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カテゴリ:建築( 13 )

大阪から世界へ〜『仕事をつくる』

●安藤忠雄著『仕事をつくる 私の履歴書』/日本経済新聞出版社/2012年3月発行

b0072887_22250649.jpg〈はじめに〉として冒頭に二流政治家のスピーチのような、言葉使いは立派だが陳腐な文章が掲げられている。なんだかなぁと不安を覚えつつ本文に入ったのだが、結局その不安を覆してくれるようなインパクトのある言葉には最後まで出会えなかった。

 著者の普段の言動からすれば察しのついたことではあるけれど、前後の脈絡がしばしば混乱していたり、凡庸極まりない人生観が大仰に披瀝されていたり。せっかく個性的な実業家たちと付き合いながら、彼らの魅力を「骨太」「明るさ」「気迫」「精神力」「勇気」等々と抽象的でありふれた語彙に回収してしまうのも興ざめ。

 安藤の建築はユニークでおもしろいと思うけれど、言葉の貧しさは如何ともしがたい。天は二物を与えず、とでもいえばいいのか。
この業界には磯崎新のような現代思想にも通じた理論家も多いわけだが、安藤のベタな語りは良くも悪しくも大阪的な知を象徴しているのかもしれない。

by syunpo | 2019-04-20 22:30 | 建築 | Trackback | Comments(0)

日本人は本当に集団主義的か〜『日本の醜さについて』

●井上章一著『日本の醜さについて』/幻冬舎/2018年5月発行

b0072887_9464563.jpg 日本人は欧米人に比べ集団主義的であるとよくいわれる。それは本当だろうか。建築や都市景観に関しては、西洋と比較して日本人は集団主義的とは到底いえない。むしろ個々人が自由を謳歌している。井上章一はそのように主張する。じつにおもしろい。

 欧州は日本と違い、近代的な自我をふくらませてきたと認識されてきた。しかし欧州の古い都市を歩くと気づくことがある。古びた建物をそのまま使い続けている。街区を成り立たせている建造物群は互いに似通っている。個々の建築が自分たちの個性を主張することはあまりない。つまり、建築や都市計画に関しては、欧州の方が日本に比べはるかに集団主義的に構成されている。彼の地では建築家の自由な表現がなかなか許されない。

 対して、日本では欧州よりも表現上のしばりは弱くなっている。京都のような観光都市ではいくらか景観規制があるものの、パリやフィレンツェと比べれば建設側の自由を認める度合いは強い。

 日本のそのような状況について、イタリア人建築家のファブリツィオ・グラッセリは「不動産業者や金融機関、政治家たちの利益のためにだけつくられた街」のあり方に眉をひそめ、乱雑な東京の街並を批判した。
 その一方、イギリスのサイモン・コンドルは「急速に発展した都会の街並み、心をときめかせる新しさ、東京には表現豊かな建築をつくる機会が限りなくあるように思えた」と肯定的に評価した。

 井上はそうした好対照の見方を紹介しながら、日本の建築家が世界的に活躍している背景をそこに見てとっている。すなわち日本人建築家の世界的な活躍は「乱雑な街並の副産物でもある」のだと。
 いずれにせよ、建築や都市づくりに関するかぎり、近代以降の日本人は比較的自由に活動することができたことは間違いない。

 本書の面白味は、そのような主張にさらに坂口安吾批判をからめている点にも感じられる。
 日本の近代化は坂口安吾が《日本文化私観》で提示した考えに沿ってすすんだともいえる。安吾は建築を「ある観念の代用品」としてのみ位置づけた。どのような技術を凝らそうとも、建築は結局、観念そのものに及ばないと決めつけた。たとえば、龍安寺の石庭は深い孤独やサビを表現しようとしたが、人びとが心に思う観念の大きさには至れない、と考えたのである。ゆえに安吾は、仏教と僧侶さえいれば、寺などは焼けてもいいと言い切った。そのような考え方は、建築は使い捨てでかまわないという、ブルジョワたちの都合でできた現代日本の街並と同じ線上にあるといえる。

