう。伊勢崎の考察はさらにすすむ。認識すべきことは「グローバルテロリズムとは、アメリカ・NATOという世界最大の軍事力が勝利できない敵」という点だ。この敵に関しては、アメリカが日本の安全を保障することはできない。それどころか「アメリカの代わりに狙われる」可能性すらある。

 ではグローバルテロリズムに対処するにはどうすればよいのか。本書ではやはり米国のやり方を参照する。

 米国陸軍・海兵隊は、イラク戦争開戦三年目の二〇〇六年に、フィールド・マニュアルというべき「対インサージェント軍事ドクトリン(COIN)」を改定した。そこでは「民衆が自らの安全と将来を任せられる優秀な傀儡政権をつくること」が提案されているという。

 伊勢崎は日本版COINをつくる必要性があると言明する。具体的には「国際(国連)停戦軍事監視団」への参画である。これを日本のお家芸にすべきだというのが本書の提言である。

 むろんそれだけで話は終わらない。米国の代わりに狙われるリスクの軽減として「日米地位協定」の改定をあげている。これはすでに多くの論者が繰り返し指摘してきたように極めて不平等な協定である。そこで伊勢崎が掲げる改定骨子は以下のようなものとなる。

「地位協定の時限立法化、もしくは、米軍の最終的な撤退時の状況のビジョン化」
「在日米軍基地に米軍が持ち込むすべての兵器・軍事物資、そしてそれらの運用に対する日本政府の許可と随時の検閲権、すべての基地、空域の管理権の取得」
「在日米軍基地が日本の施政下以外の国、領域への武力行使に使われることの禁止」(p217)


 憲法九条についても改正の必要性を力説している。
 戦後、徐々に九条の空洞化がすすみ、安倍政権によって集団的自衛権が容認されたいまの状況にあっては「もう大義名分において9条が禁止するものに一体何が残っているのでしょう」と言い切り、改憲案を提示して本書を締めくくるのである。その内容についてはあえて記さない。

 伊勢崎の提言は日本版COINや改憲の内容については賛否両論あるだろう。しかしながら日米地位協定の改定に関してはきわめて明快であり、本書の提言を支持したい。何よりこれは安全保障の問題という以前に独立国としての矜持が問われている問題だろう。

 伊勢崎の語りをライターがまとめた構成にはもう少し整理の余地があるように感じられたが、前段で紹介した提言のみならず現場で実務を経験してきた者ならではの具体的な挿話にも学ぶべき点が多々あるように思う。少なからぬ示唆を与えてくれる本であることは確かである。
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by syunpo | 2017-12-19 19:05 | 国際関係論 | Comments(0)

戦争する国にしないための〜『18歳からわかる平和と安全保障のえらび方』

●梶原渉、城秀孝、布施祐仁、真嶋麻子編『18歳からわかる 平和と安全保障のえらび方』/大月書店/2016年1月発行

b0072887_19112982.jpg 武力によらない平和。それをいかに実現していくべきか。本書では、安倍政権が強行採決した戦争法の批判的検討から始め、安倍政権にいたるまでの戦後日本の平和と安全保障のあり方をあらためてふりかえる。そのうえで武力によらない平和構築に向けての構想を提示するという構成である。執筆者は若手の研究者や活動家たち。

 書名からも察せられるとおり入門的な内容で、とくに目新しい視座を提供してくれるものではないけれど、安全保障の問題を考えるうえで押さえておくべき論点はひとおおり解説されている。

 国連によって認定されていることが正当化の大きな根拠になっている集団的自衛権について「国連本来のビジョンとはかけ離れている」ことに論及しているのは真嶋麻子。「国連発足の際に『集団的自衛権』の文言が国連憲章草案に加えられることとなったのは、東西冷戦の始まりが予兆される時代の、連合国間の相互不信を背景としている」という。さらに二〇世紀後半の大国による中小国への軍事介入の多くが、集団的自衛権の行使を理由とした武力の発動だったという指摘も重要だろう。

 また、軍事組織が存在しないことになっている現憲法において「文民」なる用語が使われているのは以前から不思議に思っていたが、三宅裕一郎はその点に関して「芦田修正」をめぐる当時の状況を解説していて興味深く読んだ。極東委員会は「芦田修正によって『自衛』のための実力の保持が可能となり将来的に軍隊が創設されるかもしれない」と懸念し「帝国議会貴族院での審議の大詰めになって、内閣のメンバーは軍人ではない『文民』でなければならないとする文民条項(憲法66条2項)を挿入するよう強く求め」たのだという。

