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ブックラバー宣言

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カテゴリ:宗教( 11 )

愛を説くことと戦うこと〜『キリスト教と戦争』

●石川明人著『キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理』/中央公論新社/2016年1月発行

b0072887_191048.jpg キリスト教は愛と平和を説く宗教だと一般には認識されている。旧約聖書にはモーセの十戒のなかに「殺してはならない」との文言があるし、新約聖書のルカによる福音書では「右の頬を打たれたら左の頬をも向けよ」と記されている。

 けれども歴史を振り返ればキリスト教徒たちはそれらのことばに反して多くの戦争を行なってきた。宗教戦争と呼ばれるもののなかにはキリスト教が関与しているものも多くある。

 いったい彼らのなかで信仰と戦争とはいかなる関係にあるのか。愛と平和をうたうキリスト教の信者たちはどのような論法で戦争を正当化してきたのだろうか。本書ではその問題を検証する。著者の石川明人はキリスト教の信仰をもつ宗教学者。

 そもそも聖書には、平和と戦争をめぐって相反する記述があちこちに散らばっている。平和の大切さを説く一方で、信仰そのものを軍事になぞらえたような表現もまた頻出するのだ。

……聖書という書物がやっかいなのは、著者も、書かれた時代も、背景も、目的も、それぞれ異なる実にさまざまな文書の寄せ集めによって一冊になっているものであるため、自分の主張したいことを正当化できる一文を抜き出してきて、聖書の権威によって自説を補強することが簡単にできてしまう点である。聖書は、戦争を否定するときにも使えるが、戦争を正当化するときにも利用できる。(p80)

 ローマ・カトリック教会は武力行使に関して公式的にどのような見解を示しているだろうか。一九六五年の第二バチカン公会議で採択した『現代世界憲章』のなかで、戦争と平和の問題に言及している箇所をみてみよう。

 戦争の危険が存在し、しかも十分な力と権限を持つ国際的権力が存在しない間は、平和的解決のあらゆる手段を講じたうえであれば、政府に対して正当防衛権を拒否することはできないであろう。国家の元首ならびに国政の責任に参与する者は自分に託された国民の安全を守り、この重大事項を慎重に取り扱う義務がある。(p26)

 こうした認識にたって正当防衛を基本とする武力行使を許される条件としていくつかの項目をあげているのだが、ローマ・カトリック教会が説く平和論は、全体的に教義との関連性が不明な点が多く、「これまで倫理学や政治学などの分野で議論されてきた、いわゆる『正戦論』に沿ったもの」だという。

 宗教改革を牽引することになったマルチン・ルターは、戦争を全否定することはなく、むしろ時には「大きな不幸を防ぐための小さな不幸」として、人間社会の秩序を維持するために神の命じたわざであると考えた。その限りでやはり戦争を肯定している。

 時代を遡って中世のキリスト教文化と軍事についてもきわめて親和性の高いことを本書では明らかにしている。修道院と軍事との関係について考察したキャサリン・アレン・スミスによれば、中世のキリスト教世界では、修道士の活動と世俗の戦士の活動とがパラレルに捉えられる傾向が強く、キリスト教の活動や組織は、しばしば軍事用語や軍事的比喩で説明されたという。

 中世盛期の修道士たちにとって「戦争は単なるこの世の悪ではなく、自己認識へいたる道であり、キリストにならうための方法」だった。

 そのような歴史を考えれば、現代の軍隊に「祈り」を専門とする要員を有していることは当然かもしれない。そうした宗教専門の要員を従軍チャプレンという。アメリカ軍では兵科としてのチャプレン科は特殊兵科に位置づけられていて、チャプレンにも士官の階級が与えられている。

 兵士の内面を強化し支えるために、訓練や戦闘の場で広い意味での宗教的支援が行われることは、古代から現在までほぼ共通している。その文脈でキリスト教が果たしてきた役割もまたけっして小さくないだろう。

 もちろんキリスト教徒のなかには、昔も今も平和主義を唱えた人びとも少なからず存在する。
「キリスト教徒は、それぞれの時代状況のなかで葛藤し、人を殺したり、仲間を殺されたりしながら、戦争と平和の問題を考えてきた」。その葛藤からはある程度人間に普遍的な傾向を見出すこともできると著者はいう。

