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ブックラバー宣言

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カテゴリ:ノンフィクション( 14 )

「民族の触角」となり得ているか〜『「右翼」の戦後史』

●安田浩一著『「右翼」の戦後史』/講談社/2018年7月発行

b0072887_19281930.jpg 昨今、日本政治の右傾化は話題にされることが多いのだが、本書では右翼組織そのものの活動にスポットをあてる。その戦後史を記述するにあたっては、時代を大きく二つに区分けした。一つは戦後から七〇年安保闘争まで。もう一つはそれ以降の新右翼台頭の時代。

 第二次世界大戦における日本の敗北は、同時に右翼の自滅でもあった。戦後の占領政策で、右翼は「戦前の遺物」としていったんは表舞台から引きずりおろされた。しかし国家権力の暴力装置としての役割を与えられた右翼は息を吹き返して「反共」の旗を掲げる。一部は暴力団ともつながりを持ち、威嚇と恫喝の右翼イメージを定着させた。
 しかし安保の季節が過ぎて左翼の勢いが衰えると、右翼もまた方向を見失う。そこへ「反共」に代わる新たなテーゼが生まれた。「改憲」である。一部の右翼はこれを合言葉として草の根の活動に活路を見出す。その運動は現在進行中であり、右傾化と呼ばれる時代思潮を作りあげることには一定の成果を得たともいえる。そこからさらに排外思想に基づく「ネトウヨ」層が誕生する。

 本書の記述を大雑把にまとめると以上のようになる。もちろんその流れは右翼内の諸勢力による複線的な活動の軌跡として顕在化してきた。その意味では右翼と一口にいっても、多様な系譜のあることがあらためて理解できる。

 本書では〈伝統右翼〉〈行動右翼〉〈任侠右翼〉〈新右翼〉〈宗教保守〉〈ネット右翼〉などに大別されているが、スローガンや活動の中味をみると、右翼間でも真っ向から対立するケースは少なくない。
 たとえば、対米政策に関しては〈行動右翼〉や〈宗教保守〉が親米路線をとるのに対して〈新右翼〉は対米自立を大きな指針の一つに掲げている。また現在の〈ネット右翼〉は嫌韓嫌中の感情を露わにしているが、そのような民族差別を強く否定する右翼団体も少なからず存在する。テレビの討論番組にもよく出ていた故野村秋介もマイノリティに対する差別を許さなかった一人だ。

〈宗教保守〉系の組織として日本会議の活動にも多くの紙幅が費やされていて、地道で継続的な運動による「成果」を指摘している点では、菅野完の『日本会議の研究』と同様である。改憲運動などに関しては自民党も今や日本会議が主導する「右派大衆運動」を無視できなくなった。「大衆運動は、数百台の街宣車にも勝る」のだ。もっとも、本書ではそれと同時に神社界の全体主義化を嘆く宮司の声を拾うことも忘れていない。

 著者の安田浩一にはこれまでにも右翼や保守思想を題材にした著作がいくつかある。本書は長い取材活動の蓄積を感じさせる労作で、戦後右翼の概略を知るには格好の本といえるだろう。
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by syunpo | 2018-09-26 19:45 | ノンフィクション | Comments(0)

「不純」な世界で生きていく〜『憎しみに抗って』

●カロリン・エムケ著『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』(浅井晶子訳)/みすず書房/2018年3月発行

b0072887_197482.jpg 世界規模で広がる憎しみの眼差しと罵声。それらはしばしば社会的弱者や社会の少数派の人びとを標的とする。紛争地からやってきた難民。白人中心の社会に住むアフリカ系の住民。トランスジェンダー……。

 カロリン・エムケは、世界各地の紛争地を取材してきたフリージャーナリスト。特定の属性に向けられる差別や偏見に対して「憎しみ」という感情からアプローチすることで、その共通的な構造を浮かび上がらせる。憎しみはあらかじめあるものとして他者に向けられるのではなく、人為的に作られていくことに注目するのだ。「憎しみを、それが猛威を振るう瞬間よりも前の段階で観察すれば、別の行動の可能性が開ける」とエムケはいう。

 差別する者の周辺には必ずといっていいほど「傍観者」が存在する。傍観者は「自分では憎まない」が「他者に憎ませる」。いわば憎しみの共犯関係を結ぶことで、差別はより広範なものになっていく。

