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カテゴリ:科学全般( 5 )

自分が自分らしくあることを肯定できる唯一の知性〜『天然知能』

●郡司ペギオ幸夫著『天然知能』/講談社/2019年1月発行

b0072887_17264051.jpg 人工知能。自然知能。天然知能。本書ではこの三つの知能のあり方を比較衡量する。そして天然知能だけが「自分で見ることのできない向こう側、徹底した自分にとっての外側を受け入れる知性であり、創造を楽しむことができる知性である」ことを示す。本書のコンセプトは明快だ。

 郡司は、世界に対処する仕方の違いから「知能」のあり方を三つに分類して話を進める。

 人工知能。……自分にとって有益か有害かを決め、その評価のみで自分の世界に帰属させるか排除するかを決定する。
 自然知能。……自然科学的思考一般を指す。世界を理解するために、博物学的・分類学的興味から世界に対処する。
 天然知能。……ただ世界を受け容れるだけ。評価軸が定まっておらず、場当たり的、恣意的で、その都度知覚したり、しなかったり。

「自分にとっての」知識世界を構築する人工知能。「世界にとっての」知識世界を構築する自然知能。対して、天然知能は「誰にとってのものでもなく、知識ですらない」。
 例に挙げているのは、子供の頃、ドブ川でナマズを捕っていた著者自身のすがたである。「食べるためでも、博物学的興味からでもなく、ただ魚を捕り、しばらく飼っては、近くの沼に逃しに行っていました」という一見他愛もない体験にこそ天然知能は宿っているらしい。

 人工知能や自然知能を否定するような地点に立つことはありふれたことかもしれない。その後どうするか。理性の暴走を戒めたり、論理では割り切れない神学的世界へ赴いたりするのは陳套だが、理学博士の手になる本書ではもちろんそのような方向に向かうことはない。あくまでも理詰めに話を展開していく。天然知能それじたいは「天然」でも、その可能性の追究に関しては合理的な思考のうえを歩むのである。

 郡司は三つの知能について様々な角度から時に先人の知見や実験、さらには現代詩などを引いて思索を経たうえで、天然知能の可能性を提示する。内容的には自然科学の次元を超えた哲学書といっていいだろう。後半では思弁的実在論や「新しい実在論」にも言及するなど世界の哲学シーンの最先端への目配りもきいているが、全体をとおして私にはいささか難解だった。その意味では本書を充分に堪能したとまでは言えない。

 ただそのなかで興味深く感じたのは、本書にあっては、言葉もまた「天然知能」であり、神経細胞もまた「天然知能」として認識されている点。その認識に至る理路もまた私にとっては必ずしも理解しやすいものではなかったけれど、何やら私のような凡人を勇気づけてくれるような気がしたことも確かである。
by syunpo | 2019-02-16 17:27 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)

大自然の理法に感嘆する〜『雪を作る話』

●中谷宇吉郎著『雪を作る話』/平凡社/2016年2月発行

b0072887_8513011.jpg 科学者の手になる名随筆といえば、まずは誰もが寺田寅彦の名を想起すると思われるが、中谷宇吉郎は寺田の門下生である。本文中にも何度か寺田の名が出てくる。サイエンスの道のみならず、文筆の方面でも弟子は師のあとを継いだといえるだろうか。

 中谷が物理学者としてどの程度の業績があるのか私は詳しいことを知らない。もともと電気火花の研究をしていたのだが、北大理学部に着任直後には雪の研究に没入していたらしい。戦前の一九三五年に常時低温研究室を作り、翌年には人工雪の製作に成功したとある。

 人工雪も天然雪も同一の結晶であることを確かめられたときの中谷の述懐は実に味わい深い。決して自慢口調にはならず、むしろ自然への畏怖の念がにじみ出るところが素晴らしい。

 ……人工雪も矢張り雪であった。低温室の片隅においてある簡単な硝子管の中でも、大自然の理法は、その中に吹雪の天空を再現してくれることもある。これも天の恵みの一つであろう。(p65)

 かと思えば、北海道の戦後開発をめぐる一文などはピリリとスパイスがきいている。もちろん安全な場所から政治に論及するばかりではない。たとえば科学の発達は、原子爆弾や水素爆弾を作ることを可能ならしめた。今後再び核兵器で無辜の人間が殺されるようなことが起った場合、科学者の責任をどう考えるべきか。中谷は書く。

 ……それは政治の責任で、科学の責任ではないという人もあろう。しかし私は、それは科学の責任だと思う。作らなければ、決して使えないからである。(p157)

 この明快な態度もまたいかにも科学者らしいものではないだろうか。

 冬の寒い日に温かいコーヒーでも飲みながら読むのに恰好の一冊かもしれない。
by syunpo | 2019-02-09 08:55 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)