「イタリアかぶれ」を自称する井上が安吾のような態度を否定するのは当然であろう。周囲との調和や都市景観を軽視した日本の近代化は「強いエゴイズム」の発露とみなしうる。日本人は建築や都市景観に関するかぎり集団主義的とはいえない。むしろ自我のおもむくままに表現してきた。しかしそのことをもって日本の近代化を自慢することもできないのである。

 本書では、そのほかにカーネル・サンダース、ペコちゃんなど店頭に置かれる人形の日本独自のあり方や、お城の再利用をめぐる和洋の文化的差異などさまざまな問題が考察されている。また第二次大戦時、イタリアがローマ空襲後にすぐさま降伏の動きに入ったことを街並保存の観点から検証しているのは本書のコンテクストのなかに収まるものであるだろう。

 井上は日本の社会科学者たちが建築や街並という目にみえるものに注意をはらわず、「ヴィジュアル面ではうかがえない何かを、抽出しようとした」こと、「近代的な精神、あるいはエートスとでもいったものを、彼らはさぐりつづけた」ことを糾弾している。その意味では本書は日本の社会科学批判の書とも言うことができるかもしれない。
by syunpo | 2018-08-09 09:47 | 建築 | Trackback | Comments(0)

カラーが示す深い意味と味わい〜『世界の美しい色の建築』

●大田省一著『世界の美しい色の建築』/エクスナレッジ/2017年10月発行

b0072887_19524528.jpg 建築と色の関係についてきちんと論及した書物はあまりない。大学の建築学科でも色について教わることはほぼないという。たしかにこれまで親しんできた建築に関する書物は大方がフォルムについて、あるいは都市計画との関係について論じていたような印象がある。建築史のうえで色が話題にされることが少なかったのは何故なのか。

 建築が色を語らないのは、意識のうえでの問題でもあった。ルネサンスでは、古典の復興の中で、ギリシャの大理石彫刻の白さに価値が置かれた。その白さが、光と影を際立たせたのである。美術を制度化していったフランス・アカデミーでは、17世紀以降、絵画において、フォルムか色彩かという「色彩論争」が起こる。このなかで、ルイ14世期は、フォルムを重視して素描に重きを置く方が優勢であった。かたちをとらえることは理性的な行いとされ、色彩はそれに従属するものとされた。(p4)

 むろんその後の建築史は色について時には雄弁に語り始める。考古学調査の伸展もあって古い建築にも色が付いていた証拠が見出されるようになり、ポリクロミー(多色)の建築も多く建てられるようになった。一九世紀の美術批評家ジョン・ラスキンは「完全な建築は最高級の彫刻で形成され、これに(中略)模様彩色を伴わせるべきである」と述べ、バウハウスでは色も科学のひとつと考えられた。

「建築と色彩には、もはやのっぴきならない関係性が生じているようである」と大田省一はいう。そのような認識に立脚した本書は標題どおり世界に存在するカラフルな建築の美しさを紹介している。編集もシンプルでわかりやすい。ピンク、ブルー、イエロー、グリーン、オレンジ、ブラック、ホワイト、レッド〉の八つの色に分けて、それぞれ代表的な建築物を数例ずつピックアップするという構成である。

 ピンク。アルゼンチンの大統領官邸カサ・ロサダ。その名はスペイン語でピンクハウスの意である。アメリカのホワイト・ハウスの向こうを張った渾名というのがおもしろい。ジャケット写真にも使われているマレーシアのプトラモスクのピンクの外観も魅惑的。ピンク色は花崗岩の石材によるものという。

 ブルー。スロバキアの首都ブラチスラバに建つエリザベス教会。青い教会の異名どおり様々な部材がブルー基調で彩られている。ブラジリアのドン・ボスコ聖堂のブルーのステンドグラス、青い光があふれる内部も印象的である。

 イエロー。ベトナム・ホーチミンのサイゴン郵便局。黄色に塗られた外壁が南国の光に鮮やかに映える。フランスの都市計画の手法に従って建てられたらしいのだが、その建築の豪華さは本国から贅沢すぎると言われたとか。ウィーンのシェーンブルン宮殿の外壁はマリア・テレジアにちなんで「テレジアン・イエロー」と呼ばれているらしい。