 現代社会ではとくに信者が暮らす国家社会のあり方に大きく依存しているともいえるだろう。実際、現代日本のキリスト教徒たちはたびたび日本国憲法を引用して平和を訴えている。



 私自身は特定の宗教を信仰する人間ではない。本書を読んだかぎりでは、限定付きとはいえ戦争を肯定するキリスト教徒たちの主張に全面的に賛同できたわけでもない。それでも自分とは異なった思考様式をもつ他者の考え方を歴史をとおして知ることは意義のあることだろう。本書は初学者にも易しい記述で中公新書らしい一冊といえよう。
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by syunpo | 2018-12-13 19:02 | 宗教 | Comments(0)

無神論の立場から個の自律を説く〜『初期仏教』

●馬場紀寿著『初期仏教 ブッダの思想をたどる』/岩波書店/2018年8月発行

b0072887_1295926.jpg 仏教がインドに誕生したのは、紀元前五世紀頃のことである。
 その後、四〇〇〜五〇〇年の間に南アジア各地に伝播して、この地域を代表する宗教に成長していった。発祥の地であるガンジス川流域から大きく飛躍した仏教には紀元前後に重大な変容が起こった。それは南アジアと西方との関係が影響している。本書ではこの変容以前の仏教を「初期仏教」と定義する。

 初期仏教は、近代西欧で作られた「宗教」概念に照らせば「宗教」にあてはまるのかはなはだ疑わしいと著者はいう。そもそも初期仏教は全能の神を否定した。その意味では無神論である。人間の願望をかなえる方法を説くのではなく、むしろ自分自身すら自らの思いどおりにならないことに目を向ける。また宇宙の真理や原理を論じることもない。人間の認識を超えて根拠のあることを語ることはできないと初期仏教は主張する。

 初期仏教は有神論や宇宙の真理を説く代わりに「個の自律」を説く。超越的存在から与えられた規範によってではなく、一人生まれ、一人死んでゆく「自己」に立脚して倫理を組み立てる。そして生の不確実性を真正面から見据え、自己を再生産する「渇望」という衝動の克服を説いたのだ。

 仏教誕生以前に成立していたアーリヤ人社会では、ガンジス川流域に都市化が起こり、都市化を背景として唯物論やジャイナ教などの思想が生まれていた。仏教の出家教団は、誕生直後から他の思想や信仰と競合し、様々な議論が交わされていた。仏教は、バラモン教やジャイナ教、唯物論と一部で共有する考え方をもっていたが、同時にそれらに対する批判をもって差別化をはかった。

 ところで、初期仏教からその後の段階へと進むことになった紀元前後の「変容」とは何だったのか。そのひとつとして挙げられるのは「口頭で伝承されていた仏典が書写されるようになったこと」である。

 口頭で、または後に書写して、仏典の伝承を担ったのは「部派」と呼ばれる出家教団の諸派である。そのため、部派の仏典を通さなければ初期仏教の思想を知ることはできない。

 ブッダは、自分が没した後は「法と律」を師とするように命じ、解脱した出家者たちは「法と律」をまとめ、仏典として伝承してきた、と仏教教団は主張している。それらは「結集仏典」と呼ばれる。結集とはブッダの教えを「共に唱えること」をいう。

 そのような「結集仏典」が後に「三蔵」として体系化され今日まで伝承されてきたわけである。結集仏典のなかでは、上座部大寺派、化地部、法藏部、説一切有部、大衆部の五部派のヴァージョンがすべてではないにせよ現存している。本書が依拠しているのは、いうまでもなくそのような結集仏典や諸部派の三蔵である。

 先に記したように、「主体の不在」あるいは「生存の危うさ」という視点で「自己の再生産」を批判的にとらえる仏教は、その究極目標として「自己の再生産」からの解放(解脱)を掲げる。いわゆる「輪廻」からの解放である。「再生しない者」こそが真に「高貴な者」だと教えたのだ。その詳しい内容についてここで安易に要約するのは控えるが、いずれにせよ、その点が先行する宗教との決定的な相違であり、仏教の核心といえる。「高貴な者」という言葉の意味を刷新して、新たな生き方を示したことが仏教の拡大する原動力になったのだ。

 本書では最新の仏教学の研究成果を盛り込みながら、丁寧な足取りで初期仏教をたどっている。前半は学問研究上の考証手続きをめぐる記述に紙幅を割いていてお勉強モードの読み味だが、そのような研究方法の記述ゆえに本書に説得力をもたらしていることもまた疑いえない。
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by syunpo | 2018-11-16 12:12 | 宗教 | Comments(0)