人間にしかできないこととは〜『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

●新井紀子著『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』/東洋経済新報社/2018年2月発行

b0072887_19522757.jpg AIは神に代わって人類にユートピアをもたらすことはないし、その能力が人智を超えて人類を滅ぼすこともない。ただし人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫ってきている。本書は、東大合格を目指す人工知能「東ロボくん」プロジェクトを進めてきた数学者の立場から、来るべき未来社会への警鐘と対策を示すものである。

 AI楽観論者が言うように、多くの仕事がAIに代替されてもAIが代替できない新たな仕事が生まれる可能性はある。しかし、たとえ新たな仕事が生まれたとしても、その仕事がAIに仕事を奪われた勤労者の新たな仕事になるとは限らない。現代の労働力の質がAIのそれと似ているからだ。つまり、AIでは対処できない新しい仕事は、多くの人間にとっても苦手な仕事である可能性が非常に高いといえる。

 AIの苦手な仕事は何か。AIは基本的に計算機である。逆にいうと数式に翻訳できないことは処理できない。AIが扱えるのは、論理・確率・統計の三つの言葉だけ。ゆえに文章の意味を理解することもできない。AIが代替できない仕事とは「高度な読解力と常識、加えて人間らしい柔軟な判断が要求される分野」といえるだろう。

 ところが、人間の方もどうやら「高度な読解力」のレベルが相当あやしいことが明らかになったのである。著者が実施した「基礎的読解力調査」の結果をみるとそう結論せざるをえないらしい。

 本書ではその調査の問題や回答の様子が詳しく報告されている。「係り受け」「照応」「同義文判定」という自然言語処理で盛んに研究されている能力のほか、「推論」「イメージ同定」「具体例同定」の能力を調べたものである。詳細は省くが、それらの試験の結果、端的に中学・高校で使う教科書が読めない生徒がことのほか多いことが確認されたのである。

 ならば早急に読解力を養う教育の構築が必要だが、効果的な方法は今のところ見いだせていない。たくさん本を読めばおのずと読解力が身につくとも考えがちだけれど、著者の調査では読書量と読解力との間には相関関係は見いだせないという。

 現行の教育はもっぱらAIで代替できるような人材を養成してきた。しかしいざAIの不得手な仕事をこなせるような人材を育てるとなると、これもまた難題なのである。

 著者が思い描く未来図は、企業が人不足で困っているのに、社会には失業者があふれているという寒々しい光景だ。

 そうした事態を回避する方策として著者は「奪われた職以上の職を生み出す」ことを挙げているのだが、それは言うほど簡単ではないだろう。しかもそこで批判の多い「ほぼ日刊イトイ新聞」の怪しげな物語商法を実例に挙げているのは、いただけない。
 むろんそのことで本書の価値を貶めるつもりはない。それは著者の専門分野を超えた国民的な課題である。AIの研究者に未来社会の労働環境について具体的な提案を期待する方が酷というものだろう。

 というわけで、AI社会の実態と将来性を考えるうえでは極めて有意義な本であることは間違いないと思う。
by syunpo | 2018-10-02 20:01 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)

新しい発見の栄光に酔う前に〜『科学者は戦争で何をしたか』

●益川敏英著『科学者は戦争で何をしたか』/集英社/2015年8月発行

b0072887_1920487.jpg 益川敏英といえば原発や安保法制など政治問題にも積極的に発言をしていることでも知られるが、それは確固たる信念にもとづいて実践しているのだった。科学と実社会との関わりにも深く関心をもつようになったのは、恩師・坂田昌一の教えが大きかったと本書でくり返し述べているのが印象的だ。「勉強だけでなく、社会的な問題も考えられるようにならないと、一人前の科学者ではない」というのが坂田の持論だったという。その教えのとおり益川は職場では組合活動にも精力的に関わってきた。

 もっともそうした政治的な言動には眉をひそめる向きもあるらしい。たとえばノーベル賞受賞の記念講演に際して事前に複数の知人にチェックを頼んだところ草稿が出回ってしまい、戦争体験に言及している点について間接的に批判の声が聞こえてきた。「ノーベル賞受賞記念講演というアカデミックな場で、戦争に関することを発言すべきではない」と。どのような業界にも政治に対してあからさまにアレルギーを示す勢力は一定程度存在するのだなとあらためて思う。

 科学者が過去の戦争でいかなる役割を果たしてきたか。科学者本人はそのつもりはなくとも科学的発見がいかに軍事利用されるか。……といった本書の核となるテーマについてはとくに目新しい史実が提示されるわけではないものの具体的事例を挙げながら批判的にあとづけていく。