 グリーン。サンクトベルグのエルミタージュ美術館。ペパーミントグリーンの壁面と白色のコラム(円形断面の柱)、金色の装飾とのコントラストが美しい。サウジアラビア・マディーナにある預言者のモスクは、緑色のドームで知られている。深緑はイスラームにおいては聖なるものを表す色という。

 オレンジ。ロンドンのハンプトンコート宮殿の壁面の鮮やかな色。建築史的にみるとレンガの焼成温度が上がって発色が鮮やかになり、明るいオレンジの壁面が増えた。ストックホルム市立図書館のオレンジ一色の外部塗色は、オークル由来のオレンジスタッコによるもの。

 ブラック。ロシア・キジ島のブレオブラジェンスカヤ教会における破風やドームの屋根材はポプラの板材が使われているが、風雨に晒されたことによる淡い黒色が歴史を感じさせて味わい深い。湯島聖堂は、一七九九年に改築される以前は朱塗りに青緑の彩色だったが、改築を機に黒漆に塗られたという。

 ホワイト。タージ・マハルはインド・イスラムの美を代表する建築。白大理石は皇帝の高貴さを表すために宮殿建築などでしばしば使用された石材である。パリのサヴォア邸は、言わずと知れたル・コルビュジエの代表作。屋上庭園をもつ白い躯体は細い柱で持ち上げられて地面から解放されている。

 レッド。パリのムーラン・ルージュ。ご存知、赤い風車という意味である。かつてモンマルトルの丘には三十近くの風車があったことから、それを屋根に掲げた。ウクライナのキエフ大学のキャンパスの中心には、レッドビルディングが建っている。創立以来、大学を象徴する存在である。

 あれやこれやとカラフルな建築の写真を見ているだけでも充分に愉しいのだが、それぞれのカラーにまつわる解説的なコラムも勉強になった。

 たとえばブルー。ロイヤルブルー、プルシアンブルーなど、高貴で珍重されたイメージが青色にはある。ただしローマでは青は喪服の色であり、ケルトやゲルマンなどの異民族をあらわす色でもあったらしい。大航海時代に入り、ウルトラマリンと呼ばれるラピスラズリ(青金石)がアフガニスタンから欧州に輸入されるようになると、ブルーは様々な場面で使われるようになったという。

「建築の色を知ることは、建築の、どこか新しい局面を見せてくれる契機となるかもしれない」と大田省一は記している。同時期に出た『世界の美しい窓』も美しい本だったように、エクスナレッジの『世界の美しい……』シリーズはユニークな視点を打ち出しつつ誰にも親しめる好企画ではないかと思う。
by syunpo | 2018-01-29 19:56 | 建築 | Trackback | Comments(0)

人類の営みと歴史を垣間見る〜『世界の美しい窓』

●五十嵐太郎+東北大学都市・建築理論研究室編著『世界の美しい窓』/エクスナレッジ/2017年10月発行

b0072887_194074.jpg 窓は建築の中でももっとも魅力的な部位かもしれない。冒頭でそのように言明する本書は、文字どおり世界の美しい窓を紹介するものである。編者の五十嵐太郎はその惹句につづけて窓に対する認識を次のように示している。

 ファサードを人間の顔に見立てるならば、まず窓は目になるだろう。すなわち、目が顔の印象をつくりだすように、窓は建築の表情を決定する大きな要素である。もちろん、目になぞらえるのは、窓から光を室内に採り入れるだけではなく、窓を通じて部屋にいる人間が外の風景を眺めるからだ。また空気を入れ換えることも窓に求められる機能である。エアコンなどの空調設備が現在ほど整っていない近代以前には、より一層重要な役割を果たしていた。とすれば、通風のための窓は鼻や口にも似ていよう。

 さまざまな機能をもつ窓がつくりだす豊かなデザイン。すべての項目にカラー写真を配しているので「古今東西の建築を旅するかのように」読者はページをめくっていくことになる。

 本書は二部構成である。「窓を外から見る」1章と「窓を内から見る」2章から成る。さらにそれぞれを「遠景」「中景」「近景」の三つにカテゴリー分けして、窓や建築に対するアプローチのしかたを変えていくのも編集の妙といえようか。