神とともにあることによって自由を得る〜『となりのイスラム』

●内藤正典著『となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代』/ミシマ社/2016年7月発行

b0072887_18505637.jpg 近代以降の西洋社会が神から離れることで人間が自由を得ていくと考えたこととはまったく反対に、イスラムは「神とともにあることによって自由を得る」と考える。

 本書では、そのようなイスラム教徒たちの基本的な価値観や生活のあり方などを彼らの日常にそって素描していく。いったん私たち日本人の考え方を脇において、彼らのことを少しでも知ろうとすることは意義深いことに違いない。やがて世界は三人に一人がイスラム教徒という時代が到来するといわれているのだから。

 私がとくに興味深く感じたのは、イスラムの「商人のための宗教」としての側面を概説したくだりだ。

 商売は良いときもあれば悪いときもある。ここが大事なところですが、うまくいって儲けたからといって自分の才覚で儲かったと思うな、というわけです。(p66)

 儲けてもいいけど貧しい人のことを忘れんなよとクギを刺すイスラム的な謙虚な考え方は、著者も言うように、世界中を覆うようになった新自由主義にもとづく自己責任を重んじる生き方を相対化するうえでとても示唆に富んでいるのではないかと思う。
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by syunpo | 2018-11-05 18:53 | 宗教 | Comments(0)

神学に根拠づけられた権力批判〜『宗教国家アメリカのふしぎな論理』

●森本あんり著『宗教国家アメリカのふしぎな論理』/NHK出版/2017年11月発行

b0072887_193626100.jpg アメリカ合衆国は、イギリス国教会からの離脱とイギリス国家からの独立によって成立した。出発点において、旧世界を批判し新しい宗教国家を作るという気概に満ちていた国である。米国民が繰り返し表明する政府や権力への不信感は「政治ではなく神学に根拠づけられている」。

 そのような宗教国家という認識に基づいてアメリカ社会の変遷や政治動向を読み解く。それが本書のコンセプトである。著者の森本あんりは宗教学・神学の研究者。

 宗教国家アメリカには二つの伝統がある。「富と成功」の福音と反知性主義だ。

 まず「富と成功」の福音とはいかなるものか。それは次のような理路をたどる。

 自分は成功した。大金持ちになった。それは人びとが自分を認めてくれただけではなく、神もまた自分を認めてくれたからだ。たしかに自分も努力した。だが、それだけここまで来られたわけではない。神の祝福が伴わなければ、こんな幸運を得ることはできなかったはずだ。神が祝福してくれているのだから、自分は正しいのだ。(p36)

 このようにして神を持ち出すことで自分の経済的成功=幸福を正当化してきた。これがアメリカ人の神学的心性だという。もちろんこれは「勝ち組の論理」である。森本はこのような神義論では「負けを適切に受け止めることができない」と指摘することも怠りない。

 アメリカにおける反知性主義は、現代の日本で使われている語義とは根本的に異なるので留意が必要である。アメリカの反知性主義は、知性そのものへの反発ではなく、知性と権力との固定的な結びつきに対する反発として理解しなければならない。

 その神学的背景として、森本は二つの集団概念を見いだしている。すなわち、チャーチ型とセクト型である。前者は「社会全体を覆っているエスタブリッシュメントのグループ」を指す。国家や政府を地上における神の道具と見なし、楽観的で積極的な社会建設を目指す。対して後者は「地上の権力をすべて人間の罪のゆえにしかたなく存在する必要悪」と考え、それに対する監視の必要性を説く。アメリカにおける反知性主義はそのようなセクト型の精神から養分を得てきたという。

 プロテスタント神学の観点からアメリカの政治史を振り返ると、トランプ現象を説明できるだけでなく、過去にもトランプに似た大統領が何人も存在したことが理解できるだろう。アンドリュー・ジャクソン、ドワイト・D・アンゼンハワー、ジョージ・W・ブッシュ……。

「富と成功」の福音と反知性主義はいずれもポピュリズムの養分となる。そこで、アメリカの宗教国家的側面を概観した後にはポピュリズムの蔓延に関する考察が加えられるのだが、そのくだりは議論がやや凡庸で私には退屈に感じられた。