 憎しみが少数者に向けられる時、あるいは憎しみの共犯関係が少数者に対して形成される時、現在ではそれが時に政治的に正しいかのような様相を見せる。たとえば、国民の仕事が少なくなったのは違法的な移民が増えたせいだと。しかし多数者の抱く国民の均一性など所詮は虚構的なものである。

……全員が「地元民」であり、移民はおらず、多様な言語も多様な習慣や伝統も、多様な宗教もない、そんな国民の均一な「核」なるものが国民国家において最後に存在したのはいつか? そしてどこか? 「国民」という概念に持ち込まれたこの有機的な均一性は、確かに強力な魅力を持ってはいるものの、結局のところ空想の産物に過ぎない。(p114)

 その観点からすれば、ISが掲げる理念も当然ながら正当化されない。テロリズムという方法が誤りであることは言うまでもないが、彼らの唱える「純粋性」なる概念もフィクショナルなものである。

 かくしてエムケは「不純なものへの賛歌」を高らかに謳う。ハンナ・アレントの『活動的生』を参照して彼女の提起した「複数性」を称揚する。さらにはミシェル・フーコーが再定義した「パレーシア」の重要性に言及する。パレーシアとはギリシア語で言論の自由を意味することばであるが、フーコーは権力者の意見や立場を批判して「真理を語ること」という意味に発展させた。そこでは操作やレトリックを用いずに「真理であると本当に信じて」いることを誠実に語ることが求められるのだ。

 具体的な事例を取り上げつつ、政治哲学的な理念を援用したまとめ方にはやや茫漠とした読後感をもたらす印象なきにしもあらずだが、著者の教養に裏打ちされた考察には教えられるところも多かった。
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by syunpo | 2018-09-24 19:10 | ノンフィクション | Comments(0)

はじめに行為ありき〜『村に火をつけ、白痴になれ』

●栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』/岩波書店/2016年3月発行

b0072887_9424485.jpg 伊藤野枝。大正時代のアナキストであり、ウーマンリブの元祖ともいわれている思想家。結婚制度や古臭い社会道徳を排撃し、大杉栄との「不倫」関係で世間を騒がせもした。そして関東大震災のどさくさに紛れて、大杉と甥っ子の橘宗一とともに憲兵隊の手によって惨殺された。

 本書は、アナキズムを専門とする政治学者・栗原康による伊藤野枝の評伝である。読み始めてまず気づくことは今風のポップな文体だ。

 ……東京にいきたい、東京にいきたい。とうぜんながら、実家にも自分にもそんなカネの余裕はない。どうしたらいいか。伊藤家家訓。貧乏に徹し、わがままに生きろ。カネがなければ、もらえばいい。遠慮しないで、おもいきりやれ。いつも遊んで、食べてねるだけ。いくぜ、東京。(p15)

 こんな調子で本書は野枝の波乱万丈の生涯をあとづけていく。上京して勉学に励み、上野高等女学校に入学したこと。親の決めた結婚相手のもとからすぐに逃げ出したこと。在学中に思いを寄せていた辻潤との結婚生活のこと。平塚らいてうの青踏社に加わったこと。大杉栄と運命的に出会ったこと。バートランド・ラッセルが来日した際、好ましいと思った日本人は伊藤野枝ひとりだったこと……。

 青踏社時代に野枝が関係した三つの論争がある。貞操論争。堕胎論争。廃娼論争。それらはいずれもその後のフェミニズムや女性学につながっていくテーマでもあった。栗原はここでも野枝に肩入れしながらその論争のあらましを総括している。
 貞操論争に関して触れておくと、野枝の意見は、貞操という発想そのものが男たちの願望をかなえるために捏造された不自然な道徳にすぎないというものである。これは正論ではないかと思う。

 伊藤野枝の思想とは、端的いえば女性の生き方は女性自身が決めればよい、好きなだけ本を読み、好きなだけうまいものを食って、好きなだけセックスをして生きればよい、というものだ。国家のようなものに依存していはいけない、相互扶助でいこう、結局のところ「無政府は事実」だというのである。