 ピックアップされているのは、歴史的な宗教的施設や観光名所的建築、古い街並みや建築家の私邸まで多岐にわたる。窓という一つの切り口だけで、世界の建築の多様性と同時に意外な共通性を知ることができるのは一つの驚きといっていいかもしれない。

 降り積もった火山灰が円錐状を成す岩を利用した〈カッパドキア〉。岩内部に洞窟状に広がる住居は階数の概念に乏しいため、窓やテラスの位置はバラバラになっているが、深く掘られたテラスは各戸のプライバシーを確保し、日射を遮る機能性をも有している。

 ル・コルビュジエの名作〈サヴォワ邸〉は、二階の端から端までつながる横長の窓が圧巻。水平連続窓と呼ばれるそれは、モダニズム運動を主導したル・コルビュジエが提唱した「近代建築の五原則」に含まれるアイデアという。

 イエメン〈サナア旧市街〉のカマリアの窓は歴史を感じさせて見る者の想像力を掻き立てる。インドの〈繊維業会館〉にみえる「陽光砕き」の意味をもつ「ブリーユ・ソレイユ」なる形式のファサードもおもしろい。

 アントニ・ガウディの〈カサ・バトリョ〉の曲線美は今さら賞賛するまでもないだろう。ヒンドゥー教や道教の影響を受けているらしいシンガポールの〈タン・テンニア邸〉の独特の色彩もインパクト充分。

 一六世紀末に竣工した〈サン・ピエトロ大聖堂〉のドーム天井部分にある長方形窓からは光がさしこんで美しい。大きな天窓をもつ〈ソロモン・R・グッゲンハイム美術館〉はフランク・ロイド・ライトの傑作だ。マルクスか通ったことで知られる〈大英博物館図書室〉の二十個の窓と頂部の巨大な天窓は、大英帝国のかつての栄華を感じさせるスケール感。

〈アマリーエンブルク離宮〉のトリッキーな窓の細工もおもしろいし、〈ロンシャンの礼拝堂〉の白いコンクリート壁一面にあけられた窓は形状的には日本の城壁に穿たれた「狭間(さま)」を想起させて興味はつきない。安藤忠雄の〈光の教会〉は十字型のスリットから光がさしこむ仕掛けで、本書でもやはり取り上げられている。

〈シャルトル大聖堂〉のステンドグラスは壮観そのものだし、パリにある〈アラブ世界研究所〉の窓は、メカニカルなデザインとイスラムの伝統的な意匠を巧みに融合させて印象深い。

 そうしたなかで、個性的なウィンドウレス・ハウスとして掲載されているのが、名古屋市にある〈竜泉寺の家〉。コンクリート打ち放しの矩形の建築で、そのシンプルな造りがかえって本書のなかで異彩を放っている。

 窓は、建築のキャラクターを決めるだけでなく、連続して並ぶ同じ様式の建築で用いられると、窓は街並みをつくりだすこともできる。逆に屋内にいる人たちは、窓枠という切り取られたフレーム越しに外を眺めることで、窓による「額縁効果」を感受することにもなるだろう。ついでに記せば「同窓生」という言葉があるように、窓という漢字には「勉強所」という意味もある。

 窓がつくりだす豊かなデザイン。いや、デザインというレベルにとどまらず、窓をとおして私たちは人類の営みやその歴史を垣間見ることができるといってもいいかもしれない。
by syunpo | 2017-11-20 19:06 | 建築 | Trackback | Comments(0)

戦後民主主義から二一世紀建築へ〜『丹下健三』

●豊川斎赫著『丹下健三 戦後日本の構想者』/岩波書店/2016年4月発行

b0072887_1128101.jpg 戦後の復興期から高度成長期にかけて多くの国家プロジェクトを手掛けた丹下健三。その活動は建築の領域にとどまらず、それらが織り成す都市のあるべきすがたを追求しつづけることでもあった。丹下が創り出した建築・都市空間は、高度成長の道をつき進む戦後日本の象徴だったといえる。

 また丹下は、浅田孝、磯崎新、黒川紀章ら多くの逸材を輩出したことでも知られている。本書では「世界のタンゲ」の足跡を、「丹下シューレ(丹下学派)」の活動とともにあとづけていく。その作業をとおして、彼らのつけた道筋が二一世紀の日本の建築に直に接続していることが示される。