 本書におけるアメリカ政治の解説は総じてわかりやすい。ゆえに、他の要素を無視した簡略化が施されているとも思われ、その点は注意が必要かもしれない。
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by syunpo | 2018-09-25 19:38 | 宗教 | Comments(0)

他者との共存の作法を探る原理〜『プロテスタンティズム』

●深井智朗著『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』/中央公論新社/2017年3月発行

b0072887_18213173.jpg 禁欲を旨とするプロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神に適合していたという逆説はマックス・ウェーバーの有名なテーゼである。では資本主義の駆動を支えたとされるプロテスタンティズムの倫理とは具体的にどういうものかとあらためて問われて、きちんと答えられる日本人はそれほどいないのではないだろうか。そもそもプロテスタンティズムについて私たちはどれほどのことを知っているのだろうか。

 プロテスタンティズムと一口にいってもその言葉が包含する内容は今では広範で多岐にわたる。元来は「プロテスタント」とは「一五二一年から二九年までに開催された帝国議会で、神聖ローマ帝国の宗教問題の決定に『抗議』した帝国等族(帝国議会で投票権を持つ諸侯、帝国都市、高位聖職者)を指す議事録の言葉、あるいはそこから生まれた侮蔑的なあだ名」であった。それが一般にも普及していったのだが、ここでは「いわゆる宗教改革と呼ばれた一連の出来事、あるいは一五一七年のルターの行動によってはじまったとされる潮流が生み出した、その後のあらゆる歴史的影響力の総称」を指す。結果としてそれはナショナリズム、保守主義、ルベラリズム……などなど実に多様な相貌をもつことになった。本書はそのようなプロテスタンティズムについて初学者向けにわかりやすく概説したものである。

 宗教改革の前史から始まって、ルターがやろうとしたことを跡づけ、ルター以後に出てきたカルヴィニズムや洗礼主義を解説する。さらにドイツの歴史をサンプルに保守主義としてのプロテスタンティズムを論じ、リベラリズムを軸とするプロテスタンティズムの流れをたどる。……というのが本書のあらましである。

 いうまでもないことだが、プロテスタンティズムとは先に紹介したようにマルティン・ルターが創始した宗派というわけではない。ルターは一五一七年に「九五ヵ条の提題」を発表したが、それは議論のための一つの問題提起というほどのものだった。とくに彼が問題視したのは贖宥状の販売だった。贖宥状とは罪の償いが免除されるとして教会が発行した証書で、それが売り買いの対象になっていたのである。

 ルターが考えていたのは教会のリフォームであり、そのための討論を呼びかけた。その提題をただちに大衆が正確に理解し、社会に衝撃を与えたわけではないし、通常ある特定の神学のテクストが突然社会を揺るがすようなことはあり得ない。もちろん知識人のネットワークなどは刺激を受け、動きはじめるかもしれないが、影響はあくまで限定的であろう。(p44)

 しかし時とともにルターの行動の影響は大きくなっていった。もともと当時のヨーロッパは宗教的のみならず政治的にも経済的にも制度疲労をおこしていた時期にあたる。キリスト教が堕落していると考える人はほかにもいた。ルターの行動は、そのような改革の機運が芽生えていたところに「時代の転換のスイッチを押す機会」をとらえたものといえようか。それが宗教改革と呼ばれる一連の潮流を生み出すきっかけとなったのである。

 プロテスタントは当初カトリックとの戦いであったが、改革勢力同士の戦いもやがて始まる。改革を主張していた人々が政治勢力と結びついて安定した地位を得ると、よりラディカルな改革を求める人々との間に対立を生み出したのである。「改革の改革」を主張したものとしては、洗礼主義の運動やスピリチュアリスムスなどがあげられる。

 こうした「二つの二つのプロテスタンティズム」という認識については、深井は神学者エルンスト・トレルチを参照して念入りに紹介している。すなわち、宗教改革の時代のプロテスタンティズムを古プロテスタンティズムとし、そのあとに出てきた「改革の改革」者たちの活動を新プロテスタンティズムと呼んだのである。
 古プロテスタンティズムは、国家や一つの政治的支配制度の権力者による宗教市場の独占状態を前提しているのに対して、新プロテスタンティズムは宗教の自由化を前提としているのが大きな違いだという。