 科学とは本来「中性」的なもので、使う人間によって人類の生活の進展に資することもあれば、軍事利用されて人類に害を及ぼすこともある。あたりまえの話だが、その両義性がくり返し強調される。実際、祖国の戦争に自発的にせよ強制されたにせよ協力した科学者は昔も今も後を絶たない。「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」というパスツールの言葉はなるほど至言なのだと思わせられる。

 そのうえで銘記すべきなのは「戦時下における科学者の立場というものは、戦争に協力を惜しまないうちには重用されるものの、その役目が終われば一切の政策決定から遠ざけられ、蚊帳の外に置かれ」るという事実だ。それでもなお「自分の研究がどんな使い方をされるのか、そこだけはしっかりと目を見開いて」監視していく姿勢が必要だろう。

 本書をとおして著者が述べていることはおしなべて建前論にすぎないとの寸評もあるかもしれない。だが、建前を嗤う者はしょせん現状追認論者にすぎないことも事実ではないか。

 誠実な科学者であれば、新しい発見の栄光に酔う前に、発生し得るであろう負の部分に警鐘を鳴らすべきなのです。(p29)
by syunpo | 2016-02-15 19:22 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)

物性、中間子、分光学〜『日本語の科学が世界を変える』

●松尾義之著『日本語の科学が世界を変える』/筑摩書房/2015年1月発行

b0072887_8442486.jpg 日本人は日本語で科学をしている。私たちはそれを当然のように思っているけれど、欧米の言語とまったく異質な母国語を使って科学をしている国は世界的にみれば希有なことらしい。フィリピンやインドネシアなど東南アジアの国々では、最初から英語で科学教育を進めているところが多い。

 日本語で科学ができるという当たり前でない現実に深く感謝すること。著者は冒頭でそのように記している。なるほど西洋から入ってきた学術用語を日本語に翻訳していく明治期エリートたちの苦心談は興味深いし、現代日本人が先達の敷いてくれたレールのうえを歩んでいることを知るのは有意義なことだろう。そこまでは私を含めて多くの読者が納得するに違いない。

 本書ではそこからさらに「日本語主導で独自の科学をやってきたからこそ、日本の科学や技術はここまで進んだのではないか」という仮説の提起に向かう。現実に日本人は西洋科学の概念を日本語に移しかえながら科学を営み、そこそこの業績を重ねてきたわけだから、そのような主張が出てきても不思議はないかもしれない。

 しかし結論的にいえば、本書が主張する「仮説」には首肯しがたい点が多々ある。著者のもちだす状況証拠はあまりにも主観的かつ粗雑といわざるをえない。「日本語で研究することのメリット」が曖昧模糊とした記述であるうえに、「日本で研究することのメリット」と話が混淆してしまっていることも本書の主張をいっそう漠然とした印象にしている。

 後者の指摘にしたところで、メインテーマからはズレている点を脇に置いたとしても、さほどの切れ味は感じられなかった。世界で認められた日本の科学者をピックアップして、その研究内容と日本の文化的背景とを強引に結びつけるような怪しげな記述が多い。たとえば湯川秀樹博士のパイ中間子理論を東洋の中道・中庸思想と関連づけるのはいかにもこじつけという感じがする。また山中伸弥博士のiPS細胞の研究などの例を引いて、日本には「聖書の縛りがなく、生命体に素直に向かい合える」という見解も、進化論がヨーロッパに発祥したことを想起するだけで説得力のないことがわかるだろう。
 要するにその多くが、東洋思想や日本文化論のステレオタイプを安直に科学研究の成果に結びつけようとするものなのだ。そのような著者がしきりに科学者の「パラダイム転換」を主張しているのは悪い冗談というほかない。

 ついでにいえば、ノーベル賞に対する態度が一貫性を欠いているのにも引っかかった。「人間のやることなので政治的だったり間違いもあるということだ」と腐しておきながら、日本人科学者を賞賛する場合には「……二一世紀に入ってからの受賞数を国別比較したら、日本はトップクラスにあるのではないか」などとノーベル賞を引き合いに出してくるのは噴飯物。

「日本語主導で独自の科学をやってきたからこそ、日本の科学や技術はここまで進んだ」という仮説は、そもそもその命題の内実が曖昧であるという点も含めて、仮説というほどの内容を伴ったものではない。著者自身の雑感というレベルの話ではないかと思う。本書に対しては、科学ジャーナリストによる素朴なお国自慢のエッセイ集と割り切って気軽に付き合った方が良いだろう。

 念のため付記しておけば、私は日本人科学者の世界的な活躍に関しては誇るべきことだと思っているし、彼らの実績にケチをつけるつもりはもちろんない。私が違和感を表明しているのは、あくまで本書の内容に対してである。
by syunpo | 2015-06-06 08:46 | 科学全般 | Trackback | Comments(0)