 無論、彼女の考え方を全面的に肯定するわけにはいかないだろう。端的に「わがまま」だと思われる挿話はいくつも紹介されている。彼女の生涯は無念極まりない幕切れを迎えねばならなかったけれど、しかし同時に自由であること、自己決定することの大切さを教えてくれているようにも感じられる。

「野枝さんはぶっ殺されてしまいましたが、その思想を生きるということは、わたしたちにもふつうにできることなんだとおもいます」──軽佻浮薄といって悪ければ自由奔放な栗原の文体は、アナキスト伊藤野枝を語るにふさわしいものかもしれない。
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by syunpo | 2017-02-12 09:45 | ノンフィクション | Comments(0)

多様性という価値〜『チェリー・イングラム』

●阿部菜穂子著『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』/岩波書店/2016年3月発行

b0072887_2161179.jpg 日本の桜に深く魅せられ、その紹介と保存に全精力を傾けたイギリスの園芸家、コリングウッド・イングラム。人は彼をチェリー・イングラムと呼んだ。本書は彼の足跡を綿密な調査と取材をもとに描いたノンフィクションである。著者は元毎日新聞記者で現在はロンドン在住のジャーナリスト。

 今日の日本では桜といえば染井吉野を思い浮かべる人が大半であろう。実際、日本においては染井吉野が最大のシェアを誇っている。しかしそれが作出されたのは江戸時代後期のことである。染井村(現在の東京都豊島区)の植木職人によって売りに出されたその新種は、接木の成功率が高く成長も早い経済的な品種だったので、とりわけ明治以降急速に普及した。昭和になると「大量の桜がいっせいに花をつけていっせいに散る」すがたが軍国イデオロギーと結びつけられたことは、つとに言及されるところである。

 イングラムは一九〇二年に来日したのを機に桜への関心をもつようになり、イギリスの新居に桜園を造ることを思いつく。多くの時間を桜の研究と育成に捧げる生活が始まったのだった。

 しかし一九二六年、二度目の来日の折には日本は近代化=西洋化の波に洗われ、経済効率の良い染井吉野が席巻する時期にあたっていた。その単調な桜のあり方に失望する。彼はそこで日本の失われゆく品種をイギリスで育てようと決心したのだった。知りあった植木業者から様々な品種の穂木を送ってもらい、自分の桜園でその桜を育てた。その結果、イギリスではイングラムが作出したものを含めて多種多様な品種が普及することとなったのである。そのうちいくつかの品種は日本で絶滅したものもあり、里帰りが企図され、純白の大輪の花を咲かせる〈太白〉は日本でみごとに復活した。サブタイトルにある「日本の桜を救ったイギリス人」とはそうした文脈で記されたものである。本書では、桜を愛した日英の「桜守」たちの交流のエピソードなども随所に盛り込みながら、桜をとおして見えてくる日本の近代史の一面を浮かび上がらせる。

 著者はエピローグで次のように書いている。

 一〇〇〇年以上に及ぶ歴史を持つ桜の祖国、日本は、近代になって ‘染井吉野’ に塗りつぶされるという運命をたどった、その現象は異なるものはすべて排除して、国全体が誤った方向へと走るという過程と同時進行的に起きた。ひとつの価値観しか認めない社会は、結局は破滅に向かう脆弱なものであることを、私たち日本人は見に染みて経験したはずである。(p215〜216)

「世界に誇る桜の伝統を思うとき、戦後の日本が再びひとつの桜に染まってしまったのは、あまりにも残念なことのように思える」と続ける著者は、最後に「戦後植えられた染井吉野が現在、各地で植え替えの時期に来ているのを機に、足立区や河津町のように多様な桜を植樹したらどうだろうか」と提起している。私を含めて多くの読者はその意見に賛同するのではあるまいか。
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by syunpo | 2016-10-12 21:07 | ノンフィクション | Comments(0)

四方田家の婦系図〜『母の母、その彼方に』

●四方田犬彦著『母の母、その彼方に』/新潮社/2016年2月発行

b0072887_205287.jpg 本書には四方田一族に連なる三人の女性が登場する。
 平塚らいてうと八年の長きにわたって学友として机を並べた四方田柳子。四方田犬彦の祖父の先妻にあたる女性である。四方田の祖母、四方田美恵。そして母の四方田昌子。この三人の女性の人生をとおして、日本近現代史の一面──ブルジョワ階級の勃興と衰退──が浮かびあがるという寸法である。

