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●戸田山和久著『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』/NHK出版/2011年11月発行
![]() とりわけ私には科学的思考の枠組みを科学史から実例を引いてきてレクチュアする前半のパートから学ぶところが多かった。 〈理論/真実〉〈仮説/真理〉という二分法的な思考の危うさを説き、〈より良い理論〉を求めていく姿勢に科学的思考の特性をみる。科学的説明には「原因をつきとめること」「一般的・普遍的な仮説/理論から、より特殊な仮説/理論を導くこと」「正体を突き止めること」の三類型あるが、共通するのは「裸の事実」を減らしていくということ。これにより科学は全体として世界を一枚の絵につないでいく。ここに参加しようとしない分野は擬似科学的といえる。 推論には演繹的推論と非演繹的推論があり、後者はさらに「帰納法」「投射」「類比」「アブダクション」などに類別できる。それらをうまく組み合わせることで、世界について新しく且つ正しいことを言うという科学の目的が果たされる。 仮説の検証にためには、検証条件だけでなく、反証条件もはっきりさせることも重要である。反証条件をきちんと与えなかったたり、アドホックに仮説を修正することによって仮説を守ることができる。後者は科学のなかでも時々起こるが、やりすぎるるとこれも擬似科学的になる。 仮説や理論を確かめるための実験は、対照群を置いたコントロールされた実験でなければならない。重要なのは、高確率ではなく相関だからである。しかし相関関係がわかってもそこから因果関係に簡単に飛躍してはいけない。この誤りは日常的にみられるもので注意が必要である。 以上のような科学リテラシーの中身を明らかにする過程で言及される落とし穴の実例も興味深い。自分が予測している仮説に当てはまる例ばかりを探してしまう「確証バイアス」。曖昧なことや両義的な言明に触れると、自分に当てはまると思い込んでしまう「バーナム効果」などなど。 後半のパートでは、科学リテラシーを用いて一般市民のなすべきことが説かれる。 社会の問題の解決を科学・技術の専門家にゆだねることの弊害は、原発事故などによって顕在化した。そもそも今日では科学と政治の領域が区別しにくくなってきており、両者の交わる領域が広がってきている。それは〈トランス・サイエンス〉と呼ばれる。米国の核物理学者、アルヴィン・ワインバーグは〈トランス・サイエンス〉の領域は「科学に問いかけることはできるが、科学によって答えることができない問題」から成っていると述べた。 ちなみに原発問題で一般市民にもおなじみとなったシーベルトという単位に関して「一見ニュートラルで科学的に見える単位のなかにも、組織荷重係数の見積もりを介して、政治が入り込んでいる」という指摘は重要だろう。 いずれにせよ、そのような領域の問題を解決していくためには、一般市民が科学リテラシーを身につけ、決定の場に積極的に関与していかなければならない。 科学リテラシーをもった市民の具体的な実践のあり方として、著者はコンセンサス会議などの具体例を挙げている。このあたりの議論は熟議民主主義論や今年他界したウルリッヒ・ベックのリスク社会論とも重なり合う。結局は一般市民の政治意識や科学リテラシーの向上なしには、民主主義の血肉化も覚束ないということなのだろう。 ▲
by syunpo
| 2015-01-20 20:11
| 科学哲学
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●内井惣七著『ダーウィンの思想』/岩波書店/2009年8月発行
![]() とはいえ、ダーウィンの思想は彼の独創というわけでは、もちろんない。ダーウィン以前の、あるいは同時代の少なからぬ学説に影響を受けたことはよく知られている。またダーウィンの思想が後世の人びとの考え方に多大なる影響を与えたことはいうまでもない。自然科学のみならず社会科学との相互連関もよく指摘されてきたところである。本書は現代の科学哲学の立場からあらためてダーウィンの思想を読み解こうととするものである。 ライエルの地質学原理、ラマルクの転成説、ウォレスの進化論のほかヒュームの経験論哲学、ミルの功利主義……などなどダーウィンの考え方と関連をもった学説や原理は数多い。本書ではそれらとの関係を説きながら、ダーウィンと他の進化論学説とを分かつ決定的な要素であるダーウィンの「分岐の原理」についても多くの紙幅が割かれている。 ダーウィンのオリジナル・テクストは必ずしも論旨がきちんと整理されているわけではなく難解であるため、著者独自の読解をまじえつつ展開される平明な記述はダーウィン思想の入門的理解としてもそれなりに役立つ。 内井のダーウィン解釈の特色の一つは最終章で叙述されている進化論と道徳との関連を掘り下げて考察している点にあるだろう。著者の言葉をそのまま引用すれば、ダーウィンの真骨頂は「人間の尊厳や道徳性を、いとも簡単に自然界に投げ戻して」考えた姿勢に見出せるのである。 ダーウィンは「人間と高等哺乳類との間には、心的能力において根本的な違いはない」と主張した。したがって「人間のみが言語能力をもつ」「人間のみに信仰心が備わっている」というような命題に対しては論駁を試みた。つまり人間以外の高等動物にも「社会的本能」が備わっていて、仲間との交わりを好み、時には利他的な行動もみせるのである。 社会を快適と感じる感覚が動物でまず発達し、その結果彼らは社会的生活に入る。社会生活を快く感じるという社会的本能は子が親のもとで長く生活することから発達する。こうした発達を促すのは自然淘汰である、すなわち社会生活を快適と感じる個体はいろいろな危険から逃れて生き延びる確率が高くなるからである。……以上がダーウィンの主唱した考え方であった。 ダーウィンのそうした説は、のちの動物行動学や進化生物学、進化ゲーム理論などにおいて裏付けられ、肉付けされることとなった。たとえばリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』もその一つといえる。 新書ということで一般読者を意識しすぎたのか、いささか緊張感を欠いたくだけた文体がところどころで安っぽい雰囲気を醸し出しているが、ダーウィンの進化論を科学思想史的な文脈で理解するには格好の本といえるだろう。 ▲
by syunpo
| 2010-04-19 19:18
| 科学哲学
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