 ……新プロテスタンティズムの教会は、社会システムの改革者であり、世界にこれまでとは違った教会の制度だけでなく、社会の仕組みも持ち込むことになった。それは市場における自由な競争というセンスである。その意味では新プロテスタンティズムの人々は、宗教の市場を民営化、自由化した人々であった。(p117)

 興味深いのは、古プロテスタンティズムはその後、ドイツにおけるナショナリズムや保守主義と結びついていき、新プロテスタンティズムの方はアメリカ大陸においてリベラリズムとの親和性を高めていくことである。

 一八七一年のプロイセン主導によるドイツ統一の時代に入ると、ルター研究の復興がわきおこる。これは「決して純粋に神学的な関心によるものではなく、むしろ国策とそれに呼応した世論の興隆によるものであった」という。

 ……そこで政治的に再発見されたルターの宗教改革は、近代的なヨーロッパの起源であり、近代的自由の思想の出発点であり、ドイツ精神の源流とされたのである。これを「政治的ルター・ルネッサンス」と呼ぶことができるであろう。(p132)

 ルターの思想はナチスにも利用された。ルター派の方も「不遇なヴァイマール期をナチスが終わらせてくれるのではないかという期待を持った可能性がある」と指摘している。

 一方、アメリカ大陸にわたったピューリタンたちのプロテスタンティズムは、彼の地でリベラリズムの担い手となった。新プロテスタンティズムは、国家による宗教の統制に対し、個人の自由な信仰や決定を重視した。そうした彼らの言動は結果としてアメリカのリベラリズムを支える一つの勢力となったのである。

 ちなみに日本に到来したプロテスタンティズムは基本的には新プロテスタンティズムといえるものである。戦後の日本社会にもその影響は少なからず影を落としている。

 ……戦後の日本社会は、本書で見たような新プロテスタンティズムの深層構造を持ったアメリカ社会の影響を排除して成立する社会ではない。経済、政治、文化、学問、どれをとってもそれがよいか悪いかは別としてアメリカの大きな影響のもとにある。そうであるなら、異質で、無関係とも思えるプロテスタンティズムの歴史とその精神を知っていることは、この影響をより正確に理解するのに有用かもしれない。(p199)

 ルターの出来事に始まった、異なる宗派の並存状態やそれゆえに起こる対立や紛争のなかで、プロテスタンティズムは次の問題を考えざるを得なくなった。すなわち「どのようにすれば、異なった宗派や分裂してしまった宗教が争うことなく共存できるのかという問題」である。その問題と取り組んできたこと、これこそがプロテスタンティズムの歴史であるという。
 そうして深井は結論的に述べる。「プロテスタンティズムが現代の社会に対して貢献できることの一つは共存の作法の提示であろう」と。

 プロテスタンティズムの多面的な相貌を簡潔にまとめた本書は、初学者が読んでもわかりやすい記述になっている。その明快さは、著者自身もあとがきに述べているように大胆な簡略化のなせるわざであろうが、入門書とは概してそういうものであるだろう。洗礼主義といった聞き慣れない用語が出てきたりして、一部専門家からは批判らしきものも提起されているようだが、プロテスタンティズムの入門書として読んで損はない一冊だろうと思う。
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by syunpo | 2017-05-02 18:27 | 宗教 | Comments(0)

密教世界を完結させた宗教者〜『空海』

●高村薫著『空海』/新潮社/2015年9月発行

b0072887_2027499.jpg 二十一世紀を生きる一日本人にとっての二十一世紀の等身大の空海像をとらえるべく高村薫は、高野山をはじめ京都、四国、さらには中国・西安へと空海ゆかりの地を旅する。本書は共同通信社によって配信された連載記事に加筆修正をほどこしたものである。

 高村が宗教に関心をもつようになったのは、阪神大震災の経験がきっかけだった。「長らく近代理性だけで生きてきた人間が、人間の意思を超えたもの、言葉で言い当てることのできないものに真に直面」したからだという。

 空海の足跡をたどりながら、高野山の庭儀結縁灌頂三昧耶戒の法会に立ち会い、空海が生きていた時代へと想像力を飛翔させる。平行して空海に関する文献や資料を丹念に読み込む。さらには、四国八十八ヵ所霊場を巡り結願した人物に会うために国立ハンセン病療養施設を訪ねたりもする。