 本書に登場する人物には歴史に名を刻んだ者も多い。平塚らいてうのほかにも、祖父の保が共感していた同郷の政治家・若槻礼次郎。阪急王国を築いた実業家・小林一三。生物学者の岡田節人。……四方田一族がいかに華麗なる人脈を築いていたか滔々と語る、その筆致は人によってはあるいは嫌味と感じられるかもしれない。が、何はともあれ、グルメにして映画研究者、人と群れることを快しとしない著者がいかなるところから生まれてきたのか、ということを知るうえでも興味深い書物には違いない。
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by syunpo | 2016-04-07 20:05 | ノンフィクション | Comments(0)

死者たちの無言の願い〜『原爆供養塔』

●堀川惠子著『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』/文藝春秋/2015年5月発行

b0072887_1821629.jpg ……今じゃ、みんな広島の中心は原爆慰霊碑じゃと思うとる。そりや無いよりはましじゃけど、本当は遺骨がある場所が広島の中心よね。みんなあそこを平和公園というけれど、本当は平和な場所なんかじゃないんよ。静かでのどかな場所に見えるけど、供養塔の地下室は、あの日のまんま。安らかに眠れというけれど、安らかになんか眠りようがないんよ。(p175〜176)

 広島平和公園の一角につくられた土饅頭。それが原爆供養塔である。その地下には原爆で亡くなった人の引き取り手のない遺骨が今もなお数多く眠っている。その供養塔に長年にわたって日参し、墓守りをしながら修学旅行生たちに話をする女性がいた。本書の主人公ともいえる佐伯敏子さん。冒頭に引用したのは彼女が著者に語った言葉である。

 供養塔が平和公園の一角に設置されることじたい円滑に進められたわけではなかった。広島市と国とのあいだに補助金にまつわる法令上の問題など障壁が立ちはだかった。紆余曲折の末、供養塔は現在地に設置されたが、その建設は「歴史の表舞台には決して現れることのない人々の想いに支えられ」たものだったのである。

 供養塔に納められた遺骨には、身元のわかるものにはわずかな記録が残された。それは江田島や周辺市町村から駆け付けた少年特攻兵・船舶兵たちによる生命と引き換え(入市被爆)の作業によるものだ。著者は当時の様子も関係者に取材して詳細な記述につとめている。

 さらに、納骨名簿を頼りに著者は東京へ沖縄へ遺族を訪ねていく。こうして佐伯さんの物語を中心に、入念なリサーチと取材によって供養塔にまつわる様々な人間模様が浮かびあがる。
 軍都、広島で現金収入を得るべく仕事をしていた多くの在日コリアンたち。原爆投下の日はたまたま建物疎開の作業を休んでいため一命をとりとめた女子学生……。

 そもそも人を供養するとはどういうことなのだろうか? 生き残った人たちはいかにして死者とともに生きていくことができるのだろうか? 歴史を知り学ぶとはどういうことなのか?……本書は多くの問いをあらためて読者に投げかけてくるようだ。

 言葉を持たぬ死者たちに寄り添い考えること。言うは易く行なうは難しかもしれない。それでも本書の著者・堀川惠子はそれを誠実に実践しようとした。私たちはその実践を真摯に受け止めなければならない。
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by syunpo | 2015-12-18 18:26 | ノンフィクション | Comments(0)

人が人を裁くことの畏れを〜『それでもボクは会議で闘う』

●周防正行著『それでもボクは会議で闘う──ドキュメント刑事司法改革』/岩波書店/2015年4月発行

b0072887_20203226.jpg 映画監督の周防正行は冤罪事件をテーマにした《それでもボクはやってない》を作ったのが縁で、二〇一一年六月、法務省所管の法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員に選ばれた。それから三年間、月一回のペースで開かれた会議で論戦を繰り広げた。本書はその様子をまとめたノンフィクションである。

 審議会のメインテーマは取調べの可視化だったが、司法官僚や御用学者の抵抗にあい、民主党の当初のマニフェストからみればかけ離れた答申案がまとめられた。いわば骨抜きの案が出来上がったわけである。何故、席を立たなかったのか。そんな批判も周防のもとには寄せられたらしい。周防は思い悩みながらも委員にとどまり、強固な司法官僚組織の意向に押し切られる形で、共闘した村木厚子委員らとともに不本意ながらも答申案に賛同した。