 著者の豊川斎赫は建築家であり建築史を専攻する研究者でもある。批判の多かった丹下の仕事に対し、積極的に今日的な意義を見出そうとしている点に本書の特色があるように思われる。たとえば初期の代表作ともいえる有楽町の都庁舎は建築物としては評判が悪かったが、その構想については肯定的な見方を提示している。

 この都庁舎の試みは、合理的な建築の追求のみならず、都心に集う市民がシェアする公共空間のプロトタイプを目指していた。これらを鑑みるに、建築に込められた思想の点で、都庁舎は二一世紀のどの超高層ビルをも凌ぐ画期的な建築であった、と評価できる。(p36)

 著者のいう「戦後日本の構想者」としての一面が都庁舎にも表現されていたと見るわけである。その後、丹下は数多くの国家プロジェクトに参画して、「一九六〇年代の丹下は、社会変化に機敏に反応しながら、建築・都市・国土を有機的に統合し、〈建築の本義〉を具体化しようとした」。

 海外での活躍も目を見張るものがあった。中東諸国での都市計画、アフリカにおける総合大学建設プロジェクトへの参加、シンガポールの都市再開発……などなど丹下の名は世界的ブランドとなる。

 とはいえ、丹下の仕事が彼の地における文化史の進展にどの程度寄与しえたのかは疑問符もつくだろう。たとえばサウジアラビアでの仕事に関して豊川は「王族の権威や繁栄を象徴するものであり、アラビア半島の文化や社会構造の変化にどれほど貢献しえたのかは、慎重に評価する必要がある」という。

 それはそれとして、丹下は世界で学んだことを国内での仕事にも応用しようとしたことは事実である。東京では、美濃部亮吉知事のあとを継いだ鈴木俊一都政への共感を隠すことなく新宿都庁移転のプロジェクトに取り組んだ。

 丹下案を見た多くの論者からは「その外装が歴史様式を散りばめたポスト・モダンである」と批判の声が聞こえてきたが、豊川の評価は少し異なる。「一定規模を超えた巨大な複合施設を計画する場合、内部の機能に即しつつ整った外装を生み出すことは至難の業」である、丹下は「中東やアフリカの地域性や歴史性を抽象的にパターン化し、内部とは無関係なパターンを構造に貼り付ける手法を学習していた」ので、新都庁舎ではこの手法を応用したにすぎない、と。つまり「近代社会の終焉をデザインで訴える意図は毛頭なかった」と弁護するのである。

 大きな政治問題ともなった都市博覧会を含む臨海副都心再開発のプロジェクト・東京フロンティアにも丹下は深く関与したが、青島幸男知事の誕生で成就することはなかった。

 東京フロンティアは国際金融都市シンガポールが先行モデルとなっており、既視感だけが残る結果となった。これは、現在もビジネス誌を彩る、さまざまな東京構想の雛形となっている。われわれの構想力は東京フロンティアの射程距離を抜け出ていないのが現状である。(p139)

 ただし以上の認識のみでは、丹下に先見性があったとする評価に直接つながる理路を整備するにはいたらないだろう。むしろ「われわれの構想力」の進展性のなさに自省をせまるものと受け取るべきではないだろうか。
 従来批判されてきたバブル期の活動にひそむ先見と洞察に光をあてている点が本書の特徴の一つという触れ込みではあるが、その点についてはやや漠然とした記述で物足りなさが残ったというのが率直な感想である。しかしそれを差し引いても丹下健三という一人の象徴的な建築家の活動を知るうえで本書は示唆に富む本といえよう。
by syunpo | 2017-07-02 11:29 | 建築 | Trackback | Comments(0)

大地の女神は渦を巻く〜『建築の大転換』

●伊東豊雄、中沢新一著『建築の大転換』/筑摩書房/2012年2月発行

b0072887_19325977.jpg 本書は建築家の伊東豊雄と思想家の中沢新一の対談をもとにまとめられている。数回にわたって行なわれた対談の間に東日本大震災が発生したために、その前後では当然ながら趣の異なった話の展開にはなっているが、全体をとおして一貫している問題意識もある。経済効率に基づいた合理的思考に対する懐疑である。それは端的にいってモダニズム建築に対する批判的姿勢といってもいいだろう。