 二人の空海がいた、と高村は書く。都で天皇や貴族たちを相手に講説を続けた宗教的リーダーとしての顔。満濃池修築工事や綜藝種智院創設などに力を発揮した社会事業家としての顔。さらには入滅した後にも弘法大師として庶民の信仰の対象として生き続けた歴史的カリスマとしての顔を付け加えることができるかもしれない。

 日本古来の自然やアニミズムを滲みこませた身体の直接体験と、中国語の論理や修辞が合体したとき、まさに空海独自の比類ない密教世界が開かれた。空海ただ一人が開き、空海ただ一人で完結し、後世に革新や進化が起こるべくもなかった理由がここにある。(p183)

 オーラ。宗教的天才。作家の手になる空海論としては語彙や表現がやや凡庸という感想は否めないけれど、空海や真言宗の概略を知るうえでは有意義な本といえるだろう。
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by syunpo | 2016-09-13 20:28 | 宗教 | Comments(0)

信仰のテーマパーク!?〜『日本人はなぜ富士山を求めるのか』

●島田裕巳著『日本人はなぜ富士山を求めるのか 富士講と山岳信仰の原点』/徳間書店/2013年9月発行

b0072887_13104928.jpg フェイスブックにはよく富士山の写真が投稿される。東京と大阪を頻繁に往復しているビジネスマンたちが新幹線や飛行機から撮った写真をお披露目するのだ。銭湯の壁画といえば富士山が定番だし、葛飾北斎の描いた富士山は日本人なら誰もが印刷媒体で一度は見たことがあるだろう。

 昔も今も富士山は日本人にとって特別に思い入れの深い山。富士山に対する人々の言動は、日本で一番高い山という以上の引力を感じさせる。いったい富士山の何が私たちを引きつけるのか。本書は信仰や文化の観点からその問題を考えるものである。

 著者によれば、富士山には日本人の宗教観が凝縮されている。日本人は富士山を拝むことで様々な「御利益」を引き出そうとしてきたのである。もっとも信仰のあり方は時代とともに変遷をとげてきた。

 富士山にまつわる信仰の歴史は中世にまでさかのぼる。富士山はまず修験道の山として開拓された。修験道とは仏教をもとにしながら神道の要素を含んだ宗教で、日本独特の神仏習合の信仰から生まれたものである。日本には山の数だけ修験道の道場があるといわれているが、富士山もそのひとつだ。

 神道には救済という概念がないが、修験道は個人が修行を積むことによって救済されるという考えが基本にある。富士山における修験道は「水垢離」や「みそぎ」など、水を修行の手段として活用されてきた。富士山一帯は降水量が多く、火山砂礫に水が染みこんで地下に集まり、斜面を移動して裾野に湧き出しているので、その場所が水の聖地として巡礼の対象となったのである。

 江戸時代になると「富士講」が庶民の信仰を集めるようになった。彼らは富士山の山頂を目指すだけでなく、噴火でできた溶岩洞窟「人穴」や「富士八海」と呼ばれる霊場をまわった。こうした信仰の中心になったのが浅間神社である。これは富士山そのものがご神体であるという古くからの考えにもとづく。

 当時は伊勢参りも盛んだったが、興味深いことに伊勢志摩から富士参りに来る人たちが非常に多かったという。「伊勢参りをする人たちには、一生に一度の伊勢参りという思いがありましたが、伊勢志摩の人たちにとっては、一生に一度の富士参りの方がはるかに価値が高かったのです」。

 富士講の隆盛はさらに富士塚を生み出すことになった。江戸からは富士山がよく見えたが、登るにはあまりにも遠かった。そこで富士山が見える丘や古墳を利用して富士塚をつくり、そこにお参りすることで、富士山に参拝する代わりとしたのである。各地に富士見町や富士見坂の地名が伝わっているのはその名残だ。

 庶民の信仰の基本はご利益信仰である。そのため、宗教施設の側は、神社であれ寺院であれ、そこに参拝すればいかにご利益があるかを強調する。富士山でも各種の仕掛けが施された。
 たとえば今でも行われる「胎内巡り」。船津胎内樹型と吉田胎内樹型が世界文化遺産の構成資産に含まれているが、これらは流れ出た溶岩が樹木を覆い、そのまま固まってしまったもので、樹木は燃え尽きてしまうものの、樹木の型だけが残ったもの。内側の形が胎内に似ていることから、その名がついた。富士講の信者は富士山に登る前に胎内巡りをしたという。胎内巡りは安産祈願であるが、母の胎内をめぐることで信者は生まれ変わりの体験をすることにもなる。