 日米安保条約や日米間の密約については、布施祐仁の論考が本質的な問題点にふれていると思われる。「日米安保条約に基づく在日米軍は日本防衛のために存在しているわけではなく『米国中心の世界秩序の維持存続』を目的とする軍事作戦のために存在している」ことが未だに広く認識されないのはおかしなことだと思う。

 沖縄に米軍基地が過度に集中するようになった背景には、日米両政府が日米安保体制を維持するために、本土では基地を削減し安保の「不可視化」を進めながら、沖縄にその負担を押しつけてきた歴史があるという現代史の基本認識は全国民的に共有しておきたいところだ。

 日米間の密約にはさまざまなものがあるが、裁判権放棄についても密約があることは恥ずかしながら本書で初めて知った。旧行政協定では、日本の当局が米軍関係者を逮捕してもすぐ米軍に引き渡さねばならなかった。現行の地位協定では公務外の犯罪については日本が第一次裁判権を有すると明記されている。しかし、一九五三年の日米合同委員会で「日本にとっていちじるしく重要と考えられる事例以外」について第一次裁判権を放棄すると日本の代表が表明し、これが非公開議事録として残されたのである。裁判権放棄密約はいまも有効だと考えられる。

「コンフリクトとは、平和紛争学において、人間社会を平和的手段によって転換するための恰好の契機」という奥本京子の論考も示唆に富む。人々の多様性を認め、平和で人権が守られる社会をつくるには、社会の深いところにあるコンフリクト(葛藤・対立・紛争)を顕在化させることだという指摘には納得させられた。対立が表面化することを悪しきことのように考えがちな日本の社会風土を変えていくことが必要ではないだろうか。

「平和と安全保障は、普段生活するなかではなかなか実感できない、縁遠いものかもしれません」と本書の冒頭に記されている。平和や安全が脅かされたときに初めて我々はその価値を実感するのだろう。まがりにも自由に考え行動できるうちに、発言すべきことを発言しやれることをやっておきたいものだ。
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by syunpo | 2017-11-25 19:15 | 国際関係論 | Comments(0)

平和利用と軍事利用の一体性〜『日米〈核〉同盟』

●太田昌克著『日米〈核〉同盟 原爆、核の傘、フクシマ』/岩波書店/2014年8月発行

b0072887_2003237.jpg 日米同盟とは「核の同盟」である。核には軍事利用としての核兵器と平和利用としての原子力発電がある。日本は外形上は前者を自粛し後者のみを推進してきたが、実際には両者は表裏一体のものである。

 本書は、そのような認識に基づき、戦後における日米の同盟関係について核を軸にしてみていく。著者の太田昌克は共同通信で長らくこの問題を追ってきた記者である。

 西側同盟の盟主米国は、冷戦の激化に合わせ世界唯一の戦争被爆国である日本の領土に、核戦力を前線配備しようとした。核兵器にきわめて敏感な反応を示す日本人にいずれ各配備を受け入れさせるために行なったのが「原子力の平和利用」による「核ならし」という、日本国内世論のマインドコントロールだった。(p19)

 核の「平和利用」と「軍事利用」がコインの裏表の関係をなしていること、まさにその原子力の表裏一体性ゆえに、稀にみる核被害国である日本は、米国の思い描く原子力レジームに組み入れられていったのだ。(p19)

 こうして日本の原発は米国から技術導入された。福島で原発事故が発生した時、米国が素早い対応を見せたのも戦後の日米〈核〉同盟の歴史からみれば当然のことであったろう。

 原子力の軍事利用たる核兵器については、米国の「核の傘」を受け入れていった経過を概観しているのだが、安保改定を主導した官僚の一人は非核三原則を「バカな話」とはっきり酷評していたというのには驚かされる。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作もまた「非核三原則の『持ち込ませず』は誤りであったと反省している」と言い切ることがあったらしい。さらに核密約が外務官僚主導で行なわれてきたことを具体的に明らかにしているのも考えさせられる史実である。

 外務次官経験者らの証言からは、もう一つの重大事実が浮かび上がった。それは、事務次官ら外務省の事務方中枢の裁量で政治家に重要情報を伝えるか伝えないかを決める「官僚主導」の密約管理の実態だ。(p71)

 あらゆる情報が政治家に伝達されているわけではないことは民主主義の観点からは大きな問題であるが、大臣がすぐに代わる政治状況のもとでは「危ない人には言わなかったと思う」との官僚レベルでの判断が優先されたらしい。

 米国の「核の傘」のもとで国家としての主体的な判断を停止させている日本の状況について、最後にエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』を引いているのは示唆に富む。「日米同盟は『核』という軛につながれた『核の同盟』である」と著者はいう。