 東日本大震災後に行なわれた中沢の講演や二人の対論は中沢が『日本の大転換』で示した構想がベースになっていて、とくに中沢の発言に新味は感じられないものの、伊東が被災地で実践している「みんなの家」のプロジェクトなど具体的事例に言及されている点は興味深く読んだ。
by syunpo | 2013-07-06 19:40 | 建築 | Trackback | Comments(0)

出来事としての建築〜『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』

●磯崎新、浅田彰著『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり 10 years after Any』/鹿島出版会/2010年1月発行

b0072887_18453030.jpg 二〇世紀末の十年間に世界の諸都市で開催された《Any Conference》。これはその討議のために磯崎新と浅田彰が共同で執筆したテクストを編集したものである。コンファレンスに関連して行なわれたトークセッションを集成した『Any: 建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』とは双子の関係にある本といえよう。

 日本を代表する建築家と建築にも詳しい批評家とのややズレを孕んだ言葉のキャッチボール。今やあらゆる計画も統制も無効になったという二人の認識からすれば、こうして互いに「分裂的」な言説の断片を繰り出していくなかで、にもかかわらず相互刺戟が生まれ新たな言説を紡ぎ出していく、というプロセスをそのまま本にするというスタイルはそれなりに二人のビジョンに適ったものといえるだろう。

 浅田が世界の建築史を、他のジャンル——思想、文学、美術、さらには社会事象——との相互連関を視野に入れながら要約していく語り口は相変わらず簡潔明瞭、浅田節はここでも絶好調である。磯崎がしばしば東洋古来の概念——風水、道元の時間論、「うつ」や「間」——を引っぱり出してきてみずからの建築や都市構想をプレゼンテーションするというイカガワシサ満載の所業に出ても、浅田はその危うさを認めつつ、やはり手際よく歴史的文脈のなかにそれらを位置づけ肯定的に評価する。
 もっとも、磯崎がヴェネツィアでの国際建築ビエンナーレに出展したという《憑依都市》のコンセプトなど、浅田の補完的なコメントに接しても私には今一つピンとこなかったけれど。

 かつてアヴァンギャルドは「Xは終わった、Y万歳」「Yは終わった、Z万歳」という宣言を繰り返すことで、結果的に近代資本主義の過程の永続化・加速化に貢献することになった。だが今や、終わることそのものが終わった。そこで「歴史は終わったのだから、あとは終わりなき引用と折衷のゲームと戯れるだけだ」というのならば、安易なポストモダニズムの反復になってしまう。
 浅田はいう。「終わりの終わり」というのは複雑に折れ込んだ現象である、われわれはその複雑に折れ込んだ時空のうちに身を維持しつつ、ラディカルな思考と試行を継続しなければならない、逆説的なことに、それこそが新しい始まりの唯一のチャンスだから、と。
 それはもちろんひとり建築家のみに託された課題ではなく、あらゆる表象のジャンルに身を浸す者たちに向けられたメッセージでもあるだろう。
by syunpo | 2010-02-11 18:55 | 建築 | Trackback | Comments(0)

理論も建物も崩壊してしまった〜『Any: 建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』

●磯崎新、浅田彰編『Any: 建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008』/鹿島出版会/2010年1月発行

b0072887_10522941.jpg 一九九一年から二〇〇一年にかけて、建築に関する国際会議「Any Conference」が毎年場所を変えて開催された。主導したのは磯崎新、ピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスの三人の建築家。その討議内容はNTT出版より《Anyシリーズ》として順次刊行されている。本書はそのコンファレンスに関連して日本で行なわれたトーク・セッションを集成したものである。セッションでは磯崎に加えて浅田彰がほぼ毎回顔を出しており、そのほかジャック・デリダ、柄谷行人、岡崎乾二郎ら錚々たる顔ぶれが入れ替わり立ち替わり参加している。