 近代以降には、富士山の麓で多くの新宗教が生まれた。創価学会は富士山と密接な関係があるし、扶桑教は富士講にはじまる神道系の新宗教である。三保の松原のある三保半島には、かつて国柱会という日蓮主義の宗教団体の本部の建物があった。

 富士山をめぐる信仰や霊感の内容は様々であるが、人々は富士山を仰ぎ見ながら時には誇りの源泉をそこに見出し、時には芸術的なインスピレーションを得たりした。二〇一三年、富士山が世界文化遺産に登録された際の正式な登録名は「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」である。本書は「信仰のテーマパーク」として存在してきた富士山についてコンパクトに論じた面白い本といえるだろう。
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by syunpo | 2016-05-21 13:12 | 宗教 | Comments(0)

現代に連なる日本的精神〜『八紘一宇』

●島田裕巳著『八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体』/幻冬舎/2015年7月発行

b0072887_10292938.jpg 二〇一五年三月、参議院予算委員会で質問に立った自民党の三原じゅん子議員は「日本が建国以来大切にしてきた価値観」として「八紘一宇」という言葉を持ち出した。いうまでもなくそれは先の戦争において日本の海外進出を正当化する役割を果たした言葉である。直後から多くの批判的な意見が出たのは当然だろう。

 だが、島田はそれをただ揶揄するだけで終わらせてはならないと考えた。本書では「八紘一宇」という言葉の広がりをみすえながら「それが近代の日本社会においてどういった役割を果たし、どのようにして多くの人々を魅了し、日本の社会を突き動かしていったのか」を検証していく。

 八紘一宇のもとになった「掩八紘而為宇」ということばは日本書紀に出てくるが、それ以来、三原議員が述べたような家族主義を示す言葉として日本の社会で使われたわけではなかったし、日本的な価値観として継承されてきたわけでもない。
 八紘一宇とは田中智学の造語である。智学は日蓮信仰と皇国史観を合体させ、戦前において大きな影響力をもった宗教家であった。彼の作り上げた組織「国柱会」には、宮沢賢治や満州事変を起こした石原莞爾、伊勢丹の創業者、小菅丹治などが加わっていた。国柱会以外にも日蓮信仰と皇国史観を合体させた「日蓮主義」と呼ばれる思想運動に共鳴する人々は少なくなかった。井上日召の血盟団や二・二六事件で死刑になった北一輝らである。八紘一宇はあくまで近代的な概念であった。

 智学が唱導した日蓮主義はなぜ日本社会に大きな影響を与えたのか。鎌倉時代には日蓮以外に法然、親鸞、一遍、栄西、道元らがあらわれ、その教えをもとに各宗派が形成されていったのだが、国家ということを視野に収めていたのは日蓮だけである。それ以外はもっぱら個人の救済や悟りを問題にした。「その意味で国家ということが問題になった近代において、日蓮に注目が集まったのも必然であった」。

 しかも日蓮は数々の法難を被りながら波乱万丈の生涯をおくった人物。人は日蓮と一体化することによって、たちまちにして国家を救う英雄へと変身することができたのである。

 本書ではさらに日蓮主義が戦後においても生き延びていることを指摘する。智学の説いた国立戒壇の考え方は創価学会に取り入れられることによって戦後の日本社会にも重要な働きを示しているという。

 もちろん一国会議員が現代に八紘一宇なる言葉を呼び出したとしても、ただちにその概念の支持者が増えたということはない。だがその概念を生み出したもととなる日蓮主義なる考え方が近代の日本社会で果たしてきた役割を軽視することはできないのである。
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by syunpo | 2015-11-01 10:30 | 宗教 | Comments(0)

聖書を読んで読み抜いた修道士〜『マルティン・ルター』

●徳善義和著『マルティン・ルター ──ことばに生きた改革者』/岩波書店/2012年6月発行

b0072887_9219.jpg ドイツの片田舎に生まれた若き修道士の探究心がヨーロッパのキリスト教史のみならず社会全体を大きく塗りかえた。ことばに生き、Reformationを牽引した改革者。本書はマルティン・ルターの生涯をあとづけた初学者向けの評伝である。