 本書ではそのほろ苦い経過が具体的に綴られているが、裏返していえば日本の官僚組織の旧弊かつ反動的な体質がみごとに炙りだされることにもなった。数々の冤罪事件を経験しながら一向に反省の態度を見せない警察・検察組織の幹部たち。素人は余計な口出しをするなと言わんばかりの御用学者の傲慢な発言。それらが具体的に「可視化」されただけでも、周防が最後まで審議会に残って闘った意味はあったというものだろう。政治に妥協は付き物である。

 審議会での最後の会合での周防の締めくくりの発言が素晴らしいと思う。

 ……私は映画監督として、今まで様々な世界を取材してきましたが、絶えず自分に言い聞かせてきたのは、「はじめの驚きを忘れるな」、ということです。その世界を知り過ぎると、全てが当たり前になってきて、その世界を初めて見た時に感じた「驚き」や「面白さ」を忘れてしまう。しかし、その「驚き」や「面白さ」こそが、映画を初めて見る観客にとっての最良の入り口になるのだと信じ、映画を作ってきました。是非、法律の専門家の皆さんにも心に留めておいていただきたいのは、専門家であるが故に当たり前に思っていることが、決して多くの市民にとっては当たり前のことではない、ということです。専門家に任せておけば良いのだ、ということではなく、多くの市民にも理解できるように言葉を尽くしていただきたいと思っています。その責任が専門家にはあると思います。(p217)

 かつてエドワード・サイードは『知識人とは何か』の中で、〈アマチュアリズム〉と〈プロフェッショナリズム〉を対比させて、あらかじめ決められた規範を決して超えることのない人たちの振る舞いを悪しきプロフェッショナリズムとして糾弾し、周辺的存在にとどまりながら公権力に対して自由に真実に迫ろうとする態度をアマチュアリズムと規定して、それを称揚した。周防のここでの言動は、サイードのいう〈アマチュアリズム〉に通じるものではないだろうか。
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by syunpo | 2015-05-26 20:26 | ノンフィクション | Comments(0)

日本国のアンチエイジングを考えよう〜『幼少の帝国』

●阿部和重著『幼少の帝国 成熟を拒否する日本人』/新潮社/2012年5月発行

b0072887_20561542.jpg ロラン・バルトの『表徴の帝国』の向こうを張って『幼少の帝国』。本書は一応ノンフィクションということになっている。テーマは日本人の「成熟拒否」。もっともそのような議論の隆盛は今に始まったことではない。「成熟拒否の問題は、戦後ずっと、日本人論の切り口の一定番だった」。ミーハー主義を標榜する阿部和重はそんな常套句中の常套句の世界にすすんで身を投じる。常套句中の常套句を乱発するために。

 そこで一つの仮説が設定された。阿部は一九四五年九月にアメリカ大使公邸で撮影された昭和天皇とマッカーサーのツーショット写真に注目する。

 昭和天皇とマッカーサーのツーショット写真を、戦後日本の「成熟拒否」傾向を決定づけたきっかけだったと、わたしたちは位置づけました──そしてそれを機に、ちっちゃな存在たる自分自身の自己肯定に励んでいったのが、戦後日本の復興期だったのではないか、と一つのストーリーをわたしたちは粗描してみたわけです。(p68〜69)

 本書はそういうわけで「成熟拒否の一例かもしれない物事の表面のみに絞って注目」したノンフィクションなのである。「成熟拒否の一例かもしれない物事」として、アンチエイジングにおけるスキンケアや美容外科の最前線、カーボンナノチューブなどの超小型化技術、ニチアサキッズタイムを利用したバンダイのマーチャンダイジング、終わりなき青春を生きるスタイルとしてのデコトラ文化……などの具体例が取り上げられる。

「成熟拒否の一例」としてアンチエイジングや小型化技術を俎上に載せるのは生真面目な読者にすれば単なる「屁理屈」かもしれないが、ここに登場する資生堂ライフサイエンス研究センターの研究員や高須クリニック院長の談話は読み物としてはそれなりに面白い。また映画『トラック野郎』からデコトラ文化に言及したり、ニチアサキッズタイムにおける東映とバンダイのマーチャンダイジングに興味を示す阿部の語りも熱い。