 膨大な公文書の読み解きだけでなく関係者への取材を加えることによって本書では戦後の日米関係史がいっそう生々しく描出されることとなった。文献資料のみに頼ってややもすると一本調子の読み物になりがちな学者の論考とは違って、ジャーナリストのフットワークの軽さが活かされた新書といえるだろう。
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by syunpo | 2017-07-31 20:02 | 国際関係論 | Comments(0)

新たな列強の時代へ〜『中東から世界が崩れる』

●高橋和夫著『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』/NHK出版/2016年6月発行

b0072887_2045652.jpg 世界を人体にたとえると、中東は経済の血液(エネルギー)を体全体に送り出す心臓である。ここでの異常は世界に影響を与える。中東が混乱して崩れ、ブラック・ホールのように世界全体を吸い込んでしまう。そうしたシナリオを回避するためには当然ながら中東を理解することが重要になる。書名の「中東から世界が崩れる」とはそのような意味を込めている。

 ところで、日本での中東理解は宗教過多に陥りがちだと高橋和夫はいう。宗教の話をしてわかったような幻想にとりつかれるのは、そろそろやめよう。たいていの事象は宗教抜きでも理解できる。そこで本書では、宗教のみならず政治や経済にも着目し、問題の深層に光をあてていく。
 高橋は、イランとサウジアラビアを中心に中東情勢を解きほぐして、国際政治のうねりの中に位置づけなおす。そのうえで、国際社会が直面するテロや難民の問題を考え、最後に日本の立ち位置について検討する。

 中東で近代国家としての体裁を整えているのは、イラン、エジプト、トルコの三カ国だけ。残りは「国もどき」である。これが本書の基本認識だ。三カ国以外は「二〇世紀になって人工的につくられた“国もどき”」であり、強い国家意識を欠いているという。「国もどき」の代表格がサウジアラビア。工業化の水準、教育水準、労働力の構成、国民のアイデンティティーの強さなどを考えると、とうてい国家とはいえない。肉体労働者の多くは外国人であり、支配者層である王族は石油の富を使って国民の生活を保障している。イランが国際社会に復帰する一方、サウジアラビアが中東の盟主として存在感を示すことはこれからもないだろう。

 国もどきのエリアで統治が混乱をきたした間隙をぬってISが台頭してきたのは『イスラム国の野望』で詳述されているとおりである。米国のプレゼンスも低下しており、中東は新たな列強の時代を迎えつつある。当然、この地域の再編も考えられる。複雑で、多様で、曖昧とした世界が常態化する。日本を含む域外諸国は中東が本来持っていた世界への対応を迫られるだろう。

 日本はこの地域においては独自外交の蓄積がある。植民地をもった経験がないばかりか、ヨーロッパの植民地支配が残した後遺症への対処にも貢献してきた。ゆえに中東諸国からの信頼も厚い。中東に「善意の基盤」を持つ日本外交は大きな潜在力を秘めていると高橋はいう。テロと戦うという空疎で勇ましいかけ声を発するよりも、私たちは何よりもそうした「インフラ」を引き継いでいくべきだろう。

 高橋が新書形式で出している著作はおしなべて平易な語りで、晦渋なところはかけらもない。といって教科書風の堅苦しさはなく、文章には独特の味がある。本書も高橋の個性が発揮された良書ではないかと思う。
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by syunpo | 2016-08-30 20:06 | 国際関係論 | Comments(0)

「だまされない」という意思〜『21世紀の戦争と平和』

●孫崎享著『21世紀の戦争と平和 きみが知るべき日米関係の真実』/徳間書店/2016年6月発行

b0072887_18374748.jpg 外務省で情報調査局分析課長、国際情報局長などを歴任し、現在は評論家として活躍している孫崎享が文字どおり「二一世紀の戦争と平和」について考察した本である。

 第二次世界大戦後の国際秩序を概括し、日本の対米従属構造を明らかにしたうえで、集団的自衛権の行使が日本の平和にとってけっしてプラスにはならないことを説く。恒久的平和を実現するためには「東アジア共同体」構想の具体化が必要だとまとめる。

 引用が多く、同じような話題があちこちに散らばるなど筆致は粗削りという印象なきにしもあらずとはいえ、外交の現場にいた人ならではの具体的な論述はそれなりに説得力を感じさせることも確か。たとえば湾岸戦争のときの日本の財政支援が国際社会で評価されなかったことを指摘して軍事的行動の必要性を説くのはよくある議論だが、実際にはクウェートが日本に感謝していたことを孫崎は具体的事実にそって述べている。

 また末尾に引用されている伊丹万作の「戦争責任の問題」と題された論文はネット上でも昨今よく引用されているけれど、なるほど一読に値するものだと思う。
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by syunpo | 2016-08-10 18:38 | 国際関係論 | Comments(0)