 ひたすら聖書を読み続けたルター。聖書をドイツ語に翻訳したルター。民衆に語りかけたルター。歌うルター。……ルターの様々な相貌を外連味なく素描する著者の筆致は、庶民にもわかることばでキリスト教のあるべきすがたを論じようと努めたルターにふさわしい。

 またドイツ農民戦争との関わりや、のちにヒトラーに悪用されるユダヤ人をめぐる発言など、ルターのネガティブな面にもきちんと言及している点で信頼のおける入門書だと思う。
 読み、書き、歌うこと。そこからしか革命は起きない。──佐々木中の熱いテーゼを裏付けるかのようなルターの劇的な人生の軌跡を手っ取り早く知るには最適の一冊といえるかもしれない。
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by syunpo | 2013-05-18 09:05 | 宗教 | Comments(0)

関西弁で甦る〜『歎異抄』

●唯円著、親鸞述『歎異抄』(川村湊訳)/光文社/2009年9月発行

b0072887_1951216.jpg 『歎異抄』は、親鸞聖人の弟子唯円が、聖人の死後、その教えが歪められ、異なったものになってゆくことを憂え歎じて、それを正すために書いたものとされている。親鸞の生前の発言内容を唯円が記憶のままに記した前半部と、唯円が親鸞と交わした対話、親鸞の教説を唯円が解釈したり敷衍した後半部とから成る。

 現代語訳はすでに何種類も出ているが、「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というコンセプトで注目を集めている光文社古典新訳文庫の一冊ということで、本書は思い切った策に出てきた。全編コテコテの関西弁風スタイルで現代語訳しているのだ。

 これは親鸞が京都に生まれ比叡山で修業を積んだことに拠るものだが、著者と目されている唯円は常陸国の人とされているから、関西弁に置き換えるという試みじたいに無理を感じる読者のいることは当然予想される。何より非関西人にしてみれば従来の普通の現代語訳の方が読みやすいには違いない。

 もっとも関西人で仏教にさほど詳しくない私としては、いささかバイアスのかかった現代語訳本ということを承知のうえで、それなりに面白く読めた。
 ちなみにどのような訳文かというと、たとえばあの有名なフレーズ「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は「善え奴が往生するんやさかい、ましてや悪い奴がそうならんはずがない」となる。その後段部分「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、……」は以下のような具合である。

 アホで悩みっぱなしのワテらは、いくら何をやったところで、悟りなんかひらけるもんかいな。それを見越してアミダはんが、可哀想なやっちゃ、こらあ、いっちょう救ったろかいなと、願かけしてくれはったんや。(p18)

 無論、親鸞の考えはたとえ平易な言葉と文章によって再現されようとも、われわれ凡夫には必ずしもわかりやすいものではない。が、自力による思考や「はからひ」といったものは不要だと親鸞が考え、法然の教えを「もっと庶民的に、一般人に向けて押し広げたもの」とする川村の認識は訳文からもそれなりに伝わってきた。

 ただ、問題の「本願他力」を「人まかせ」としているのは、いくら何でもやりすぎではないか。親鸞は自力による善行に見返りを期待する心に傲慢を見出してそれを戒め、仏の力に帰依することをとなえたのであって、「人まかせ」ではそのようなニュアンスからますます遠ざかってしまう。この言葉は歎異抄のキーワードであり、本文中でその概念の意味するところは繰り返し説明されている。従来の現代語訳──梅原猛にしても五木寛之『私訳歎異抄』にしても──その多くがそのまま「本願他力」で通しているのもそのためだろう。無理に噛み砕いてインパクトにも欠ける訳語に置き換えるくらいなら「本願他力」のままでも良かったように思う。

 また、「ライブ感あふれる関西弁」を前面に打ち出しのはいいけれど、全般的にギクシャクしたガラの悪い関西弁なのが惜しまれる。とくに「……になるんや」という語尾が頻出するのが気になった。そこだけを取り出せばなんだか関西人のオヤジが競艇場でくだを巻いているような口調ではないか。たしかにいまどきの坊さんにも威張って品のない人もいるかもしれないが、ここはやはり「……になりますのや」くらいにしてほしかった。
 案の定、川村湊は非関西人、北海道の出身らしい。どういう経緯で本書が刊行されたのかは知らないが、このアイデアでいくならやはりネイティブ関西人で仏教にも詳しい人間が手がけるべきではなかったかと思う。
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by syunpo | 2010-11-14 19:11 | 宗教 | Comments(0)