「成熟拒否の一例かもしれない物事」の考察を通して阿部は一つの逆説を見出すに到る。「現代日本に特有の文化現象としての『成熟拒否』傾向とは、じつは老練な職人芸によってこそ支えられているという逆説」を。そして「『成熟拒否』を可能にする、老練な職人芸が今、重大な危機に迎えているのだ」と付け加えることも忘れない。では、これからどうすれば良いのか。

 老練な職人芸の後継者が、この先不足する一方なのだとすれば、「純潔性」という幻想を捨ててもともとの「異種交配」に立ち返るしか、生存戦略上の選択肢はありません。「成熟拒否」の姿勢という日本ならではの処世術を貫くには、もはやそれしかないように思えます。(p232)

 本書の企画は新潮社のPR誌において立ち上げられたものである。その連載中に東日本大震災が発生した。そこで被災地ルポを二篇執筆するという想定外の成り行きになった。その二篇はいささか優等生的なルポルタージュで、本書のなかでは浮き上がったような印象を拭いきれない。そこを除けば「屁理屈」のこね方や話の展開のしかたに小説家らしい芸を感じさせる「ノンフィクション」作品といえるだろう。
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by syunpo | 2013-03-01 21:06 | ノンフィクション | Comments(0)

堺利彦を再発見した渾身のノンフィクション〜『パンとペン』

●黒岩比佐子著『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』/講談社/2010年10月発行

b0072887_1058154.jpg 日本社会主義運動の父といわれる堺利彦の評伝はすでにいくつか刊行されているが、当然ながら社会思想史の観点から書かれたものが多い。本書はもっぱら文学の方面から光を当てたもので、古書マニアとしてもならした著者の本領が遺憾なく発揮された労作である。

 堺利彦とは何者であったのか。
 外国語に堪能で翻訳にも少なからぬ業績を残した海外文学の良き紹介者。言文一致運動の推進者。女性解放運動にも取り組んだフェミニスト。稀代のユーモリスト。……黒岩は堺のそうした多面的な相貌を活き活きと描出しているのだが、なかでも注目したのが堺の立ち上げた「売文社」という会社である。

 幸徳秋水らが処刑された大逆事件に象徴されるように政府の弾圧が厳しさを増してきたなか、若い社会主義者たちの中には生活の糧を得ることじたいに苦労する者も出てきていた。売文社は堺が同志たちを食わせていくためにつくった会社であった。「売文社のペンはパンを求むるのペンである」。そこでは、雑誌原稿のほか、外国語文献の翻訳、新聞広告や引札の文案意匠、選挙候補者や応援弁士の演説草稿、大学生の卒業論文などなどマルチな事業が展開されていた。衆院議員の著作のゴーストライティングも行なった。今日の編集プロダクションや翻訳エージェンシーの草分け的存在ともいえるだろう。

 社会思想史の研究者は、社会主義運動と分離した売文社を、意味がないものとして切り捨ててしまうかもしれない。だが……私が興味を惹かれたのは、社会主義運動の「冬の時代」と呼ばれる苛酷な時期に同志の衣食を支えた、この売文社である。(p318)

 こうして黒岩は売文社が手がけた多彩な仕事を偏見をもたずに拾い上げていく。たとえばジャック・ロンドンの訳者として、堺の訳業を歴史的に吟味する。あるいは『地球の歩き方』の先駆的書物として売文社が編纂した旅行案内記『世界通』について言及する。売文社とその会社を回していた堺の活動を振り返ることで、堺利彦という存在が出版史・文学史のなかに位置づけられる。そしてその記述のなかから彼の人間味にあふれたキャラクターも立ち上がってくるのだ。

 また売文社の解散の要因となった堺と高畠素之らの対立についてもそれなりの紙幅を費やしていて、当時の社会主義運動の内部対立の一端を浮かび上がらせている。社会主義とひと口にいってもそこには様々なバリエーションが存在した。

 それにしても黒岩の調査・取材ぶりはじつにきめ細かい。堺利彦の孫など関係者へのインタビューを行なっているほか、膨大な文献の読み込みにも手抜きをまったく感じさせるところがない。堺と夏目漱石や松本清張との関係など、日本文学の正史に埋もれた興味深いエピソードもふんだんに盛り込まれていて、ノンフィクションとしては一級品の味わいといえるだろう。