 思想家が建築のボキャブラリーを使い、建築家もまた現代思想の流れを掴んでそれを具現化あるいは展開していく、という現象は歴史的に繰り返されてきた。本書を通読するとその史実があらためてよく理解できる。
 たとえばデリダの〈ディコンストラクション(脱構築)〉。その言葉じたいが建築のアナロジーともいえるのだが、これがアイゼンマンらによって建築にも応用され、脱構築主義として一つのスタイルを形成することとなった。
 やがてそうした流行は、ドゥルーズ的(というよりベルクソン的)な生気論へととって替わられ、そうした理論のもとにCGでシュミレートされた流体的な建築へと移行していくかにみえたのだが、そうしたパラダイム転換は不発に終わった、というのが九〇年代に関する浅田の大雑把な見立てである。

 何はともあれ、みずから提起した概念をめぐって世界各地で生じた誤解や混乱を目の当たりにしたデリダ当人がここであらためてコメントしているのはいかにも興味深い。〈脱構築〉が被った誤解の代表的なものの一つに否定性やニヒリズムとの混同がある。デリダはいう。──ディコンストラクションとは「哲学ではなく、ましてや否定性の哲学でもなく、ある意味で肯定=断言の思考なのだ」。
 なお、コンファレンスではアイゼンマンによって挑発を受けたデリダが「ディコンストラクションというのは実はリビルディング(再構築)だ」と再定義を試みたことが浅田によって紹介されている。

 コンファレンスの内容を把握していない読者にはいささか消化不良の感が残るものの、二〇世紀末における世界の建築を時代思潮との関連から概観できるという点ではそれなりに面白い本ではないかと思う。
by syunpo | 2010-02-10 11:10 | 建築 | Trackback | Comments(0)

伝統と聖性をめぐる学説の壮大なる歴史〜『伊勢神宮』

●井上章一著『伊勢神宮 魅惑の日本建築』/講談社/2009年5月発行

b0072887_20194841.jpg 伊勢神宮には二十年ごとに社殿を造り替える式年遷宮のならわしがある。世界に類例をみないそうした営みのおかげで神宮は古くからの日本建築の伝統が受け継がれてきている、と一般には考えられてきた。具体的には仏教伝来以前の日本に固有の建築様式を伝えるものと見做されてきたのである。仏教伝来以前の建築物はもちろん残存していないし、その形態を明示するような文献資料もほとんどない。したがって八世紀以前の建築については、神宮の形式から遡って類推することが学界においてもごく常識的なやり方として通ってきた。
 伊勢神宮にはまた明治以降に国家神道の中心的役割を担ってきた、という歴史的経緯もある。それらのことから神宮の解釈や評価については建築工学的な要素だけでなく、美学的・宗教的・政治的な視点も絡みあって複雑な議論が展開されてきたのである。

 本書は伊勢神宮をめぐる言説が時代思潮とともにどのような変遷を遂げてきたのかを綿密に検証したものである。個々の言説がいかなる背景のもとに立ち上がってきたのか。その文脈を明らかにしていく井上の手際はいつにもまして明快である。その叙述はすぐれて学際的であり、専門の建築史学のみならず考古学や民族学の知見も縦横に参照されている。さらには三浦朱門の小説《雑草の花》の一節も引用されるなど、井上の文献渉猟ぶりは敬服に値する。

 結果として本書をとおしてこれまでの学界における旧套的な認識や通説に対する相対化がなされることとなった。たとえば伊東忠太についての過大評価に対して、である。
 神宮は日本に仏教がやってくる前の建築形式をとどめている。飾り気のない清浄なその佇まいは、まさに日本の伝統的な美意識を映し出したものである。——そのような見方はもっぱらモダニズムに立脚する伊東忠太によって創始されたものといわれてきた。しかし伊東たちの神社観は必ずしも明治期日本の独創でも西洋伝来のモダニズムの賜物でもなく、並河天民や新井白石など江戸時代のそれを継承している、と井上は指摘する。

 神宮の構造にアジア諸国の建築と共通点を見出す見解は、もっぱら考古学や民族学の成果を根拠にしている。それでも建築史の主流はアジアの民族建築と出自は同じであるとしても、その洗練のしかたに日本固有の伝統美を見出そうとした。
 そのような建築史学にみえる国粋主義的な姿勢は、やがて時代がくだって一部の考古学者に神宮の聖性を熱く論じさせるような影響を与えることとなった。

 二〇世紀の考古学は、建築史学の目を海外へむけさせた。しかし、海外をかろんじる保守的な建築史学は、こんどは考古学をかえだしている。……学説史の、ねじれた展開に、あらためて感じいるしだいである。(p439)

 また泉州・池上曽根遺跡の建物復元についても一章を割いて検証しているのだが、文化財保護行政における政治力学とアカデミズムの綱引きの実相をあぶりだして、まことに興味深い。弥生時代の建物を復元するのに現代の機械技術たるクレーンを持ち込んで作業がなされた、という挿話にはつい嗤ってしまった。

 井上自身は初期の神宮について、建築史家の丸山茂が提唱した基壇建築・廟堂説に関心を寄せながらもこれを否定し、従来から唱えられている高床形式だと推定している。神宮が大陸的に組みかえられるのは中国文化の影響を強く受けた桓武天皇の時代ではないかと井上はいう。
 
 一つの建築物に関する言説にスポットをあてて、それを歴史的に検証するという試みは、井上にとっては『つくられた桂離宮神話』『法隆寺への精神史』に続くものである。ただし前二作にはない視点も本書では導入されている。時間軸だけでなく、東大と京大の学統の差異を浮き上がらせるなど、空間軸にも光を当てている点だ。本書では井上のアカデミズムのあり方に対する批判的な姿勢がこれまで以上に強く押し出されており、その意味でもよりチャレンジングな仕事ではないかと思う。
by syunpo | 2010-02-06 20:47 | 建築 | Trackback | Comments(0)

建築家の夢のあと〜『磯崎新の「都庁」』

●平松剛著『磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ』/文藝春秋/2008年6月発行

b0072887_1941484.jpg バブル前夜の一九八五年十一月、東京都新都庁舎設計競技審査会は指名コンペの参加者九社を発表し、戦後最大級といわれたコンペの幕は開いた。最終的には事前の予想どおり丹下健三が勝利をおさめることになったこのコンペを丹下とその弟子磯崎新の戦いを軸にドキュメントしたのが本書である。著者は長らく設計事務所に勤務した建築の専門家。

 本書の面白味は、新都庁舎建設のあらましを描くにあたって、その一大プロジェクトを歴史的文脈に位置付けるために日本の近代建築史そのものを概観したスパンの長い視野を有している点にある。

 丹下や磯崎の設計案が出来上がっていく過程を叙述の中心に据えつつ、二人の生い立ちや履歴、新都庁舎計画案作製にたずさわった人々のプロフィールと奮闘ぶり、丸の内旧都庁舎から西新宿に移転を決定するまでの政治的経緯、さらには日本の近代建築の基礎をつくった岸田日出刀、前川國男ら先人たちの足跡などを絡めて、いくつもの時制が交叉する。まさに磯崎が新都庁舎のコンセプトの一つとした「錯綜体」にふさわしい構成といえるだろう。
 結果として、建築という営みの一面だけでなく、わが国の建築家教育や公共事業における政治の裏面など社会の複数の層に光があてられることとなった。

 それにしても著者の取材力はなかなかのものだ。大きなスケールの物語の流れのなかに機微に触れた具体的な挿話がちりばめられていて、最後まで読者を弛れさせない。
 コンペ説明会当日、同じエレベーターに乗り合わせた磯崎が丹下に挨拶しても師匠が完全に無視したというエピソードからは丹下の性格や一筋縄ではいかない師弟の関係が読みとれる。
 負けはしたものの話題を集めた磯崎の「幻の低層案」の出来上がるまでの暗中模索の様も実に生き生きと再現されていて、現代思想の分野からもインスピレーションを得てきた磯崎の個性的な仕事を読み解くうえでの一助ともなるだろう。

 くだけた感じの素朴な文体だが、そのことがかえって建築現場における闘争の生臭さを中和する、という効果を生み出しているともいえそうだ。
by syunpo | 2010-01-13 19:11 | 建築 | Trackback | Comments(0)