 ちなみに黒岩は本書執筆中に膵臓ガンを宣告され、最後は病体に鞭打って完成させたことがあとがきに記されている。二〇一〇年に五十二歳の若さで他界した著者にとって、これは最後の著作ということになる。
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by syunpo | 2013-02-27 11:14 | ノンフィクション | Comments(0)

日系二世建築家の軌跡〜『9・11の標的をつくった男』

●飯塚真紀子著『9・11の標的をつくった男』/講談社/2010年8月発行

b0072887_20192316.jpg 二〇〇一年九月一一日、ニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)はテロの標的となって崩壊した。このビルをつくったのは日系二世アメリカ人の建築家であった。ミノル・ヤマサキ。本書は彼の苦難と成功の軌跡を追った初めての評伝である。

 ミノル・ヤマサキはシアトルのスラム街で生まれ、叔父の影響で建築家を志し、日系人に対する偏見や差別と闘いながらWTCプロジェクトの仕事を獲得・成就した。完成後も批判が絶えなかったビルのメンテナンスやパブリシティにも気を遣い、またWTCの建設と並行してサウジアラビアでのプロジェクトにも関わった。晩年には日米で宗教建築を手がけた。家族との時間を犠牲にしながら建築家として名を成し、オックスフォードの墓地に遺骨が埋葬されるまでの波乱万丈の生涯が関係者への取材や残された文献などによって再構成されていく。なかなかの労作だ。

 ミノルがWTCの主任建築家に起用された理由や背景については、様々な見方や証言がある。
 「(クライアントの)ニューヨーク港湾局は、ヤマ(=ミノル・ヤマサキの呼称)がデザインに取り込んできた人間的な要素が、非人間的に感じられる高層ビルの弱点を克服してくれると考えたのでしょう」「ヤマを選んだのは、彼がとてもよくレスポンスしてくれたからです」「ヤマサキはアウトサイダーだったから選ばれたんです。港湾局は著名な建築家にうんざりしていました。彼らは頑固で大きなエゴがあり自己正当化し、一緒に働きにくく、コストもかかった」「港湾局は、有名建築家ではなく、当時、中堅だったヤマサキのような建築家なら操作しやすいと考えたのでしょう」……などなど、元部下、クライアント関係者、批評家たちがヤマサキ指名の理由をそれぞれの立場から分析する声をひろいあげ、結果として当時の米国建築界の潮流や空気までを浮き彫りにしたくだりがとりわけ面白かった。

 それにしても、人間的スケールの建築、建物のヒューマニティを志向したミノル・ヤマサキが「ピラミッド以来の最大の建築」と謳われる巨大プロジェクトに参画し、完成後にはそのビルが弱肉強食の米国型資本主義のシンボルとみなされテロリストによって破壊される──何という歴史のアイロニーだろうか。
 本書ではさらに、ミノルがイスラム建築から多大なインスピレーションを得ていたことに言及し、WTCもまたイスラム建築風であったことに触れ、「オサマにとって、WTCはおそらく国際的なトレードマークであっただけでなく、間違った偶像だったのだ」という建築家ローリー・カーの興味深い指摘を引用している。
 著者がミノルの墓地を探しあてて、その墓石の様子と彼の建築を重ね合わせるエンディングが深い余韻を残して印象深い。

 ところで、著者の飯塚真紀子さんとはずいぶん昔、同じ月刊誌で仕事をしていたことがあって、一度だけ編集部で顔を合わせたことがある。当時すでにロサンゼルスを拠点にして仕事をしていたと思う。その後ほどなくして彼女は単行本を続けざまに刊行、私にも報告のポストカードをくれた。『ある日本人ゲイの告白』『キャブにも乗れない男たち』という書名と題材が、会った時の印象や私たちの接点である月刊誌のコンセプトとギャップがあったのでちょっぴり驚いた。
 本書は彼女の十年ぶりの単行本ということらしい。海外での煩雑な取材やリサーチを一冊の書物に結実させるには苦労も多いことだろう。変わらぬ精力的な仕事ぶりには拍手をおくりたい。
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by syunpo | 2010-10-31 20:45 | ノンフィクション | Comments(0)